谷川浩司竜王(当時)「一番くたびれる負け方をした」

将棋世界1991年12月号、「バンコク竜王戦までの1週間 谷川浩司竜王」より。

10月14日(月)

 王座戦第5局(大阪・関西将棋会館)。2勝2敗のあとの最終局は、千日手指し直しの末に翌日午前0時4分、挑戦者の福崎の勝ち。福崎文吾新王座誕生。谷川「一番くたびれる負け方をした」。午前2時まで打ち上げ。

(以下略)

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今日はこの対局について。

将棋世界1991年12月号、中野隆義さんの第39期王座戦五番勝負第5局〔谷川浩司王座-福崎文吾八段〕観戦記「居飛車党のうた」より。

近代将棋1991年12月号より。撮影は炬口勝弘さん。

 10月14日。関西将棋会館にて午前9時より行われた王座戦五番勝負第5局は、同日午後8時11分、千日手となった。

 振り駒で先番を得た福崎は、大方の予想通り、第1、2局で見せた伝家の宝刀「振り飛車穴熊」を抜いた。しかし、谷川に作戦勝ちを許し、戦いが始まってすぐの時点で桂香損に陥るという苦しい展開を招く。

 1図は、駒損の代償として築いた歩の拠点を利して、福崎が▲3四銀と打ち込んだ場面。控え室の継ぎ盤を挟んでの検討では、福崎がかなり棋勢を盛り返して来ているとはいえ、現実の駒損は大きく、谷川よしとなる変化があるのではないか、というムードであった。有力な一手段として△2四桂と打つ手が見える。以下、▲2五銀上には△3六香がすこぶる付きの厳しさである。

「やっぱり、谷川がいいですね」と検討陣の一人が誰にともなく呟いた時、階下の棋士室での検討から戻ってきた観戦記者の池崎和記氏が、「いい手を仕入れて来ましたよ。△2四桂でしょ。打ってみて下さいよ」と言って継ぎ盤に手を伸ばした。

 ▲3七角がビシリという駒音を立てて放たれた。「なるほど、それはうまい手だ」と立会人の伊達康夫七段が身を乗り出した。正直なところ、私には▲3七角の良さがすぐにはとんと理解できなかったが、専門家は、一目で手の素姓の良さみたいなものが分かるらしい。

 分からないなら、駒を動かしてみる一手である。待ったはいくらでも利くのが継ぎ盤のいいところだ。

 まず、銀取りに打ったのだから素直に△3六桂と指してみよう……。▲4六角△2八桂成▲同角。アレレ、穴熊はだいぶ薄くしたけど急所の角を取られちゃったな、おまけに飛車取りが残ってるじゃないか。イテテ。それじゃ銀を取る前に△3七同角成だな。▲同飛△3六桂▲同飛はどうかな。「何やってんの。そりゃ、完全にさばかれちゃってるよ!」トホホ。

 △2四桂が危険だとすると後手の指す手が難しい。△7三角と当たりを避けた手に続いて、谷川長考の末、△4二歩が着手された。

「いったん受けに回ったか」

「はがされて、また、打たれると…」

「えっ?」

「2三か3三を取って、取った駒をまた3四に打つんですよ」

「千日手になるかもしれないな」

「まさか……」

(中略)

 形勢よしと見ている谷川がきっと打開するに違いない。希望的観測が当たって欲しいとの祈りもむなしく、モニターテレビに映し出された盤上の駒は同じ動きを繰り返し始めた。

 千日手を宣すべく、伊達七段が控え室を後にした。

「良いとは思っていたのですが、具体的に指す手が難しくて。△4六金がちょっと強引だったのかもしれません」と、谷川。千日手やむなしの結論であった。

(中略)

 午後8時41分に千日手指し直し局は開始された。持ち時間は、谷川65分、福崎60分である。

「穴熊でしょう、やっぱり。それしかありませんよ」

 当然のことながら、福崎の序盤作戦が注目された。

 ▲7六歩に対して△3四歩は100%こう指すところ。もし、矢倉をやるつもりでも△8四歩では▲2六歩△8五歩▲7七角で谷川の必勝戦法である角換わりになってしまう。仮に、福崎のこの手を当てるトトカルチョがあったら、私は有り金の全てを△3四歩に張っていたことだろう。

