近代将棋1993年9月号、五十嵐豊一九段の「手の見つけ方、考え方」より。
「遊びゴマ」とは、盤上にあって、活躍できないでいるコマのことである。このようなコマをこしらえて、形勢が有利に展開するわけはない。常に遊びゴマを作らぬよう心掛けるだけで、あなたの勝率がぐんと高まること請け合いである。
高段戦で5図の局面を見た。すでに先手の8筋には火の手があがっている。
このあと、まともに△8七歩成から△7七とと攻められては、彼我の飛車の働きに格段の差が生ずるので、先手はまったく勝ち目がなくなってしまう。
このような戦況になると、味方の悪いところばかりがちらついて、つい大局を見ることがお留守になりがちだ。自戒の意味も込めて、くれぐれもお気をつけ願っておく。
先手は秀抜な大局観で、5図の危機を見事に切り抜けた。
5図からの指し手
▲3七桂△8七歩成▲4五桂△4四銀▲6四飛△同歩▲7三銀△8三飛▲6四銀成(6図)となって先手優勢。遊びゴマの活用とはいえ、この忙しい局面で▲3七桂とは恐れ入った感覚である。
▲4五桂と打たないで、盤面のコマを起用すれば、持ちゴマの桂は、ほかに使えるという理屈である。が、そうはいっても、なかなか実行できる着手ではない。
後手の△8七歩成で△4四歩は▲4五歩。また△4四銀で△6二銀は▲7一銀(B図)で、いずれも先手の攻めに調子がつく。
相手の歩と刺し違える▲6四飛捨てが、先手の秘めたる狙いだった。大ゴマを必要以上に大事にする初級者には、想像もつかぬ着眼ではあるまいか。
ともあれ、自陣でいじめられそうになっている飛車を、このように有効に活用できるのは、先手にとって大変な戦果である。
それもこれも、先手の玉が美濃の堅陣におさまっているからこそ、成立する攻め手であるといってよい。「玉を囲って戦い開始」とは、よくぞ言ったものだ。
6図の局面をご覧になっていただこう。
コマの損得はともかく、先手の陣営には、遊びゴマと覚しきものは見当たらない。
それにひきかえ、後手側は”7八成桂”と”8七と”が遊んでいるばかりか、味方の飛車の侵入をさまたげているのが、大きな痛手になっている。
実戦では6図のあと、△6八飛▲7四成銀△8五飛▲6四桂と進行して、以下いくばくもなく先手の勝ちとなった。▲6四桂が実現したのも、桂を手持ちにした▲3七桂ハネの着想のよさにあることは、お認めいただけると思う。なお、本局の先手の対局者は、故・大山十五世名人である。
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5三の銀を移動させて、▲6四飛△同歩▲7三銀を狙うなど、まず思いつかない。
それ以前に、それならすぐに▲4五桂と打ちたくなるものだが、そこを性急にならずにじっと▲3七桂。
目の前で天ぷらの油が燃え上がっている時に、台所にある消火器を使うのではなく、物置に置いてある消火器を取りに行くような光景だ。
このような至芸は、10回生まれ変わってもできないような感じがする。
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そもそも、「後手の△8七歩成で△4四歩は▲4五歩で、先手の攻めに調子がつく」と書かれているものの、▲4五歩の後の展開が読めない。
「一度目のチャンスは見送る」というのが大山流だが、今回は一手だけチャンスを見送る時間差攻撃。
このような地味な手(▲3七桂)と過激な手(▲6四飛)の組み合わせ、大山康晴十五世名人の将棋の奥深さを更に強く感じさせられる。