将棋マガジン1992年9月号、米長邦雄九段の「第50期名人戦終了 七番勝負を総括する」より。
『「死闘」というような言葉はむやみに使ってはならないと思うが、今度の将棋名人戦七番勝負にはたぶん許されるだろう。とりわけ中原誠名人が大逆転した最終局は、それに該当する ▼3勝3敗のあとの大一番が気になって、23日は小欄執筆の最中も衛星放送の対局中継にちらちら目を走らせる始末。夕方までは素人目にも挑戦者・高橋道雄九段のほうが駒組みものびのびとして優勢に映る。”こりゃ、えらいこと、新名人誕生か”と感じたのだった ▼新宿の街はずれに、中原名人が時折一人で立ち寄る小さな酒場がある。名人戦直前のある夜、偶然そこで中原さんとでくわした。名人は将棋のシの字も口にせず、演奏会のプログラムをひろげて静かにクラシック音楽の話をした(酔っていたので中身は忘れてしまった) ▼さて将棋は夕方から高橋九段の指し手がぎこちなくなり、全く形勢不明で夜戦に突入。落ち着かぬ思いでその酒場に立ち寄り、止まり木で息苦しい時間を過ごしていると、夜10時前のテレビが「中原名人位防衛」を速報した ▼タイトルがかかった大一番などで自分の勝利が見えてくると、棋士は思わず「フルエ(震え)が来る」という。そしてつい悪手を指すそうだが、”地道高道”の高橋さんに何が起きたのか。それにしても中原さんの何という執念、何という意気地だろう ▼小さな酒場は一瞬どよめいたが、しかしすぐ静かになった。だれもが高橋さんの胸中をおもんぱかったためらしい。ヘミングウェーに”勝者には何もやるな”という短編集があるが、あと一歩のところまで名人を追いつめた死闘敗者の深い無念を思ったのである。』
これは名人戦第7局が終わったあとの産経新聞のコラム欄に載っていた名文である。(6月25日・産経抄)
書いたのは石井英夫氏という人で、21年間この欄を担当している。産経新聞の宝物、朝日新聞将棋欄の東公平氏に匹敵するほどの人物である。
これほど愛情のある文章は近頃少なくなった。今回七番勝負の総括と第7局の解説を編集部から頼まれたが、私も高橋君のことを思えば軽々しくは書くことはできない。しかし、そこをまげて色々書いてみたい。文中、中原、高橋両先生には失礼な点が多々あることとは思うけれども、お許しを乞う。
(以下略)
* * * * *
石井英夫さんは、産経新聞朝刊一面のコラム「産経抄」1969年から2004年12月まで35年間執筆していた。
* * * * *
「新宿の街はずれに、中原名人が時折一人で立ち寄る小さな酒場がある」
この酒場は新宿2丁目にあった「あり」と思われる。
「あり」には、確かにやや小さなテレビがあった。
* * * * *
この期の名人戦は、第4局が終わった段階で挑戦者の高橋道雄九段の3勝1敗という流れだった。
そこから中原誠名人が2連勝と押し返して迎えた第7局。
「小さな酒場は一瞬どよめいたが、しかしすぐ静かになった。だれもが高橋さんの胸中をおもんぱかったためらしい」
酒場は、敗者の心に、より敏感になれる場所なのかもしれない。
* * * * *
ヘミングウェイの「勝者には何もやるな」。
森雞二九段の「敗者には何もやるな」という有名な言葉があるが、文字だけを見ると、その逆。
しかし、この「勝者には何もやるな」については、幻冬舎代表取締役の見城徹さんが「単なる勝ち負けの話じゃなくて、自分があらゆるバーを超え、あらゆる努力をして何かを勝ち取ったときには別にもう何もいらない、という意味になる」と書いている。
この文章が書かれたのは2002年のことだが、見城さんの会社のデスクの蛍光灯の上と自宅の書斎の机には「勝者には何もやるな」の言葉が貼られていたという。
そういう意味で考えれば、
「ヘミングウェイに”勝者には何もやるな”という短編集があるが、あと一歩のところまで名人を追いつめた死闘敗者の深い無念を思ったのである」
は、”中原名人は勝者なので、中原名人の気持ちを思うのは後回しでもいい”という意味に加え、”何ももらわなくとも充足感に溢れる機会、を逃してしまった高橋道雄九段”に向けられた言葉であるとも読み取ることができる。
* * * * *
「これほど愛情のある文章は近頃少なくなった」
米長邦雄永世棋聖は、このようなインパクトのある褒め方が上手い。
すぐに思い浮かぶのは次の例。
→「あれはね、ここ三年間、私の見た将棋のなかでいちばんいい手だよ」と語られた一手