将棋世界1993年6月号、深浦康市四段(当時)の第11回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負第3局〔対 米長邦雄九段〕自戦記「和服の裾を踏む」より。
自分はかなり運がいい………
こう思ったのは準決勝の中村修七段戦が終わった直後である。
全日本プロトーナメント決勝五番勝負に進出したのである。決勝進出という事で一番嬉しいのは、四段にとっての破格の賞金でもなく、名前が出る事でもない。
一番嬉しいのは米長九段と番勝負を戦える事である。
一局だけでは相手の実力、棋風は熟知する事はできないが、番勝負を争う事によって相手に強さを嫌という程、知らされるだろう。
勝負は当然、度外視である。四段になってから1年半のこの時期こそ、トッププロの実力を知る事が大切だと思っている。頂上の高さがわかれば、それに向かって一目散に登っていけばいい。
四段になってまもなく、米長九段と番勝負を戦える事に強運を感じる。3番以上教わりたい、という願望も強かった。
第1局は東京広尾「羽沢ガーデン」。有名な「名人戦の間」で対局できた事を誇りに思う。
戦型は後手の米長九段の矢倉中飛車。
終盤、勝ちの局面もあったが、序中盤の時間の使い過ぎで自滅してしまった。
終わって数日後、後援会の方から「周りの雰囲気にのまれているのでは?」というはがきを頂き、「ああ、そうだったのか」と思った。対局前に抱負を聞かれて、「自分の実力を試したい」と言った以上、自分の将棋を指さなければいけない、と反省した。
第2局は大阪「芝苑」。美人の仲居さんが多く、快いサービスを受けた。
戦型は先手米長九段の森下システム。
後手番でもある事だし、当分受けに徹してみよう、という方針で指していた。
ずっと受けているので調子が狂ったのだろう。終盤、米長九段に悪手が出て、幸運な勝利を掴む事ができた。
これも一枚のはがきのおかげだと思っている。ファンは有難いものである。
1勝できた事は正直ほっとした。口の悪い奨励会員に「3連敗なら俺でもできる」と言われる心配がなくなったからである。次は「第2局の勝利は1勝と見做されない」と言われないように頑張らなくてはいけない。第2局は4月1日、エイプリルフールである。
(中略)
幕末志士の心境で
第1局で和服を初めて着た。やはり慣れるまでは苦労しそうだ。もともとスーツが嫌いなタイプなので、和服の方がしっくりとくる感じである。和服が似合うと人に言われるとちょっと嬉しい。
修善寺「鬼の栖」は石亭グループの中の一つ。日本庭園が広がり、庭全体に連なる池には鯉が悠々と泳いでいる。
朝、その素晴らしい庭園の中を、和服で大きく胸をはって対局場に向かう。何だか幕末の志士のような気分だった。
戦型は第1局に続いて、後手米長九段の矢倉中飛車。後手番でも積極的だ。
そして1図。次の一手で早くも作戦負けの予感が走った。
1図以下の指し手
△6二玉▲7九角△5一飛▲4六角△7三桂▲6七金右△5三銀▲2八飛△4四角(2図)▲5五歩△5四歩▲5六金△3三桂▲5七銀△2六歩▲6八銀右△2一飛▲2四歩(3図)辛抱の時
△6二玉。これが43分も使われただけあって好着想だった。この手を見て▲2四歩の歩交換が軽率だと思った。
△6二玉の後、△5一飛と深く引き△4四角(2図)と軽くかわす。
これで後手の作戦勝ち。▲5五歩は銀を使わせない苦心の一手でがあるが、やはり▲5六金の形はつらい。▲6八銀右は更につらい。右桂が使えないのは最高につらい。
今はじっと辛抱の時である………。
3図以下の指し手
△5五歩▲同金△同角▲同角△2四飛▲1五角△2三飛▲2四歩△2一飛▲2六角△2七歩▲同飛△3五歩▲同角△4四銀▲同角左△同歩▲2三歩成(4図)90%の確率
修善寺は温泉でも有名である。温泉好きの私(温泉つきの旅行と誘われれば、90%の確率で行く事に決めている)としては鬼の栖の露天風呂は良かった。やはり夜空を見ながら入る温泉は最高だ。
やはり△5五歩。こうなると▲2六角まではほぼ一本道だろう。ただこの順は、2六歩の拠点を手順に取れるのでやって来ない気はしていた。
しかし、△2七歩~△3五歩が手筋で形勢は良くない。
4図以下の指し手
△4五角▲2八飛△2三飛▲2四歩△2一飛▲6七銀△7二玉▲5四歩△同角▲7五歩△同歩▲7四歩△同銀(5図)遅ればせながら
なぜこういう展開になったのだろう。▲2八飛や▲6七銀とつらい辛抱が続く。
対局中にその原因を考えてみると……、そうだ、問題なのは序盤早々に作戦負けをしてしまうからだ。やはり米長九段は序盤巧者である。これは森下七段との共同研究の成果かもしれない。
久々に反撃に転じる。▲5四歩から▲7五歩である。やはり将棋は攻めなくてはいけない。
5図以下の指し手
▲5三銀△4五角▲4四銀成△1二角▲5四成銀△5七歩▲6四成銀△6三金▲7四成銀△同金▲5六歩△2七歩▲同飛△5八銀▲6八玉△4四歩(6図)二本の白扇
第1局の時の話。対局が始まってしばらくして気付いたのだが、お互いに白扇だった。
自分としては初めての大舞台でもあるのだし、白紙の状態で臨もうという事で白扇を新調したものだった。米長九段も前々から”18歳四段”を意識されていたように、同じ気持ちだったのかもしれない。背筋が無意識に伸びていた。
また、この第3局は紋服で臨んだ。
これは地元の後援会の方達から作って頂いたもので、この紋服を着たらむざむざと負けられないような気持ちになった。
