将棋世界1992年3月号、囲碁の穂坂繭初段(当時)のエッセイ「将棋との碁縁」より。
よく「将棋は短距離で、囲碁はマラソンだ」って、聞いたことがあるけど、案の定、私は足が遅いので囲碁をやっている。文章にしても、囲碁棋士で書く人はほとんどいないが、将棋では色々な棋士が書いていて、それも上手いしとても面白くて、将棋をほとんど知らない私でも、最新号の雑誌を心待ちにしている。私がまだ院生(将棋の奨励会)の頃、米長先生のある対談集の中で、「最善手を知ったり誰かに教わることより誤読を犯すことが唯一の勉強法」というくだりに、すごく驚き感動した覚えがあって、それ以来、エッセイの類では、碁の本より読んでいると思う。
それが碁縁とは不思議なものでスクリーンの中の人たちだった将棋棋士の囲碁のお相手をする機会に恵まれてもう2年が過ぎた。
碁会に来られるのは、いつも棋界を賑わせてる若手棋士が多く、よく出席して下さるのは神谷六段で、五子で勝ったり負けたりだが、本人曰く、多少淡白なところがあり、これからという時に投了されてしまい何度助かったことだろう。先頃、王位戦で活躍された中田宏樹五段は、人柄そのものといった感じの温厚な碁風で、白の弱い石でもあまりいじめたりはしない(本業でそんなことはないでしょうけど)。羽生棋王は、常に鋭いねらいを持っている碁で、白がマジックにかかるのを恐れているふしがある。その羽生棋王とよく腕を磨き合っているよきライバルの先崎五段は、羽生棋王と同じぐらいの六子なのだが冴えた感覚で早指しに勝る!?早打ちである。
私など本業なら10秒碁でもよく打つが、将棋となると、まるで読める訳ないのに、自分でもイライラするぐらい遅い。1局1時間以内で終わったためしがない程長考してしまう。
その点、「これで実戦は3局目です」と、若葉マークの郷田四段は、一手一手慎重によく考えられる。私もなんだか人ごとの様に思えず、「どうぞ、ごゆっくり」などと言っていると、「そこはノータイムでしょ」と外野席からすかさず声がかかってしまう。以前は幹事で、今はすっかりお忙しくなられて欠席ぎみの森下六段の碁風は、なかなか打ちたがらないというカンジで、「イヤイヤ僕は……」と遠慮されるが、イザ黒石を沢山?置くと、のっけから白は攻められ独特な打ち回しをされる。女流では清水市代三段は、初段に近い腕前ということだし、中井女流王位とは、何度か碁と将棋の交換教授をしていたこともあってお互い同じくらい強くなった!?
2ヵ月に一度の囲碁会は、稽古に行くというより、すっかり楽しみになってしまい、囲碁界と又、違った空気の吸える棋士たちと碁を交えてお話できるのはいい刺激になっている。
私が碁をやっていてよかったなと思えるのは、実にこんな時で、碁を通して、今まで様々な人たちと出逢うことができたし、その分色々な考え方もできる様になれた気がする。
それに将棋も囲碁も、全く知らない相手でも、一度、盤を挟むと何だか昔からの知り合いだった様な親しみを覚える。これは、ランチを3回共にするより効果的かもしれない。
(以下略)
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穂坂繭初段(当時)は、この当時、日本将棋連盟囲碁部の師範だった。
神谷広志六段、中田宏樹五段、羽生善治棋王、先崎学五段、郷田真隆四段、森下卓六段(タイトル・段位は当時)のキャラクターがとてもよく表現されている。
今頃の季節にふさわしい、穏やかで清々しい気持ちにさせてくれる文章だ。
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「最善手を知ったり誰かに教わることより誤読を犯すことが唯一の勉強法」
これはアマチュアにも言えることだと思う。
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「碁縁」という一石二鳥の言葉が使えるのが囲碁界の強み。
「将縁」だと硝煙に聞こえるし、「棋縁」だと奇縁に聞こえるし、そもそも「ご縁」にならない。
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「その羽生棋王とよく腕を磨き合っているよきライバルの先崎五段は、羽生棋王と同じぐらいの六子なのだが冴えた感覚で早指しに勝る!?早打ちである」
穂坂繭三段と先崎学九段が結婚をするのは、この時からおよそ7年後のことになるので、この頃はその萌芽が現われかけて来た頃なのか、あるいはまだこれからなのか、読み取ることは難しい。
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先崎学九段と穂坂繭三段は、2017年10月から東京・西荻窪で「囲碁将棋スペース・棋樂」を開いている。
通常の教室以外にも、「佐藤康光会長と指し初め」「王位と泣こうぜ」「おっさんずバトル」など、様々なイベントが行われている。
絶対に面白いと思う。