近代将棋1992年2月号、森内俊之五段(当時)の第50期C級1組順位戦〔対 佐藤康光五段〕自戦記「5年前の借りを返す」より。
昭和61年12月の第2奨励会での事、僕は三段で、その日の1局目まで12勝4敗、昇段まであと1勝としていた。(三段リーグ発足前の事)
その当時、佐藤君は二段から8連勝で三段に昇段したばかりでものすごい勢いだったが、その日は学校の期末試験ということで1局目には顔を見せなかった。
正直に言って奨励会最強の彼に勝って昇段したいという気持ちと、指せば負けるかもしれないので指したくないという気持ちがあったが、できれば指したくないという気持ちの方が強かった。
しかし、彼は2局目に来たのである。
そして、必然的に2局目は佐藤君との対決となった。(昇段の一番は三段の中で一番成績が良い人とやることになっていた)
自信を持って対局に臨んだが、結果は完敗だった。指してみて彼の方が強いと思ったので、結果は仕方ないと思ったが、この借りは必ず返してやるという気持ちが心に残った。
しかし再戦の機会は訪れなかった。彼が3月に四段に昇段してしまったのだ。彼の昇段の一番は是非とも指したかったが、幹事の先生は中川三段(現五段)を指名した。
5月になって、僕も四段に昇段できたが、佐藤君への借りはついに返せなかった。
そして、奨励会で返せなかった借りは順位戦で返すしかないと心にきめた。今回は5年前の雪辱戦である。
(中略)
佐藤五段は本格派の居飛車党なので、こちらの作戦を外してくることはないと思っていた。
▲5八飛に対し△5五歩と取ったので、朝から相矢倉の中では最も激しい局面になったが、こういう展開の方が緊張感があって、僕には良いようだ。
(中略)
全棋士の中でも読みの深さと正確さでは一、二を争う佐藤五段が、1時間半以上考えてやってきた順なので、勝ちを読み切るのは無理だろうとは思ったが、△5二飛と決戦をいどまれては考えざるを得ない。ここで大長考に入った。
(中略)
本譜は△同銀不成と取ったので、▲4六馬ではっきり勝ちになった。
終了時間0時57分、全力を出し切った末の指運の勝利、今年度の中で最も嬉しい勝利でもあった。
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森内俊之九段は、1987年5月、三段リーグ復活直前に四段に昇段している。
だが、佐藤康光九段が四段になったのが1987年3月。
佐藤康光四段(当時)は1987年度から順位戦に出場できたが、森内俊之四段(当時)の順位戦出場は1988年度から。
二人はもともと仲が良く、なおかつライバル関係。
そのような意味でも、順位戦出場の1年差が、森内四段の闘志を更に燃え上がらせたと言って良いだろう。
このような同世代間の切磋琢磨の積み重ねが、「羽生世代の棋士の時代」を築き上げていくことになる。
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→森内俊之五段(当時)「ヨーロッパぼけの奴には負けたくない」