袴は花村先生の奥様から頂いたものでそういう見えない力が本譜の粘りを生んだのかもしれない。
▲5三銀が狙いの一手で良くなったかと思ったが、△4五角が当然ながら好手で形勢は好転してくれない。
そして▲5六歩が悪手。ここは▲5三角成と馬を作る一手だった。
△2七歩から決めるだけ決めて△4四歩。よく見ると敗勢になっていた。
6図以下の指し手
▲2八飛△2七歩▲4八飛△5一飛▲7九玉△6七銀成▲同金△4五銀▲2三銀△同金▲同歩成△同角▲5五金△5九銀(7図)本能のささやき
▲2八飛以下は泣きたくなるような手順ではあるが、攻め合うとすぐに負けてしまうので仕方がない。
しかし△4五銀は疑問手で△5五銀が勝った。本譜の▲5五金は打てず▲4四角も防いでいるから、後手勝勢と言える。
△5九銀で最終盤戦の始まり。形勢はやや不利。
本能が「ココシカナイ、ココシカナイ」と囃したてる。
7図以下の指し手
▲4四角△5五飛▲3三角成△5六銀▲2三馬△6七銀成▲同馬△4八銀成▲3三角(8図)のん気に構える
▲4四角は勝負手。飛車が逃げていると、△5五飛~△5六銀で簡単に負けてしまう。
△5五飛もそう来られるような気がしていた。対して▲同歩は△4八銀成▲2一飛△3四角で負け。▲同角も△4八銀成▲3三角成△4九飛ぐらいで負け。
本譜▲3三角成が勝負手第2弾。△4八銀成なら▲5五馬と引く。5五馬が急所の位置である。
△5三飛かとも思ったが、本譜は△5六銀。勢いはこうだろう。
指しづらい手だが、△4八銀成と飛車を取る所で、一本△7六歩と突き出す手があった。▲9五桂を消しつつの銀取りは、米長九段の指摘である。これは先手負け。
△7六歩がプロ好みの決め手なら、8図でアマ好みの派手な決め手があった。しばしお考え頂きたい。
当の自分は何も気付いておらず、持ち駒が増えた事に喜びを感じていた。こののん気さが幸運を呼んだのか?
8図以下の指し手
△5二飛▲5三歩△3二飛▲4四角成△5八歩成▲6三銀△8一玉▲7四銀成△6八金▲同銀△6九金▲8八玉△6八と▲4五馬上△7二金▲7一金(投了図)
まで、131手で深浦の勝ち最高に充実
8図より△6九飛という手があった。
取る一手だが△8八金(参考図)が好手で必至である。
▲同銀は△5八歩成以下詰んでしまうし、後手玉に詰みはない。
将棋には派手な手があるものだ。
本譜は△5二飛。これでも悪くないが後の△5八歩成が敗着。△8五桂としておけば後手が残っていた。
▲6三銀。一手だけで将棋が終わった。辛抱した甲斐があったなあ、と思ったのと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。
一局を振り返って、課題として残ったのは序盤。不本意な辛抱は序盤の作戦負けのせいである。
だけれども、その辛抱と米長九段の読みが合わなかったのも事実だ。という事は、今後もわざと作戦負けして辛抱した方がいいのかも………?
幸運な勝利で2勝1敗となった。
追いつめた、という気はない。当然、追いつめられてもいない。ただ、第4局、第5局と一局一局を大切に指すだけである。
今、最高に充実している。将棋の内容は今ひとつだが、気の充実は大きい。
繰り返しになってしまうが、初めての大舞台で、米長九段と五番勝負を争える事に幸せを感じる。今のこの幸せを大事にしたい。
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「勝負は当然、度外視である。四段になってから1年半のこの時期こそ、トッププロの実力を知る事が大切だと思っている。頂上の高さがわかれば、それに向かって一目散に登っていけばいい」
「志の高さ」というのは、まさにこのようなことを言うのだろう。
深浦康市四段(当時)の非常に素晴らしい取り組み姿勢だ。
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「やはり▲5六金の形はつらい。▲6八銀右は更につらい。右桂が使えないのは最高につらい」
辛いということが、切実に伝わってくる。
この一局は、深浦四段の辛抱が非常に長く続き、最後にその辛抱が実った形。
深浦陣の駒と持ち駒すべてに、「根性」という文字が彫り込まれているような棋譜だと思う。
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「1勝できた事は正直ほっとした。口の悪い奨励会員に「3連敗なら俺でもできる」と言われる心配がなくなったからである」
深浦四段と奨励会員というと思い出すのは次のエピソード。
鈴木大介九段は決して口は悪くないけれども、深浦四段と鈴木大介三段(当時)が親しかったので、ここでの「口の悪い奨励会員」は鈴木大介三段である可能性も少し残されている。
いろいろと調べてみると、この少し前に、王将戦七番勝負で4連敗した村山聖六段(当時)が
「弱すぎる!『反省だけならサルでもできる』という宣伝がありましたが、『4連敗ならオレにもできる』とある人に言われました」と週刊将棋に談話を寄せている。
また、昨年、木村一基王位がラジオに出演した際に、2005年の竜王戦七番勝負を終わった後に「4連敗ならだれでもできる」と言われたという話をしている。
→将棋ファン全てに愛される『将棋の強いおじさん』 木村一基王位登場に乾さん大興奮!!(ニッポン放送 ラジオビバリー昼ズ)
「◯連敗なら俺でもできる」は、意外と、使われる機会のあった言葉なのかもしれない。