羽生善治三冠(当時)「面白いとも言えるし、くたびれるとも言える」

将棋マガジン1993年9月号、羽生善治三冠(当時)の「今月のハブの眼」より。

将棋マガジン同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

 6月は梅雨の季節。

 うっとうしい天気が続いています。先日も雨の日、道路を歩いていると、後ろからクルマがやって来ました。

 よけようとして、道路の端に寄ったのですが、足元を注意していなかったために水たまりにバシャ。

 これだから梅雨は嫌いだ。

 さて、今月は6局対局があった。

 この季節にしては多いほうだと思う。それがすべて5時間以上の長時間の持ち時間の対局。

 珍しいこともあるものだ。

 やはり、夕食休憩の有無は疲労度が違う。

 それだけ充実感もあるが。

 今月の1局目は、6月4日に行われた、王位リーグ、加藤一二三九段との一戦から。

 この日はリーグ最終局とあって、一斉に行われた。

 そして、大広間3部屋すべて王位戦の対局、こういう緊張感は何とも言えず良いものだ。

 私の状況は、勝てばプレーオフ進出、負ければ残留が危ない状況。

 まさに天国と地獄という感じだが、他の勝負の結果も自分に影響しているのではっきりはしていない。

 そのあたりがリーグ戦の面白い所だ。

 さて、局面は私の先手で、ひねり飛車を目指して来たのに対し、加藤九段が△4四角と指した所。

 この△4四角で△3三金なら穏やかなのだが、少しでも得をしようというのが△4四角。

 私はこの局面で長考した。

 歩を取ってみろと言われているのだから、気合いからいっても▲3四飛と指したい。

 しかし、△9五歩と指されると自信がない。

 △3五歩なら▲6五桂で、△8七歩▲9七角△7六飛なら▲8三歩で、これらの変化は自信があるが…。

 そこで一回、▲8七歩としてから▲3四飛としたが、これが良くなかった。

 ▲8七歩△8四飛▲3四飛△3五歩▲6五桂△5四飛となってみると先手に手がない。

 特に最後の△5四飛が好手で、これで先手の動きをすべて封じ込めている。

 苦しくなった原因は▲8七歩の弱気で、とにかく、1図では▲3四飛と指すべきだった。

 色々と考えているうちに、臆病風に吹かれた感じ。

 しかし、勝負は終盤、相手のミスに助けられて逆転勝ち。

 大きな1勝だった。

 2局目は6月19日の棋聖戦第1局、谷川浩司棋聖との一戦から。

 谷川先生とはかれこれ、30局以上指している。

 一番多い戦型は、やはり、矢倉だ。本局でも矢倉となったが、その中でも相雀刺しという珍しい形になった。最近、先手番での雀刺しが時々指されていて、高い勝率をあげている。一時期は大流行したこの戦法も、約半年前では全く指されなくなっていたのだが、見直されて来たようだ。

 昔の歌謡曲がリバイバルされるのと似ているかもしれない。

 そして、この雀刺しに対する対策が難しいのだ。

 もちろん、昔、流行した時から少し改良してある。

 従来の対抗策ではなかなかうまく行かない。

 後手番になった時に雀刺しを指されたらどうしようと戦々恐々としていたが、幸い(?)本局は先手になったので、早速採用した次第。

 谷川先生がどんな対策で来るか楽しみだったのだが、相雀刺しとは意外だった。

 というのも、改良型雀刺しの1号局は高橋-郷田戦でそれも相雀刺しとなり、高橋九段が勝っている。

 その後の後手の雀刺し対策は別の形で色々と指されていたので、相雀刺しは先手が良くなるのではと私は思っていたのだ。

 ところが、実際に指されてみると先手が作戦勝ちをするのは難しい。

 私の序盤の組み立てに問題があったのかもしれないが、気がつくと端を攻める展開にはならなくなっていた。夕食休憩まではゆっくりとしたペースで進んでいたのだが、再開後、攻め合いになり、一気に終盤戦に突入した。

 2図がその局面で、今、△8六香と銀を取った所。

 先手玉は金銀3枚で囲って堅いが、やや攻め駒不足。

 後手玉は裸で気持ちの悪い所だが、場合によると入玉の可能性もある。2図ではとりあえず、駒の補充と▲8六同歩と指したのが悪かった。

 すかさず、△8七歩▲同玉△8五歩とされ、この後もきわどい局面にはなったが、しっかりと読み切られてしまった。

 2図では▲3五飛△同歩▲3四金と勝負すべきで、以下、△4二歩▲4三歩成△同歩▲4四歩△同歩▲4三角△4二玉(3図)の展開が予想される。この局面がまた難しい局面で、▲2一角成か▲5三歩か。

 どちらも先手勝ちとは言えないまでも、本譜よりは良かったと思う。

 それにしても、谷川先生との対局では、いつもこんな感じの難解な終盤戦となる。

 面白いとも言えるし、くたびれるとも言える。

(以下略)

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「これだから梅雨は嫌いだ」

羽生善治九段としては非常に珍しい否定的表現。

それだけ、梅雨が嫌いということなのだろう。

たしかに、雪の降る季節が好きだという人はいても、梅雨を好きな人はあまりいない。

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「この日はリーグ最終局とあって、一斉に行われた。そして、大広間3部屋すべて王位戦の対局、こういう緊張感は何とも言えず良いものだ」

6月13日の王位リーグ戦最終局も同じような雰囲気だったことだろう。

羽生三冠(当時)はこの期の王位戦挑戦者となり、王位を獲得し五冠王(その少し前に棋聖位を獲得)となっている。

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「苦しくなった原因は▲8七歩の弱気で、とにかく、1図では▲3四飛と指すべきだった。色々と考えているうちに、臆病風に吹かれた感じ」

羽生九段の好きな言葉は「運命は勇者に微笑む」だが、このような積み重ねも土台になっているのかもしれない。

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「後手番になった時に雀刺しを指されたらどうしようと戦々恐々としていたが」

羽生九段でもこのようなことがあったのかと、ビックリするとともに微笑ましくなる。

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「それにしても、谷川先生との対局では、いつもこんな感じの難解な終盤戦となる。面白いとも言えるし、くたびれるとも言える」

本当の実感なのだろう。

谷川浩司二冠(当時)も同じことを感じていたに違いない。

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この時に取り上げた3局目(王位戦挑戦者決定戦 対 高橋道雄九段)も逆転勝ち。

どうも4図は後手が悪そうだ。

しかし、勝負は逆転勝ち。

ん?1局目と似ているなあ。

と結ばれている。