「彼は極端である。なんでもないところを大長考し、すごいところをノータイムで指す」

将棋マガジン1994年10月号、内藤國雄九段の第35期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕観戦記「短手数は面白い」より。(以下、青い文字

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は中野英伴さん。

2図以下の指し手
▲3四同飛120△7四歩78▲同歩73△7六歩166(3図)

 この長考の連続は、阪田対木村、南禅寺の決戦を思い出される。あのときは163分、360分、128分、84分、102分という連続5長考。阪田王将の1手360分には驚かされるが、当時の持ち時間は各30時間、今は8時間だから相対的には今回の方が遥かに長いといえる。私もタイトル戦の立会人を何度か務めてきたが、このようなことは初めてである。時間を使ってしまい、終盤で秒を読まれることを考えれば、程々のところで読みを打ち切るのが普通だ。

 先手▲3六飛とした以上3四の歩は取る一手。後手が一歩損したのは角筋を通して7筋から急戦を仕掛けるため。したがって△7四歩~△7六歩は予定。こういう考え方をすればこの辺はノータイムでも指せるところである。

 終盤に時間を残しておこうという配慮がまるでないのは、二人とも秒読みを少しも苦にしていないからであろう。

将棋世界1994年10月号、郷田真隆五段(当時)第35期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕自戦解説「新手の成否」より。記は野口健二さん。(以下、赤い文字

―羽生王位も▲3四同飛に120分の大長考でした。感想戦では、この辺りは必然の応酬というような印象でしたが。

郷田 ▲3四同飛と取った後はもう必然なんですね。取らないで▲8五歩とか、あるいは内藤先生がおっしゃっていた▲3九玉ならば、△4四角と上がるような違った展開になるかもしれません。△4四角と上がると▲3四飛に△3五歩とフタをする手があるので、簡単に取れなくなります。ただ、羽生さんが考えられているので、取られるんじゃないかという気はしていました。この辺は長考に次ぐ長考です。立会の西川六段にも言われましたが、プロが見れば、まあアマチュアの方でもそうかもしれないですが(笑)、この時間の使い方はおかしいなというのは当然の心理で、確かにおかしいんですけど。本当のところは、今は言いません。ただ、以降の進展を深く読んだことは事実です。

―△7四歩が封じ手でした。

郷田 もうこれは、取られた以上突く一手なんですけどね。例えば△4四角だと▲3六飛と引かれて、まるまる一歩損で3四のキズもひどく、後手がだいぶ苦しくなります。

―ところで、2日目の朝は食事をとらなかったそうですが。

郷田 単に寝坊しただけです(笑)。だいたい食事はとるんですけどね。

―それは局面のことを考えて寝付けなかったとか。

郷田 いや、もう局面のことはほとんど考えてないです。

―2日目が始まって、また73分の長考で▲7四同歩。

郷田 一応▲3六飛と引く手があるんです。ただこれは△7五歩と取って、以下▲9七角△7四銀▲7六歩△同歩▲6四角△8九飛成▲7六飛△7五歩▲5六飛△5二金▲9一角成△7七角成▲同金△7九竜(a図)

 a図はもちろん難しいのですが、現実に金取りになっていて、王様が薄いので、先手としては少し指しにくい順かもしれません。ただ、これは一例で、他にもいろいろ変化するところはありそうです。もっとも▲7四同歩で悪くないと考えられたのかもしれないですね。

―ここでまた昼休をはさんで166分の大長考で△7六歩(3図)。

郷田 ここも、もちろん以下の進展を深く読みました。いずれ、この辺りの手順とか研究を含めて、言うことがあるかもしれません。

―1日目の午後が封じ手を入れて4手、2日目の午前中は「平成の南禅寺の決戦」という声も上がっていました。

郷田 (笑)。

―△7六歩が指される前、控え室で「なぜこんなに考えるんですか」という問いに、内藤九段が言下に「楽しいからですよ」と応えていました。長考の最中は、局面によっては苦しい場合もあるのでしょうか。

郷田 いや、もちろん楽しいです。将棋が好きですから。考えることが苦しいということはあまりないですね。

―ペース配分に関しては、ここである程度深く読んでおけば、終盤に時間がなくなっても大丈夫と考えてのことですか。もちろん終盤に自信があるということもあるでしょうが。

郷田 いや、この将棋に関して言えば、局面自体が非常に読みやすい感じになっています。もうどちらかが明らかにいいはずで、読み切れるはずなんですね。ただ、そこがある意味ではまだレベルが低いのかもしれないし、将棋が難しいのかもしれませんけれど。それで時間がたったと。ある程度どちらかの形勢がよくなる展開まで進めば、局面のいい方に自然に分かりやすい指し手が出てきます。そういう意味では、形勢がどちらかに傾くと、時間が必要なくなるということはあります。ひねり飛車の特徴は、序盤のここ数手、▲7七桂に対して私が△4二玉と上がった手、それから△3四歩と突いた手、この辺りのほんの少しの形の違いで勝負が決まるといっても過言ではないですね。それで、どちらかが妥協すると、どちらかが作戦勝ちになる。ですからここは、お互いに妥協せず勝負しにいっています。

