将棋マガジン1995年9月号、高林譲司さんの第36期王位戦七番勝負第1局〔郷田真隆五段-羽生善治王位〕観戦記「挑戦者先勝、今年も燃える夏」より。
六冠王の羽生善治王位、強くてかっこいい郷田真隆五段。二人の七番勝負が今年も実現した。
昨年の七番勝負は郷田五段が大長考の連続で目一杯踏み込み、羽生王位が王者の貫禄で最後に踏みこたえ、まれに見る好勝負を展開した。その二人だから、今期も素晴らしい将棋を見せてくれるだろう。
第1局目の対局場は神戸市・有馬温泉「中の坊瑞苑」である。大震災のあと、神戸で行われる初のビッグタイトル戦。地元、神戸新聞社の復興に燃える熱意があればこそで、こんな時だからこそ元気一杯、やるならドーンと第1局だ。
若い羽生、郷田両者のはつらつとした戦いは、阪神地区の被災者を大いに力づけたことだろう。
(中略)
新幹線を新神戸で降り、六甲山を貫く長いトンネルをくぐったあと、今度は緑のトンネルの中を行くのが有馬温泉へ向かういつものコースだ。六甲トンネルは震災の被害がなく、今回もこのコースを無事たどった。
しかし旅館に着いたあと「途中、被害がすごいところがありました」と羽生王位。私は気づかなかったが、中の坊瑞苑からそう遠くないところだそうだ。旅館の8階の窓から見渡せば、屋根を覆う青いビニールシート、崖崩れの跡。有馬温泉の被害もまだ、生々しく残っていた。しかし人びとの表情がみな明るいのに安心した。神戸は復興に向けて力強く歩み出している。
両対局者に「第1局は中の坊瑞苑」と伝えた時、同じように「あっ、そうですか」と喜んだ。神戸の心意気がうれしかったのだろう。
対局前夜は神戸新聞の関係者をまじえて歓談をしながらの食事。立会人、小林健二八段は明朗、神崎健二六段は温厚、二人のバランスがよく、気分のよい和やかな会食となった。両対局者とも、美味な冷酒を少量口にし、笑顔が絶えなかった。
一夜明ければ、昨夜の雰囲気は消え、二人とも勝負師の顔になっていた。羽生王位はあずき色、郷田五段紺色。落ち着いた和服姿で盤をはさみ、いよいよ今期王位戦が開幕。
振り駒でも圧倒的強さを誇る羽生王位だが、今回は郷田五段が勝った。後手番になった羽生王位は意表をつく四間飛車。「立会人に気をつかってくれたかな」と、うれしそうに顔をほころばせる小林八段。四間飛車採用は、案外そんなサービス精神からかもしれない。羽生王位に指せない戦法はないのだ。
対する郷田五段。▲3六歩から▲5七銀左と、真っ向から急戦で行く強い意志を見せた。1ヵ月ほど前から眼鏡を使用。昨年より、さらにオトナになった感じがする。1図で昼食休憩となり、二人とも関係者と一緒に、中の坊瑞苑の肉うどんと寿司を食べた。
(中略)
1図以下の指し手
△4三銀89▲6八金上119△1二香49▲1六歩38西日本一帯に梅雨前線が停滞し、朝から強い雨が降っている。しかし雨の日の対局は一層美しい。
午前中は比較的速かった指し手も午後から梅雨前線のように停滞。早くも王位戦名物の長考合戦が始まった。△4三銀・1時間29分、▲6八金上・1時間59分。さらに30分を越す長考が続き、たった6手で封じ手時刻になってしまった。
しかしこの短い指し手の中で、戦いの骨格が決まっている。特に端歩に関する駆け引きが実に微妙。我われアマチュアには、内容が深すぎてわからないというのが正直なところだ。
表面に出ている部分だけでいえば、先手の▲1六歩は△1五角の変化を消す必要な一手。局後、先に▲4六歩と突く変化が検討され、きわめて長い手順のあとに△1五角が生じ、「少しイヤか」と郷田五段が述べた。かなり奥にある「少しイヤ」な変化を読み、ここで▲1六歩と突いたわけだ。
(中略)
5図以下、後手にすでに勝ちはない。しかし羽生王位の急迫ぶりはどうだ。盤側で観戦していて、背筋が凍るような思いがしたものだ。勝負手を連発してあくまでも食いついていく。何人もの棋士が、逆転負けを喫しているのである。
郷田五段の指し手は的確だった。決め手を与えず、▲8一歩成から▲8二銀と必至とかけて勝利確定。
珍しく羽生王位が駒損覚悟で猛攻し、郷田五段が受け切った将棋だった。挑戦者先勝で七番勝負は早くも一気に盛り上がった観がある。今年の夏も将棋界は燃えに燃えそうだ。
* * * * *
「六冠王の羽生善治王位、強くてかっこいい郷田真隆五段。二人の七番勝負が今年も実現した」
「強くてかっこいい」と言うと体格もガッチリとした若い頃のアーノルド・シュワルツェネッガーなどを思い浮かべてしまうが、「将棋が強くてかっこいい」と言うと郷田真隆九段がすぐに思い浮かぶ。
* * * * *
「昨年の七番勝負は郷田五段が大長考の連続で目一杯踏み込み、羽生王位が王者の貫禄で最後に踏みこたえ、まれに見る好勝負を展開した」
郷田五段(当時)は、1992年に王位を獲得、1993年に王位を失冠、1994年と1995年は王位挑戦と、4期連続で王位戦七番勝負に登場している。前年は4勝3敗で羽生善治五冠(当時)が防衛を果たしている。
* * * * *
「旅館の8階の窓から見渡せば、屋根を覆う青いビニールシート、崖崩れの跡。有馬温泉の被害もまだ、生々しく残っていた。しかし人びとの表情がみな明るいのに安心した。神戸は復興に向けて力強く歩み出している」
震災から半年。
有馬温泉全体では、1991年に年間192万人の観光客だったものが、震災のあった1995年は102万人にまで落ち込んだという。
復興に向けて、本当に大変だったと思う。
* * * * *
「立会人に気をつかってくれたかな」
羽生九段は、その時の立会人や大盤解説者の得意戦法を指すことが意外と多い。
とはいえ、第3局でも羽生六冠は後手番で四間飛車を採用している。この時の現地大盤解説は居飛車党の中村修八段(当時)だったので、当然と言えば当然だが、頻繁にあるわけではない。
第3局の四間飛車は、第1局での借りをきちんと返すという意味での四間飛車だったのかもしれない。
* * * * *
「午前中は比較的速かった指し手も午後から梅雨前線のように停滞。早くも王位戦名物の長考合戦が始まった。△4三銀・1時間29分、▲6八金上・1時間59分。さらに30分を越す長考が続き、たった6手で封じ手時刻になってしまった」
1図のような、多くの定跡書に載っているような局面での長考合戦。
このような過程を経て、新しい定跡が生まれる。
「かなり奥にある『少しイヤ』な変化を読み、ここで▲1六歩と突いたわけだ」
本当に迫力を感じる。
* * * * *
「1ヵ月ほど前から眼鏡を使用。昨年より、さらにオトナになった感じがする」
郷田五段のメガネには、当時、ファンの方の間で賛否両論があったことだろう。
将棋の場合でも、理想形から一手指すと理想形から少し遠のくということがあるが、郷田五段の場合も、理想形からメガネという一手を指したような印象でとらえた方も多かったに違いない。
郷田五段は、自分の顔よりも自分の将棋を見てほしいというタイプなので、そのようなことは全く気にしていなかったと考えられる。