小林宏五段(当時)「プロに山イモ掘りを習いに行かないか」

将棋マガジン1995年3月号、富岡英作七段(当時)の「富岡流、気合の中盤術」より。

 本誌の原稿の締め切りは早い。3月号を師走に書いているのである。あれこれ考えていると、本物の山イモのお歳暮が届いた。

 山イモに本物とニセ物があるのかなどと言ってはいけない。本物の粘り気と風味は格別で、例えばどんぶり一杯すりおろしても、はしでグイッと持ち上げれば全部くっついてくるという強力さなのである。

 将棋にも”粘り”は大切である。しかし、山イモのようにとことん粘れ、とここで言いたいわけではない。

 実は10月の末、私は「山イモのプロ」のところに、山イモ掘りを習いに行った。そこでイモのつるを前にして、「傷つけずに掘り上げたら初段と認める」と山イモ名人から申し渡されたのである。

 この講座も、だいたい初段の人を対象にしている。私にとっての将棋初段は、はるか昔にちょっといた位置であって、正直に言うとどんな事を考えてその頃指していたかは忘れてしまった。そこで山イモ掘りを思い出しながら”初段に返って”今月号の講座を書いてみようと思ったのである。

 小林宏五段から「プロに山イモ掘りを習いに行かないか」と誘われるまで、私はそんなプロがいるとは夢にも思わなかった。この細川さんという方は、なんでも天然山イモの栽培に初めて成功して、今ではそれで生計を立てているというのだから本物のプロである。

 私は中学生の頃から山イモを掘っているが、別に教えてくれる人もいないし、キノコと違って図鑑に出ているわけでもなく、とにかく自己流。ゴボウのようなイモを掘り出しては一人悦に入っていたくらいのものである。このチャンスを逃すまじと、奨励会の北島忠雄三段も交えて、我々三人は福島県の小高町へと向かったのである。

(中略)

 大きい山イモを見つけるには、まず黄色くなった葉をさがし、そのつるの太さを見ればよい、というのが私のやり方だったのだが、目の付けどころは他にもあるのだそうだ。

 葉の枝の多さも大事な要素だし、何よりも葉の形に気をつけるのだとの事。何しろ山イモの種類は阿武隈山系だけで20種類以上もあるらしい。それを細川さんは「あ、このイモはまずいからダメ」と、一瞬にして見分けてしまうのだ。まあ、こちらはプロではないのだから、何とか違いがわかるくらいになれば、と思ったが、今回は形を覚えるところまでは到達しなかった。

(中略)

 山イモのつるをたどって、地面から出ているところがわかったら、そこを中心に円錐形、または半円錐形に掘る。円は大きいほうがいいが、そうすると当然ながら、体力と時間がいる。

 一番でかいイモに当たったのは小林五段で、あまりの深さにあきれながらも、子どもの背丈ほどもある専用ノミを力いっぱいふるっている。しかし、一歩間違えばイモが折れるので危険だ。

 北島三段も、わりとでかいイモに当たっていた。こちらは慎重に大きくまわりを掘り始めたが、えらく時間がかかりそうだ。

 そして私は、三人の中で一番小さなイモに当たってしまったが、一応この道15年だとばかりに、マイペースで掘り進める。

(中略)

 次に4図。

 後手はすべての金銀を集結させて先手の攻撃を受けています。

 そんな時には気合のみで攻めるのではなく、別の場所から攻撃するという頭の切り換えがあってもいいでしょう。

 イモ掘りで言えば、巨大な石にぶち当たったので、そこはあきらめて反対側から掘るといった具合に。

 この場合、後手陣の手薄な場所は6筋です。

(中略)

「掘れたぞ」と細川さんの友人の声。えっと手を休めて見ると、我々のとりかかっているイモの倍ほども大きいのが堀り上がっている。地中に巨大な穴をあけて。そしてすぐにその穴を埋めにかかる。まわりに積み上げられていた土は、あっという間に元の穴の中へ。そのスピードと体力の違いに唖然とするよりなかった。

