石田和雄九段「いや、いや、私だって、そう捨てたもんじゃないんですよ、みなさん」

将棋マガジン1992年9月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳:石田和雄 ロマンチストの嘆き節」より。

 いまや、将棋界で、石田和雄といえば、ボヤキの大家で名を馳せている。ご当人も「あれは私が自分からいいだしたせいでもあるんです」と意に介していない。

 しかし、それ以前に、石田はテレビ将棋の名解説者として、将棋ファンに広く名前を知られた。その点では、芹沢博文九段と双璧だった。

 私は、いまでも、将棋の解説をさせたら、芹沢ほどうまい棋士はいないと思っている。芹沢は棋理に明るかったばかりではない。”自分の言葉”で指し手を平明に解説する、卓抜した表現力をもっていた。おまけに、当意即妙のギャクまで飛ばした。

 石田も筋のいい将棋を指すことでは定評がある。それが、ファンの心理を代弁する庶民感覚とでもいうべきものに支えられている。ファンが気になる局面で、解説するより前に、「やってみましょう」といって駒を動かす。そこから、自ずと親近感が生まれてくる。

 難解な局面で、「ウーン」とうなったかと思うと、一転して、あの独特の口調で「私だって、そんなに弱いわけじゃない」といったりする。これが、なんともおかしい。間のとり方が、じつにいいんですね。

 石田自身は、その場に溶け込むことしか考えていないという。この人は、もしかすると天性の講釈師なのかもしれない。

 昨年の棋王戦は、羽生善治前竜王(当時)が南芳一棋王(同)に挑戦した。石田は新潟市で行われた第3局の立会人をつとめ、中盤で1時間ほど大盤解説もした。私は観戦記を担当したので、会場をのぞいた。石田は、両者がいかに高度な序盤作戦を展開しているか、熱弁をふるい、その挙げ句に例によってこういった。

「いや、いや、私だって、そう捨てたもんじゃないんですよ、みなさん」

 石田の人気を証明するように、拍手喝采が起きた。とたんに、「解説 石田和雄八段」と大書した横断幕が、壁からハラリと落ちた。

 いかにもタイミングがよすぎて、観客は笑っていいものかどうか、戸惑っていた。私は吹き出したくなるのをこらえながら、偶然までが石田の人気を演出しているように思えた。念のためにいえば、そのころ、石田は絶好調で、一月後にはA級にカムバックした。

 ついでながら、石田の前夜祭のスピーチもおかしかった。スピーチが長くなりかけたあたりで、石田は、こんなふうにいった。

「話が長くなりましたが、ご当地は原田泰夫先生のご出身地ですから、ちっとぐらい長くても、みなさん、おどろかないでしょう…」

 原田九段のスピーチが長いのを先刻承知の地元ファンは、なごやかに笑った。ほかの棋士が、こんなことをいったら、皮肉と受けとられかねない。石田がいえば、カドが立たないのは、石田の人徳だろう。

 じっさい、原田九段のスピーチは長い。加藤治郎名誉九段のそれと並んで、将棋界の名物とさえいえる。しかもなお、乾杯の音頭とりやスピーチを頼まれるのは、これまた人徳の然らしむるところでしょう。

 仮に「街で見かけて、いちばん声をかけやすい棋士」とでもいうアンケートをとったら、石田は1位になるにちがいない。ご本人は、ややボヤキ気味にいっている。

「飲み屋なんかで”石田先生じゃないですか”とか声をかけられることが、よくありますよ。みなさん、解説で私の顔をおぼえている。”あなたの将棋は素晴らしい”と褒めてくれんのが、残念ですけどねえ」