 ▲2六歩に△4四歩も予想にたがわずである。五番勝負の第2局では、ここで谷川は▲2五歩と飛車先の歩を決めて福崎に振り飛車を促した。本局は▲4八銀とごく普通に進める。「ははあ、矢倉でも振り飛車でもどちらでもどうぞと、相手に作戦の選択を委ねたんだ。さすがは王者の貫禄だ」と、一端の評論家ぶって、私は一人ごちた。

 ▲5八金右に、さあ、また中飛車だぞと見ていると、なんと福崎は6一の金に手をかけた。

「嗚呼……」ため息に似た悲鳴のようなイヤなものが自分の喉の奥から絞り出されて来るのを感じ、思わずモニター画面から目をそらしてしまった。

 振り飛車党の不心得者が「私は、△5二金右を見て、眠たくなりました」と言うのに向かってウンウンとうなずく。今にして思えば、自らの不明を恥じるばかりである。

(中略)

 福崎が、晴れてプロ棋士としてデビューし、振り飛車穴熊を連採して当たるを幸い先輩棋士達をばったばったとなぎ倒していた頃、振り飛車穴熊の講座を引き受けていただけないかと頼んだことがあった。その時の福崎の返事はいまだに私の耳にこびりついている。

「いえ、すみませんが、それは勘弁してください。ボクは、振り飛車党じゃありませんから……」

「へっ」と、言ったまま開いた口が塞がらず、まじまじと福崎の顔を見てしまったものである。7割強の採用率で振り飛車党じゃないって、どこをどう叩けばそんな言葉が出てくるんだろう。こいつは一体何を考えてるんだ。まったくもう。

 福崎は真面目な顔でこうも続けた。

「将棋に振り飛車とか居飛車とかの区別なんかないんとちゃうかな。ボクはどんな将棋でも一緒や思うんやけど。プロやったらどんな将棋でも指しこなせなくちゃおかしいちゃいますかね」

 どんな将棋もったって、あなた、振り飛車ばっかり指してるじゃない。変なヤツ!早口の関西弁を浴びせられ、私は頭がくらくらしてきた。あの時、真剣に福崎の言葉を理解しようとしていれば、この最終局での矢倉の採用はもとより、第3局や第4局の作戦も、十分得心がいったかもしれなかった。

(中略)

4図以下の指し手
△4一飛▲1八香△3八飛▲3三歩△同桂▲1三桂成△3二玉▲3五桂△1三香▲1四歩△3五金▲1三歩成△8六歩▲3五角(5図)

 4図の▲8二銀打が好手で、谷川の優位は動かない。飛車を追ってから、▲1八香と銀を取り返し、▲3三歩の手筋を放って寄せの網を絞る。

 △8六歩の最後のお願いに▲3五角と詰めろを掛けるのを見て、終局近しの空気が流れた。

 5図。先手玉は、△8七歩成▲同玉△8六歩とこられても▲9六玉△9五銀▲8五玉と上に抜ける手があって詰まない。また、△8七歩成▲同玉に△7八飛成▲同玉△8六桂は、いったん▲7七玉とまっすぐ上がるのがうまく、以下△8五桂▲6八玉と逃げて僅かに即詰みを逃れている。

「危ないけど詰みませんね。それにしても谷川さんらしい決め方だなあ」

「弦巻さん、もうすぐ終わります。カメラいいですか」

 振り返りながら言うとカメラマンの弦巻氏は、うん、分かってるという仕種をした。ネクタイをしごきながら腰を浮かせようとした時、福崎の手が盤上に伸びた。

 あれっ、変なことに何か打ったぞ。

 テレビの画面を覗き込んだ私は、福崎の着手を確認した瞬間、体が後ろにぶっ飛んでしまった。

5図以下の指し手
△9六桂(6図)

