「ことしの正月、植山家に森内俊之六段と佐藤康光六段が遊びにきた」

将棋マガジン1993年7月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳:中井広恵 ママさん棋士の正念場」より。

アルコール抜きの団欒

 毎日新聞夕刊の将棋欄に、よく棋士の自戦記が載る。なかには、将棋の内容にまったく関係のない自戦記もあって、これが、なかなかおもしろい。

 島朗七段が20歳そこそこのころ、シティボーイたらんと努力していることも、この欄で知った。センスのいい文章にも感心した。以後、ずっと島の文章に注目してきた。いまや、その島も30歳、分別のある文章を書くようになった。

(中略)

 最近では、植山悦行五段の自戦記が傑作だった。ことしの正月、植山家に森内俊之六段と佐藤康光六段が遊びにきた。この両者にかぎらず、チョンガー棋士がよく泊まりがけで遊びに行くらしい。集まれば、麻雀やらなにやら室内ゲームをする。その日も、ひと遊びしたところで、大阪の阿部隆六段に電話をかけた。くるはずもないのを承知で、ためしに、遊びにこないかと誘ってみた。ところが、なんと阿部はのこのこやってきた―。

 このくだりを読んで、私は半ば呆れ、半ば感心した。阿部が大阪からわざわざ行きたくなるくらいだから、植山家は、よほど居心地がいいにちがいない。また、後輩たちに、そういう団欒の場を提供する植山という棋士を見直した。失礼ながら植山については、中井広恵女流名人・王位の亭主という以外は、ほとんど知らなかった。後輩の面倒をよくみる人徳の持ち主であることを、初めて知った。広恵夫人は子持ちの身で、客の接待にたいへんだろうなとも思った。

 お節介ながら、当日の模様を中井に聞いてみた。阿部に電話して、どうせくるわけがないから、かわるがわる勝手なことをいった。電話を切ったら、折返し阿部からかかってきて、「これから行きます」といってきた。これには一同、唖然としたという。

 遠来の客を迎えて、しかも正月である。さぞやにぎやかに酒宴がはじまったろうと思いたくなるのだが、これが、そうではない。ちょっとビールを飲んだ程度で、あとは、せっせとゲームに励んだ。このスタイルが、ふだんから植山家の”パーティ”の習わしになっている。

 ホストの植山は、コップ一杯のビールも飲めない。寝る前に、ウイスキーボンボンをしゃぶると、寝酒みたくに眠くなるそうだ。客の常連も、付き合い程度には飲むけれど、ひとりで飲みにいくほどのノンベエはいないから、酒がなくても、いっこうに困らない。下戸のホストを中心に、ちゃんと団欒の場ができあがる。

 このへんに、植山家のパーティが長続きしている秘密があるらしい。それは、そうでしょう。いつもいつも泊りがけで、ドンチャン騒ぎをされたら、たいていの夫婦は音を上げてしまう。客のほうも酔いが醒めれば、迷惑をかけていることを、いやでも知るから、しぜんに足が遠のく。

保護者みたいな感じで

 森内や佐藤が、酒を飲んでどうしたという話は、まだ聞いたことがない。植山家の常連客のひとりである郷田真隆王位にしても、飲めば強いらしいが、自ら率先して飲みにいくほどの酒好きではないらしい。

 たしかに、手間のかからない客たちにはちがいないが、接待する側としては、けっこういそがしいはずだ。いささか中井に同情したが、ご当人は「もう慣れていますから」とケロッとしている。ふとんとパジャマは、客用を何人分か用意してある。料理も、つくりさえすれば、うまかろうがまずかろうが、なんでも食べてくれるから、気をつかう必要がないという。

 植山は独身のころから、若い奨励会員の面倒をよくみた。研究会を開き、話し相手にもなった。もちろん、そのなかに中井もいた。

 結婚して、新居のマンションは、独身時代のアパートよりも広くなった。炊事当番もつねにいるから、客を呼ぶにも都合がいい。中井も、それを承知で結婚した。むしろ、後輩の面倒見がいい植山に惹かれて、結婚したといったほうが正確かもしれない。

 中井は北海道・稚内の出身である。実家から、よく海産物を送ってくる。夫婦では食べきれないから、常連客に声をかける。これに味をしめて、「なにかうまいもの、きてませんか」と電話をかけてくる若手棋士もいるそうだ。ホステスのほうは、もてあましぎみのようすはさらさらみせず、「わが家は客がくるのは大歓迎ですから」と平然としている。

 夫唱婦随の見本みたいな夫婦だが、結婚前から、この路線は決まっていたといってもいい。ふたりは年齢が一回りちがう。おまけに、佐瀬勇次八段門下の先輩・後輩でもある。ただの恋愛感情以外のものがはいってきて、とうぜんだろう。中井も婚約時代の植山について「兄というか、保護者というか、そんな感じでした」ともらしている。

(中略)

 そのころ、私は、ずいぶん若い奥さんが誕生したものだと思った。初々しいのを通り越して、当時の中井は、もともと小柄なせいもあって、ただただ若いという感じがした。だからこそ、後輩連中も遊びにいきやすいのだろう。結婚して妙に落ち着いたりしたら、かえって行きにくくなったにちがいない。後輩の面倒見がいい植山にすれば、はまり役の奥さんをもらったということになる。

 中井は結婚後も約1年間、奨励会をやめなかった。昨年、一女の母になったが、それまでは、こと将棋に関しては、もっとも充実した時期だった。棋譜の検討をしながら、必要とあれば、いつでも植山の意見を求められる。植山の検討にも付き合う。植山が自宅で開いた研究会にも加わった。

 しかし、子どもができてからは、さすがにそうもいかなくなった。ゆっくり盤に向かえるのは、夜、子どもが寝てからになる。自宅の研究会も中断した。

 ふだんの生活も、子ども中心にならざるをえない。中井は「勉強量が減ったのが悩みのタネです」と嘆いているが、そのいっぽうで、「子どもができて、精神的拠りどころもできました」といっている。

(以下略)

将棋マガジン同じ号より。

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「大阪の阿部隆六段に電話をかけた。くるはずもないのを承知で、ためしに、遊びにこないかと誘ってみた。ところが、なんと阿部はのこのこやってきた」

このことについては、阿部隆六段(当時)が随筆に書いている。

「今、森内がウチに来てるんだよ。後から康光も来て、明日になれば郷ちゃんも来るんだけど」

やはり、大阪から時間と交通費をかけても行きたくなるような雰囲気だったことがわかる。

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「植山家のパーティが長続きしている秘密があるらしい。それは、そうでしょう。いつもいつも泊りがけで、ドンチャン騒ぎをされたら、たいていの夫婦は音を上げてしまう。客のほうも酔いが醒めれば、迷惑をかけていることを、いやでも知るから、しぜんに足が遠のく」

たしかに、ホスト役が飲めなければ、飲める人でもかなり手加減をするというか、あまり飲まないものだ。

自宅の宴会は、奥様にかなり負担がかかる。

やはり、ホスト役が飲めないのが自宅パーティを長続きさせる秘訣、というのはとても説得力がある。

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「中井も、それを承知で結婚した。むしろ、後輩の面倒見がいい植山に惹かれて、結婚したといったほうが正確かもしれない」

この当時の植山家はマンションだったが、その後、引っ越しをして、更に広い環境になっている。

若手棋士が遊びに行った家

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「子どもができて、精神的拠りどころもできました」

中井広恵女流六段は、この後もお嬢さんが二人誕生して、なおかつ獲得するタイトル数もどんどん増やしていくことになる。