家が遠かったにもかかわらず記録係を快く引き受けた三浦弘行三段(当時)

近代将棋1992年11月号、大野八一雄五段(当時)の「奨励会三段リーグ戦」より。

 第11回三段リーグの最終戦が9月18日東京将棋会館にて一斉に行われた。

 この日は、朝からNHK衛星放送のカメラが入った。

 カメラが追いかけているのは伊藤三段である。

「煙が目にしみる」というドラマが話題になったことを記憶されている人は多いかと思う。

 このドラマは、若くして三段になったものの、その後なかなか昇がることが出来ず、年齢制限での退会が目前に迫る。結局、ぎりぎりのところでハッピーエンドになる訳だが、勝負の世界ではそうなる事はまずない。

 それが、まるでドラマのようになった。

 能、本当におめでとう。

 伊藤能新四段は、奨励会幹事である私と神谷六段と昭和50年11月同期で奨励会に入会した。

 能とは17年の付き合いになる。

 幹事の立場で私情をはさんではいけないのだが能の成績だけは気になっていた。

 当人もこの数年は昇がれないだろうと思っていたと言うが本音だったと思う。

 これからは、うまい酒がいっしょに飲めることがうれしい。

 もう一人の昇段者は、三浦弘行新四段。

 三浦は将棋会館から3時間近くかかるところに住んでおり、例会日の遠征はさぞ大変だったことだと思う。

 彼には、無理に記録を頼んだことが何度かあった。その度、記録料分の赤字を出して記録をとっていてくれた。

 途中からは、君はとらなくてもいいと言ったのだが、それでも、とってくれた。

 こういう人間が昇るのは当然である。

(以下略)

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将棋世界1992年11月号より。

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伊藤能四段(当時)は、30歳での四段昇段。

この当時の規定で、年齢制限最終期の前の期での昇段で、大きな話題となった。

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三浦弘行四段(当時)は18歳での四段昇段。

「三浦は将棋会館から3時間近くかかるところに住んでおり、例会日の遠征はさぞ大変だったことだと思う。彼には、無理に記録を頼んだことが何度かあった。その度、記録料分の赤字を出して記録をとっていてくれた。途中からは、君はとらなくてもいいと言ったのだが、それでも、とってくれた」

三浦弘行三段(当時)の新幹線最寄駅は高崎駅。

交通費などが記録料の倍かかったということになる。

もちろん、それほど回数は多くなかっただろうが、三浦九段らしいほのぼのとしたエピソードだ。

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この時点で、誰もが羽生善治棋王(当時)が3年半後に七冠王になるとまでは考えていなかったし、更にその5ヶ月半後に三浦四段が七冠の一角を切り崩すことも、誰も考えていなかったこと。

今から見ると、近い未来に待っている誰もが予想できないドラマに向かって走り始めた1992年の秋だったということになる。

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三浦弘行四段(当時)四段昇段の記「死ぬ気で掴んだ勝利」

三浦弘行九段の修行時代(前編)

三浦弘行九段の修行時代(後編)

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