 △9六桂ってなんなんだ。一体、何者だ。

6図以下の指し手
▲7九玉△3一角▲2二銀△8八銀▲6九玉△2二角▲同と△同玉▲1三香成△3二玉▲8八金△同桂成▲2三成香△同玉▲2四銀△3二玉▲2三金△4二玉▲3三銀成△同金▲同金△同玉▲2四金△2二玉▲3四桂△3二玉▲3三歩△4三玉(投了図)  
まで、124手で福崎八段の勝ち

 △9六桂は、必殺の勝負手であった。▲同歩なら、△8七歩成▲同玉△8六歩▲7七玉△8五桂▲8八玉△8七銀で先手玉は詰んでしまう。手順中△8六歩の時に▲9六玉と上に脱出する手をなくしているのが、先に△9六桂と打ち捨てておいた効果である。それにしても、1分将棋に追い込まれながら福崎はどこで△9六桂なる一手を編み出していたのだろうか。福崎将棋は恐ろしい。福崎将棋は強烈だ。控え室はまさに騒然となった。

 △9六桂が入ったために、新たなる拠点ができ、4二の角が盤上から消えても先手玉を寄せることが可能になった。△3一角と受けに回り、駒を渡せ作戦である。△2二角と銀をむしり取ったところで先手玉は受けなし。後は、福崎の王様が詰むかどうかが勝負となった。

 すでに谷川も持ち時間を使い切り、1分の秒読みである。谷川は、▲8八金と銀の質駒を際どく手駒に加え、福崎玉に襲いかかった。

「詰まない、詰まないか」

 確たる結論の出ぬまま、控え室はモニターに映る盤面を見守った。

 福崎の玉が詰まないと分かったのは、王手ラッシュから実に12手目△2二玉を見た時点であった。

「新王座誕生だ!」控え室の面々は総立ちとなり、対局室へと雪崩込んでいった。

「△9六桂はうっかりしていました。(自玉は)詰まないから勝ちだと」谷川ははっきりとした口調で敗因を述べた。

 局語の談話で作戦についての発言を求められた福崎は、「穴熊をやって千日手にされたので、矢倉で行こうかなと……」と語った。その時、私の脳裏に本局の第5手目▲4八銀の局面が蘇った。あれは、振り飛車でも矢倉でもどちらでもどうぞと言ったんじゃない。谷川は福崎が矢倉で来ることが分かっていたのではないか。だからこそ、矢倉に組みやすいように飛車先の歩を決めなかったのだ。また、福崎の方も谷川の出方に関して、信頼を持っていたに違いない。でなければ、作戦の主導権を持ちにくい後手番をもって「矢倉で行こう」とは思考しにくい。

 お互いを理解しあった戦士同士の戦いは美しい。

「ホントは居飛車党なんですけどね。穴熊でしか勝てんようになってしまって」どんな将棋でも指しこなせなければプロとはいえないという自負心。福崎は、新進気鋭の頃に持っていた将棋に対する姿勢を今もって忠実に生きようとしていた。

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福崎文吾王座誕生の一局。

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「▲5八金右に、さあ、また中飛車だぞと見ていると、なんと福崎は6一の金に手をかけた。『嗚呼……』ため息に似た悲鳴のようなイヤなものが自分の喉の奥から絞り出されて来るのを感じ、思わずモニター画面から目をそらしてしまった」

目をそらすまではしないとしても、振り飛車党のほとんどの方が、プロの対局を見ていてこのような思いをしたことがあるだろう。

6一の金に指が行った時点で全身の血が逆流するような感じになり、その金が5二に置かれた時点で深い絶望感に襲われる……ような流れ。(7一の銀が6二に行った時も同様)

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「ホントは居飛車党なんですけどね。穴熊でしか勝てんようになってしまって」

福崎文吾八段(当時)の表芸が矢倉、裏芸が振り飛車穴熊ということになるのだろう。

ただ、福崎八段の振り飛車穴熊を楽しみにしているファンも多かった。

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詰めろがかかっている状態での△9六桂(6図)が鋭い。格好いい。

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ここには出ていない対局中のエピソードがある。

敵にお茶を送る

日本経済新聞の表谷泰彦記者による記事もある。

福崎文吾王座(当時)誕生

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羽生善治九段が19期連続で王座に就くのは、この翌期から始まることになる。