将棋世界1992年4月号、写真家の中野英伴さんの「棋士とその風景 第4回 米長邦雄九段」より。
米長邦雄九段、キの人である。人は誰しもが皆それを言う。字源に拠るとキは、草木の芽が地表にわずかに現出した形を説く。米長少年のその時その芽は、姿正しき甲斐の山山を越えた朝日に、煌やかに眩しく輝いた。キは天からの賜りものである。キは磨くもの、育てるもの、慈しむもの。将棋の道は自ずから成すものと言う。そして頂点に至る人は、早期に脳幹が現れ、錚錚の響きを奏でる。
米長九段が考えている。
長考は刻み続ける時を己れのものとして、心ゆくまでに、そのものに、身も心も深深とゆだねるもの。己れの所行であって、己れのものでなきが如き境地を得られれば、それ大観に至ると言うか。想の中に智を戴き、遥かなるものの中に道筋を案ずる。未知なる数を解き、真なる理を極めるの展開は、無限の中に観ずるの世界なるか。
米長九段の躰が語るものを訪う。米長九段の姿に香るものを聴く。米長九段の鼓動は、静かに脈打つ中にも、赤き血潮の流れは無情に烈しく騒ぐと計る。
大道無門。と書く九段の筆致は、ある所、力強く止り、ある所、勢い充実して厚く走る。語意は概ね、人の往く道はおおらかにして、自ずから切り拓き進む、と意するか。九段の人生は真にこの語言に等しく、万物の根元となる道を求め、必定の要所を必然として、歩み来、歩み続ける。
道。道は果てしなきもの、限りなきもの。その道に、さらに望むものは何か。九段の祈りと、多くの人びとの願いとは、正に一致している。
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将棋世界1992年5月号、米長邦雄九段の連載自戦記〔第33期王位リーグ 対 中田宏樹五段〕「危険な安全運転」より。
先月号の本誌を見ていると、歌舞伎役者のような男の対局写真が目に入った。
よくよく見てみると自分ではないか。
中野英伴さんが撮られたもので、成程いい顔だなあとカメラマンの腕につくづく感心させられた。
この写真には情がこもっている。
こういう撮影をするような心掛けで私も将棋を指さなければならんのだなあとほとほと感じ入ったものである。
写真の下にはやはり中野さんによる文章がある。これもまた名文で、いろいろ書いてくださっているのだが、気になった所があった。
冒頭に”米長邦雄九段、キの人である”とある。
おそらくこれは何かの間違いだろうと思っておったのだが、発刊後まもなく中野英伴さんより丁重なるお手紙を頂いた。
”私はキの人ではなく才の人と書いたのです。それでなければ文章そのものがおかしなものになってしまう。とても残念な誤植です”
という風な趣旨のことが書かれていた。
中野さんの人柄がしのばれる。
困ったのは編集部だ。あやまりもしないし、またそれに気が付いてもおらん。
4ヵ所にわたり”キ”という字が出て来るのだからわかりそうなものではないか。もしかしたら編集部では”キ印の人”という風に受け取ったのかもしれない。”キの人”には”怒”をもって対処するよりない。辛い。
(以下略)
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将棋世界1992年5月号、大崎善生編集長(当時)の編集後記より。
4月号”棋士とその風景”文中の”キの人”は”才の人”の誤植でした。関係者及び読者にお詫び申し上げます。
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将棋世界1992年6月号、米長邦雄九段の連載自戦記〔第5期竜王戦 対 南芳一九段〕「強襲が決まる」より。
先月号の歌舞伎役者の一件”米長は才の人であるのかキ印の人であるのか”これはたった一字の違いである。
一字の違いによって文章が丸っきりおかしなものになってしまう。
しかし、私はああじゃこうじゃ言っても、編集部は一生懸命やっているのでこれは許そうという心づもりであった。
先月号の私の文章の中で”怒”をもって、という箇所があったが、あれは”恕”をもって対処するよりない、と書いたのである。
”恕”という寛大な気持を表したかったのだが、たった一字の違いによってあの文章が全く死んでしまった。
悪手が悪手を呼ぶ、という言葉があるが、誤植が誤植を呼ぶ、ということもあるのかもしれない。
将棋も文章も怖いものである。
これもまた”恕”をもって対処するよりない。辛い。
(以下略)
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将棋世界1992年6月号、大崎善生編集長(当時)の編集後記より。
今月悲しかったこと。またしても米長自戦記で誤植。編集部、校正員を含めて、誰一人”恕”なる言葉を知らなかったのです。情けない。今月は皆で”教養強化月間”とします。
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”恕”は、ゆるす、おおめにみる、のような意味。
私も初めて知った。
一般的な1ヵ月間の教養強化講座があったとしても、”恕”はまず出てこないだろう。
兎にも角にも、「悪手が悪手を呼ぶ」の現実版だ。
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キと才。この頃は、原稿も手書きの時代。なおかつ、執筆者へゲラを送り確認してもらうという工程がなかったのだと考えられる。
”キの人”という言葉は初めて聞くけれども、あの中野英伴さんが使っているのだから、そのような深遠で知る人ぞ知る言葉が実在するのだろうと、最初に読んだ時に思ったし、編集者も同じように感じたに違いない。
それほど中野英伴さんの信用力が高いということになる。
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