3図以下の指し手
▲6五桂6△7七歩成▲同角34△同角成1▲同金△6五歩(4図)

 ▲6五桂で▲7三桂成△同桂▲7四歩は、△7七歩成▲7三歩成△8八と▲8二と△7八と(A図)で先手が悪い。

 また△7七歩成を▲同金と取るのは△6五歩▲7三歩成△同桂▲7四歩△8七歩▲9七角△8五桂▲7三歩成△7七角成(この手が案外の好手、ここ△9七桂成は▲6八銀でむずかしくなる)▲8二と△9七桂成でやはり先手が苦戦となる。

 両者とも、思いきりのよさは共通している。悪いと分かれば行かないのは当然だが、どちらか分からないとき思い切り踏み込んでいくといったところがある。自信と若さに満ちて、冒険を恐れない。しかし郷田君の読みのリズムには独特の癖がある。普通のリズムをわざと外してみるということは、私らもたまにやるが、彼は極端である。なんでもないところを大長考し、すごいところをノータイムで指す。それは相手をうんざりさせたり、どきっとさせる心理的攪乱効果がある。

(さきの△3四歩に時間をかけるのは当然だ。が、△7四歩の78分、とくに△7六歩の166分というのが分からない。これしかない局面で2手に4時間もかけられては、人生の残り時間を気にする年配の棋士達は、戦う気も失せてしまうだろう)

 ただし、意識的にやると相手を歪める前に自分がおかしくなりかねない。彼がそうならないのは、おそらく早くからそういう習練をつんだか、天性的に長けているかのどちらかであろう。それは対中原戦でも効果があったようだが、羽生に対してはどうか。これまでの2局については通用しないという感じを与える。しかし今後のことは分からない。

途中図以下の指し手
▲7三歩成22△同桂▲7四歩(4図)

 △6五歩(途中図)では△8九飛成も少し考えました。以下▲7三歩成に△7九竜は▲6三とが詰めろなので、△7三同桂▲同桂成(c図)と進みます。

 ここで△7九竜は、▲6三成桂が▲5四桂△同歩▲5三銀△5一玉▲6二角△4一玉▲5二成桂△同金▲同銀成△同玉▲3二飛成の詰めろなので、以下△6八竜としても▲5八金で後手負けです。

 そこでc図で△5二銀▲7八銀を考えていました。ここで△9九竜は、▲8九歩と受けられてもあまり自信がなかった。これは本譜に比べると、後手の持駒に桂がないんですね。これははっきりこちらが悪いです。また△7九竜として次になんでも△7六歩という手も少し悪そうな感じです。▲9七角△9九竜▲6四角という手もありますし。こうなると6五にいた取れる桂馬で逆に桂馬を取られた上に、成桂を作られてますから。いずれにしても、こちらがよくなるという将棋ではないですね。ということで△6五歩と取りました。

4図以下の指し手
△8九飛成▲7八銀△9九竜▲7三歩成△5四銀▲2二歩△同金▲7五角(5図)

 4図で△8四飛と浮く手も目につくが、▲7三歩成△3四飛▲6三ととあっさり指されて後手よしとは言えない。

 △5四銀では△5二銀と引く方が堅そうに見える。王位は△5二銀なら▲2二歩△同銀▲6二と△同金▲5一角のような手を考えていたと言い、挑戦者は△5二銀とやれば▲8九歩と受けられ、そこで△7六歩と打っても▲8七金で効果がないのでやめたという。読みの確かな御両人の読みが全く合っていないのが面白い。

