先崎学五段(当時)「どうや、これ。のぞいていくやろ」

近代将棋1992年1月号、鈴木宏彦さんの第14回若獅子戦決勝〔先崎学五段-村山聖五段〕観戦記「暴れた暴れた先崎優勝」より。

近代将棋同じ号より。

 バタバタと先崎が対局室に駆け込んで来た。午後1時きっかりだ。カラシ色の綿シャツ。ノーネクタイ。でっかいスーツケースを右手に持っている。

 村山は、とっくの前から上座に座って待っている。最近の村山は髪も短くヒゲもなし。さっぱりした顔で駒箱を開け、すぐに駒を並べ始める。なぜか香が一枚見つからず、村山がキョロキョロ。先崎がアハハと笑う。

「お、決勝戦か」

 隣の部屋で対局中の宮田利男六段が冷やかし半分にのぞきにきた。決勝戦…。そう、この対局は若獅子戦が迎える14回目の決勝戦なのだ。

(中略)

 先崎がどかどかと戻ってきた。困った顔をするかと思ったが、すぐに△7六歩と取り込む。さすがにもう席は離れない。

 最初はわざとやられて観衆をハラハラさせ、苦しくなってから本気を出すのがアントニオ猪木とウルトラマンのテクニック。まさか先崎、そのテクニックを使った訳ではないと思うのだが…。

(中略)

 千日手の成立は午後4時39分。指し直し局は30分後の開始である。

(中略)

 それにしても驚いたのは、村山の△4一飛。盤上から悔しさが伝わってきた。そのとき、村山の顔は真っ赤。

(中略)

 王手飛車狙いの△4六桂。一瞬はっとさせる手だが、先崎は1秒で▲同歩。最後の最後まで先崎らしい指し方、そして先崎らしい優勝のしかただった。あの村山が最初から最後まで振り回されっぱなしだったのだ。

 終局は午後7時41分。1時間ほどの感想戦のあと、将棋連盟近くの鰻屋で打ち上げになった。

 ビールをうまそうに飲み干した先崎、「どうや、これ。のぞいていくやろ」

 なぜか大阪弁になって、村山を雀荘に誘う。2次会を盛り上げてくれる仲間がそこにいるらしい。「はー」とため息をついた村山、それでも「行きます…」。

近代将棋同じ号より。

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「1時間ほどの感想戦のあと、将棋連盟近くの鰻屋で打ち上げになった」

若獅子戦は近代将棋主催の棋戦だった。

打ち上げの場所は、「ふじもと」ということになるのだろう。

6~8人の宴席だったと思われる。

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「村山を雀荘に誘う。2次会を盛り上げてくれる仲間がそこにいるらしい」

きっと、先崎学五段(当時)と親しかった郷田真隆四段(当時)や中田功五段(当時)などの若手棋士が待っていた(麻雀をしていた)のだろう。

先崎五段と村山五段は、この日、初めて一緒に遊びに行ったのかもしれないし、あるいは既に何度も遊びに行っていたのかもしれない。

どちらにしても、先崎九段と村山九段で思い出すのは、村山九段が亡くなった時の先崎六段(当時)の追悼文。

先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」