 一昨年、石田の後援会ができた。年4回、会報も発行している。会報の名将に「望躍棋」―「ボヤキ」と読む。

 私は、石田がブツブツいいながら苦吟する場面は、何回か見たが、対局中の盛大なボヤキには、盤側で接したことはない。それでも、記憶に残っている嘆き節がいくつかある。

 石田が負けた対米長戦で、感想戦に加わった某棋士が、石田側の妙手を指摘した。両対局者とも、その手に気がついていなかった。米長は「ナヌーッ」とかいって、目をパチクリした。検討すると、形勢は逆転しないまでも、いい勝負になった。そうとわかって、石田は扇子でヒザを何度もたたき、ベソをかいたような顔で悔しがった。

「なんで、この手が映らないんだ。私は、こういう筋のいい手を見つけるのは、得意なんですよ。自慢するわけじゃないけど…」

 石田が「いや、ほんとに得意なんだ」とくり返し主張しても、米長はじめ周囲の棋士は、もう慣れているらしく、なんの反応も示さなかった。

(中略)

 菜園づくりのほかに、石田は旅行も趣味にしている。若いころは離島が好きで、とりわけ沖縄が印象に残っているという。

(中略)

 10年ほど前から、旅の趣味が変わってきた。古い土地の史跡めぐりが、主体になったそうだ。最近では、松江がよかった、といたく感動していた。

 しかし、気になることもある。史跡めぐりに菜園づくりとくると、ロマンチストが老境を楽しんでいるような感じがしないでもない。石田自身はこういっている。

「自分じゃ、年とったという感じはないです。菜園をやって、非常によかったんですよ。気分転換にもいいし、健康増進にもなった。私は寒さに弱くて、冷房でも、すぐ風邪を引いたんだけど、土いじりをはじめてから、風邪を引かなくなったんです。将棋の調子も上がって、竜王戦の挑戦者決定戦までいったし、A級にも復帰した。ところが、ことしにはいってからねえ」

 このところ、元気なボヤキが聞かれなくなった。石田がいうには、

「無意識のうちにボヤいているときは、調子がいいんですよ。本当に参っちゃうと、声も出ない」

 石田は、もともと気持ちの切り換えがヘタなほうだ、と自認している。だから、いちどスランプに陥ると、抜け出すのに時間がかかるが、石田ファンよ、ご安心あれ。石田は明るい表情でつづけた。

「きっかけさえつかめば、バタバタっといくんですよ。それは、いままでの経験でわかっていることですから。菜園もつづけますけど、もうひとつ、ピントの合ったものを探しているところなんです。あと10年は頑張らなきゃならんから、いい方法を見つけますよ」

 ロマンチストがくよくよしては、体をなさない。高らかに嘆き節を歌ってこそ、真価が発揮される。石田のボヤキが聞かれない将棋会館は、さびしくてしようがない。嘆き節が復活すれば、解説の名調子も、いよいよ冴えてくること請け合いである。

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将棋マガジン1992年2月号より、撮影は弦巻勝さん。

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石田和雄九段らしい解説とボヤキ。

まさしく石田和雄九段ワールド。

普通に話しているのに、微笑ましく、ユーモラスで、聞いている人を引き込むオーラが出ている。

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「やってみましょう」といって駒を動かすのは、NHK杯戦での解説でもよく見ることができる。

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「とたんに、『解説 石田和雄八段』と大書した横断幕が、壁からハラリと落ちた」

これは、天が味方しているとしか言いようのない展開。

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「原田九段のスピーチが長いのを先刻承知の地元ファンは、なごやかに笑った」

原田泰夫九段のスピーチは面白く、30分の長さだったとしても体感時間は5分。

逆に短い時間でスピーチが終わってしまうと、ファンはがっかりしたものだった。

原田泰夫九段の講演(序盤)の再現

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「私だって、そんなに弱いわけじゃない」

「いや、いや、私だって、そう捨てたもんじゃないんですよ、みなさん」

このような石田節も、現在ではYouTubeの「石田九段一門将棋チャネル」でも見ることができる。

見ていると、自分の顔が自然と笑顔になっていることに気づく。

石田九段一門将棋チャネル(YouTube)