将棋マガジン1992年10月号、二上達也九段の「棋譜にみる大山康晴像」より。
大山十五世名人のご冥福を祈りつつ大山将棋の神髄を語らねばならない。はたして私にその資格があるかどうか疑問に思うが、最も充実した時期を知るものとして、及ばずながら玄妙の一端に触れられれば幸いである。
(中略)
翌年は花村八段(当時)の挑戦を受ける。
花村将棋は妖刀と言われるが、それは決してまやかしを意味しない。着想において常人にないものを持ち合わせているだけで、プロの一流棋士はそれぞれ大なり小なり持っているわけだ。その特性が際立っている分、逆にクセとなってしまう。
相手の性格とかクセを見ることにかけて大山十五世は並ぶものがいない。クセを見破るのは時間が掛かる。前述の初手合に弱いのではと言う私の所見もその辺にあるが、一度分かってしまえば我が薬籠中のものにしてしまう業は天性であろう。
4図以下、▲9五同香△9三歩▲2五金△4二金▲6二歩△5一金(5図)
暴れさせるだけ暴れさせて疲れたところをつかまえる。単に待っているだけでなく、動かざるを得ない状態を作りあげている。
△5一金など最近の若手はこの種の手を使うらしいが、先々の見通しまで立てているのかどうか分からない。
その点十五世は相手を見て恐ろしいまでの的確さで目的を達する。
せめてお釈迦様の手のひらの孫悟空でありたいが、どうやらクモの巣に捕らわれたハエみたいな気がするのである。
私もかなり善戦した時期があったけれど、性格を含めてクセを覚えられて、どうもうまく行かなくなった。
6図はまだ善戦していた頃のもの、タイトルに初挑戦してはりきっている。しかも2連勝のあとで気分がいい。(第10期九段戦第3局)
やや無理攻めかと思ったが、結構手が続きむしろ指せる気持ちになってきた。
▲5五角△2六竜▲6六角△2八竜▲7七銀打△1九竜▲4四歩△1二玉▲4三金△2二桂▲9八玉(7図)
駒割りの上では私の角損、それでも先手方の飛車角が重く玉の囲いに差がある。
そこでの▲5五角だ。苦しく見える時に強手を放つのはこれまた大山将棋の特徴の一つである。
そして王手竜を保留して▲6六角は自玉の安全を優先している。戦いながら自然に玉が堅くなっていくのである。
お互い今で言う米長玉になったのも驚きだが、結局は私の駒損がひびいたようである。まあ私自身悔いが残るとすれば△1九竜で△3七歩成がどうだったかというところである。
実のところ、この時の九段戦は時の第一人者にどの程度迫れるのかという気持ちが強く、気合において少々欠けるものがあった。それが思いもかけず立ち上がり2連勝したり3対3になったりで、急に欲が出たのである。
しかしこうなったら負けられない気持ちは大山十五世にあってより数倍私より強いわけだ。
7局目お互いの疑問手はとにかく、気迫は伝わるものがあった。
指し手は進んで8図。
△7四金打は7五角を追って打った手、続いて▲6六角に△7三金引(9図)。この手に私は参った。
乱戦の最中に指せる手かどうか、私は生まれ変わっても指せそうにない。
その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。
相手に手を渡して待つ、一度目のチャンスは見送るというが、必ず二度目が来る信念があればこその見送りである。
よほどの精神力と技術を持たなければ成し得まい。
(以下略)
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冒頭の写真は、将棋マガジン同じ号のグラビア「追悼!大山康晴十五世名人 思い出のアルバム」から大山-二上戦。昭和40年代の十段戦七番勝負と思われる。
左から金易二郎名誉九段、塚田正夫九段、二人おいて山本武雄八段(観戦記者:陣太鼓)。(段位は当時)
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6図からの▲5五角は大山十五世名人のイメージとはかけ離れた派手な手だが、△2六竜び対し、▲4四角の王手竜取りに行かず▲6六角と金の方を取るのが大山流。
目の前に、フォアグラの乗ったステーキとお粥があって、躊躇なくお粥を選ぶような感覚。
そして、自然に玉が堅くなっている。
恐ろしい。
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二上達也八段(当時)は昭和30年代、打倒大山の一番手と目されていたが、大山康晴十五世名人の厚い壁に阻まれた。
二上九段は、升田幸三実力制第四代名人には対戦成績で分が良かったものの、大山十五世名人は苦手としていた。
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「今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする」
”勝負付け”は「勝負の結果を書いたもの」という意味。
「乱戦の最中に指せる手かどうか、私は生まれ変わっても指せそうにない」
それほど△7三金引(9図)が強烈だったということになる。
絵に描いたような大山流の一手だ。
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「私もかなり善戦した時期があったけれど、性格を含めてクセを覚えられて、どうもうまく行かなくなった」
対局の前夜の食事会などで、大山十五世名人は二上九段に、「あなたは飲めるんだから飲みなさい」と言って酒をどんどん注いでくれるようなこともあったという。