 しかし、ここでじれてはいけない。ええい、面倒くさい!などと手荒な事をしようものなら、やわらかいイモはズキンと折れてしまう。

 折れると味が変わるのかと言えば、そんな事もないだろう。しかし、プロにしてみたら売り物にはならないし、アマの我々だって、達成感が得られない。

 イモ掘りに必要なのも、忍耐力。ガマンガマンの粘りなのだ。

(中略)

 イモ堀りもいよいよ終盤戦に入ったかと思う頃、小林五段の悲鳴が聞こえた。

 あと少しのところでイモが折れてしまったのだ。

 私のイモも悪戦苦闘の末、ようやく堀り上がった。しかし小さい。

 北島三段のイモは永遠に掘り出せそうにもなく、プロに助けを求めている。

 段級位認定では、小さいながらも無傷で堀り上げたというので、なんと私は二段!イモはでかかったが折ってしまった小林五段が1級。途中棄権した北島三段は3級という事であった。

(中略)

 最後に、山イモを掘った穴は、必ず土を戻しておくのが礼儀との事。

 くやしいからと言って感想戦をやらないで帰るような事はやはりいただけませんね。

* * * * *

山芋やとろろが大の苦手で、アウトドアとも全く縁遠い私から見れば、「プロに山イモ掘りを習いに行かないか」は、一生かかっても思いつかないような異次元の言葉だ。

逆に、このようなことが大好きでたまらない人たちがいるのも充分に理解できる。

* * * * *

「何しろ山イモの種類は阿武隈山系だけで20種類以上もあるらしい」

山芋は次のように分類されるという。

  • 自然薯・・・細長く、山芋の中では圧倒的な粘りの強さが特徴で、ダシで倍に伸ばして香りも粘りも生きる。短形自然薯と呼ばれる塊状になるものもある。
  • ナガイモ・・・一般的な長芋。水分が多く、すりおろしのほか、炒め物や焼き物などに使われる。
  • ツクネイモ・・・握りこぶしのように固くてゴツゴツした塊形。粘りがとても強く、和菓子の原料やかまぼこの練り物のつなぎに使われる。関西では大和イモと呼ばれることもある。
  • イチョウイモ・・・いちょうの葉のような平たく広がった形をしていて、色は白っぽい。一般的なナガイモに比べ粘り成分が多く含まれているが、肉質はナガイモに近い感じで、短冊に切って食べるとシャキシャキした食感が楽しめる。関東では大和イモとも呼ばれる。

ある酒場で出てきたお通しで、長ネギの白い部分を細長く刻んだものかなと思ってひと口食べてみたら、それが長芋だったことがあった。すぐに食べるのをやめたが、あの時のショックはいまだに忘れることができない。

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「そんな時には気合のみで攻めるのではなく、別の場所から攻撃するという頭の切り換えがあってもいいでしょう。イモ掘りで言えば、巨大な石にぶち当たったので、そこはあきらめて反対側から掘るといった具合に」

山芋堀りの心得と将棋には共通点があるのかもしれない。

富岡英作七段(当時)はこれ以外にも、

「次の一手がパッとひらめく人は相当なセンスの持ち主。ヒントは、中央の位に対抗するにはどこに目を付ければいいか、という事です。大きい山イモを見つけるには、まず黄色くなった葉をさがし」

「この道15年だとばかりに、マイペースで掘り進める。矢倉将棋の攻めの形を覚えるには、実戦による慣れが必要です。こういう形になればつぶす事ができる、といった攻めの感覚を身につけなければなりません」

「攻め急ぎの悪手というのは、4図で▲6六歩としたからには、じっくりと作戦勝ちに持っていくべきだったのに、攻めに向かってしまったことでした。後手の布陣が守りに片寄りすぎている事をとがめに出たのに、そのあとのガマンが足りなかったのです。(中略)イモ堀りに必要なのも、忍耐力。ガマンガマンの粘りなのだ」

と書いている。

山芋堀りをするような番組があったら、見てみることにしよう。