敵にお茶を送る

羽生善治王座が19連覇を続けている時代、福崎文吾九段は「”前王座”を連覇中」というジョークを大盤解説などでの持ちネタにしていた。

今日は、福崎文吾九段が1991年に王座を獲得した時のエピソードを。

厳しくて優しい先輩棋士と、最終局終盤の出来事。

将棋世界2005年10月号、福崎文吾九段の「関西将棋レポート」より。

 この原稿を書いている今はお盆の時期なので、やはり故人に思いを巡らせたりする。ある朝、私は尊敬しているその人に「おはようございます」と挨拶をした。そこで返礼か目礼が返ってくれば普通だ。ノーマル、何も問題ない。だが、私の顔を一目見てそのまま胸を張り悠然と歩いて対局室へ消えていったのだ。

 数日後の朝、私はその人に再び「あはようございます」と挨拶をした。前より大きな声、顔には笑顔さえ浮かべながら。すると私を一目見て、前にもまして胸を張り悠然と歩いて対局室に消えてしまった。(まるで夕陽のように)。私は少々驚いた。先輩棋士は後輩に挨拶をしてはいけないんだ。あたりまえの挨拶でさえ無意識ではダメだ。

 私は少し嬉しかった。今までだれもそのような事はなかったからだ。その人は(故)森安秀光棋聖(当時)である。

 14年前私が谷川浩司王座に挑戦したときの話だが、振り飛車穴熊で2連勝した後、居飛車で連敗してしまった。最終局の数日前に森安秀光先生にお会いすると「福崎君、私は谷川が好きだし味方でもある。神戸でタイトルをずっと持ち続ける意志もある。だから福崎君が負けても構わない。でも一言だけ言うとくわ。もうあのヘタな居飛車はやめたらどうや?」

 私は最終局振り飛車穴熊で戦った。その将棋は千日手になったが、指し直し局では終盤の真っ只中谷川王座に冷たいお茶などをもらって(私はのどがカラカラで狂犬病みたいだった)、盤外では上杉謙信の敵に塩をおくるように助けてもらい、ついに念願の王座についたのだった。

 森安正幸六段(お兄さん)の昇段祝賀会の時、森安秀光先生は大きな会場で本当に嬉しい顔をされていた。

「福崎君こんばんは。今日は兄貴の為によくきてくれたね」と挨拶をしてくれたのを覚えている。

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将棋世界1998年7月号、鈴木輝彦七段(当時)の「棋士それぞれの地平」より。ゲストは福崎文吾八段(当時)。

(1991年王座戦)

福崎 5局目は千日手の後、終盤で「ハアハア」僕が言ってたんです。ノドが乾いて。そしたら谷川さんがカンのお茶をくれて、それを飲んだら一分将棋の前に妙手が見えたんです(笑)。

鈴木 美談ですね。敵に塩を送る、という感じですね。

福崎 まだ羽生さんとの前です。これは誤解されるかもしれないけど、羽生さんは谷川さんの大恩人ですね。羽生前と羽生後では谷川さんの将棋も変わりました。勝負に辛くなって、今ならお茶くれへんと思う(笑)。

鈴木 そうかもしれない(笑)。多少甘くても才能だけで楽に勝ててましたから。勝負はもっとドロドロしたものですしね。

(以下略)

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故・森安秀光九段のエピソードも谷川浩司九段のお茶の件も、非常にいい話だ。

ところで、この時の缶入りのお茶は、伊藤園の「お~いお茶」である可能性が高いと思われる。

内藤國雄九段がCM出演したサントリーの「緑茶」と「のほほん茶」が発売されたのは1993年から。

このCMでは、内藤九段が平安時代の貴族に扮している。