 ▲2二歩を△同金と応じた手が控え室の棋士達を驚かせた。△2二同銀と応じるのが自然で、それがなぜ悪いのか、誰にも分からなかった。

―超スローペースの序盤から一転して激しい中盤戦に突入しました。

郷田 △9九竜▲7三歩成までは本当に必然で、ここで△5二銀と△5四銀、両方ありますが、前の長考で決めていたのでノータイムで上がっていますね(笑)。△5二銀と引くと、▲8九歩と打たれるのがイヤでした。△7六歩は一発利きますが▲8七金と寄られて、9九竜が金銀によって押さえられてしまいます。対して3四飛は動きが楽なので、どこかに動いた時に▲3四桂と打たれて王手竜取りの筋もありそうですし。これはあまり自信がなかった。僕は▲8九歩でもちょっと苦しいかと思ったんですが、羽生さんが感想戦で指摘していた順は、▲2二歩△同銀に▲6二とが厳しい一手で、△同金に▲5一角。これは参考になる手筋だと思いますが、△同玉の一手に▲3二飛成となって、後手は金がないので、次に▲7四桂あるいは▲6四桂という非常にきつい手が残ります。これもギリギリだとは思いますけれども。どちらかがもう勝ちのはずなんですが(笑)、詳しく調べてみないと、ちょっとはっきりしないところがあります。こちらも自信があるという感じではないですね。

―△5四銀でも▲2二歩でした。

郷田 本譜もやはり▲2二歩がきつかったので、少し苦しいかもしれないですね。ですから△5四銀では、△5二銀の方が頑張れたかもしれません。ここで▲2二歩は、非常にいい手でしたね。△同銀なら、本譜と同じように▲7五角△4四角に▲5六桂が予定だったと羽生さんは言ってましたが、そこで△3三金と上がるのが面白い手で、▲4四桂△3四金の時に、金が先に逃げているんです(笑)。この手があって、実は▲5六桂は成立しないということが感想戦で分かりました。ただ、△2二同銀には、さっきと同じように▲6二とがあります。△同金ならやはり▲5一角。感想戦で村山七段が言っていた順は、▲6二とに△8四角と打ち、▲6一と△5六桂▲3九玉△3三銀▲5四飛△5七角成▲2八玉△5四歩▲6四角△5三香。そこで羽生さんが指摘した▲5八歩(d図)で、やはりこちらが自信ないですね。おそらく負けではないかと思います。

 それで、苦し紛れに△2二同金と取りました。それでも▲6二とはあるんですが、△2二同銀より少し懐が広いということがあります。例えば、△3三金と上がった時に、王様が3二に逃げやすいというように。

(つづく)

将棋世界1994年10月号より、撮影は中野英伴さん。

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「この長考の連続は、阪田対木村、南禅寺の決戦を思い出される。あのときは163分、360分、128分、84分、102分という連続5長考。阪田王将の1手360分には驚かされるが、当時の持ち時間は各30時間、今は8時間だから相対的には今回の方が遥かに長いといえる。私もタイトル戦の立会人を何度か務めてきたが、このようなことは初めてである」

羽生善治五冠(当時)も郷田真隆五段(当時)も、持ち時間30時間の対局だったなら、心置きなく360分クラスの長考が何度も行われていたと思う。

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「△7六歩が指される前、控え室で『なぜこんなに考えるんですか』という問いに、内藤九段が言下に『楽しいからですよ』と応えていました」

「いや、もちろん楽しいです。将棋が好きですから。考えることが苦しいということはあまりないですね」

考えるのが楽しい、ということは素晴らしいこと。

恋愛が始まった頃、朝起きてから夜寝る時まで、好きな相手のことを絶え間なく考えていても楽しいことと、将棋に魅せられた棋士にとっての長考は、似た世界なのに違いない。

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「どちらかが妥協すると、どちらかが作戦勝ちになる。ですからここは、お互いに妥協せず勝負しにいっています」

羽生-郷田戦で数多く見ることができる妥協なき応酬。

このような将棋は絶対に面白い。

郷田九段は、別の機会でも「一気に決めれば勝つ。長引くと負ける」など、とてもわかりやすい解説をしてくれる。

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「しかし郷田君の読みのリズムには独特の癖がある。普通のリズムをわざと外してみるということは、私らもたまにやるが、彼は極端である。なんでもないところを大長考し、すごいところをノータイムで指す」

「この時間の使い方はおかしいなというのは当然の心理で、確かにおかしいんですけど。本当のところは、今は言いません。ただ、以降の進展を深く読んだことは事実です」

以降の進展に加えて、もろもろ研究的なことも含めて読んでいるのだろうが、ミステリアスだ。

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「▲2二歩を△同金と応じた手が控え室の棋士達を驚かせた。△2二同銀と応じるのが自然で、それがなぜ悪いのか、誰にも分からなかった」

「それで、苦し紛れに△2二同金と取りました。それでも▲6二とはあるんですが、△2二同銀より少し懐が広いということがあります。例えば、△3三金と上がった時に、王様が3二に逃げやすいというように」

当然といえば当然だが、やはり対局者の方が深く読んでいることがわかる。

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「感想戦で村山七段が言っていた順は」

村山聖七段が加わっての羽生五冠と郷田五段の感想戦。

村山七段も両対局者も楽しかったことだろう。

 

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