羽生善治六冠(当時)「ああいう異様な雰囲気で戦ったのは初めての経験でしたからいい勉強になったと思います」

将棋世界1995年8月号、「羽生善治にロングインタビュー『六冠王とは一種のつらい人生』より。記は団鬼六さん。

将棋世界同じ号より。

 本誌の大崎編集長に羽生六冠王と対談してくれませんか、との電話を受けた時、私は相当に迷った。相手を間違えているんじゃないかと思った。編集長の意図としては羽生六冠王に対し紋切型の将棋インタビューよりも野放図なものをという狙いがあったのかもしれないが私は羽生名人誕生の時からこの23歳の青年名人にいちゃもんをつけるような記事を随分と書いてきたような気がするのである。

 いちゃもんをつけるといっても他愛のないもので棋界の最高の歴史を誇る名人位を人生経験の未熟な青年が単に将棋が強いというだけで獲得するという事が一応、その名人の権威を疑ってかからねばならぬ、という事であった。漢文流でいうならば、若き羽生、馬上にて天下をとるもいづくんぞ馬上にて国を治むべけんや、という事だが、最近の羽生さんは何やら急速に老成して来た感じで、老成といってはおかしいが、仏法でいう、人はカロガロしがよしに該当するもので重々しさはなく、すがすがしい青年名人としての風格が備わって来たのである。無邪気で天真爛漫な新しいタイプの青年名人、竜王としての貫禄が備わってきているのだ。

 羽生六冠王を筆頭として最近、台頭してきた若手天才棋士という者は私のようなおじん族から見れば常に先行世代にとっての異邦人、つまりエイリアンのように思えて苦手であった。彼等の異邦人度を明示するような言葉はメディアサイボーグとか、テクノロジーとか、ドラゴンクエストであって、冷たい孤立の意志を持って自宅の個室でパソコンゲームによって将棋を勉強している種族のように思われていたのである。羽生を倒すのは誰か、といっても彼等には燃えるような敵愾心が感じられず、羽生を倒すという事が自宅のTVゲームに出てくる悪の化身を倒すのと同じ目的みたいになっているんじゃないかと思った事がある。誰だって棋士になったからには名人になりたいという願望を持つ筈だが、名人位がそれ程切実にほしいのかというと何やら疑問に思われてくる。車がほしい、とか、恋人がほしいとかと同じような次元で名人位がほしいと願っているようなもので、かつて升田や大山、中原達が、そして米長が、名人位を切実に望んだような熱い思いというのが今の若手の俊英棋士の中からは喪失しているように思われる。羽生六冠王も対談中に、自分は闘争心が欠如しているという事をいった。

 しかし、羽生という六冠王が単に通俗的な秀才の一人であったなら今の棋界は若手秀才棋士が単にタイトル戦の奪い合いを演じているトレンディドラマになっていただろう。主役なく、配役の組み合わせの妙によって軽いノリだけで演じるのがトレンディドラマであり、そうなると七冠とまではいかなかったが、羽生六冠王の出現は安手なトレンディドラマを阻止しただけに大いに意義があった。

 何時の世にあっても英雄と英雄主義というものは年齢などは問題なしで歓迎されるものである。若い天才人間の可能性を積極的に求め、その若い英雄の放胆な活動を喜ぶのである。

 24歳にして竜王、名人を含めての六冠王といえばその年齢にして功なり、名を遂げてしまった感じで、これはそんな若い青春にあって一種の辛い人生ではないかと思う事がある。人間の美しい特権の一つは老いてから尊敬される事である、といったのはスタンダールだったと思うが羽生六冠王を見ていると棋士の美しい特権は若い頃に尊敬される事である、に作りかえられたように思う。

 とにかく羽生の時代に入ってこれまでと違った社会現象を感じるのはこの若き六冠王のファン層だ。追いかけギャルというのがギャーギャー騒ぎだし、将棋を知らないオバタリアンから子供に至るまでファン層が増加したと聞いた事があったが―第一、驚かされたのはこの羽生六冠王との対談に家から出かけようとした時、家内は私に色紙を何枚か差し出し、羽生名人のサインをお願いしますというのである。小学3年生の愚息が今、公文式の塾に通って数学をやっているのだが、公文式の若い女の先生からもぜひにと頼まれているという。そんなミーハーみたいな真似出来るかといって私は逃げ出したが、恐れ入ったのはこの対談の終了時間を見計らって家内は息子と一緒に将棋連盟にまで駈けつけて来て羽生六冠王にサインを求め、六冠王を中にしてニコニコとして写真を撮っているのである。何時の間にか我が家族まで追いかけギャルの仲間入りしてしまっているわけで、女、子供達の中でのこうした羽生の人気というのはあの公文式のコマーシャルが起因していると思われるが今までにはなかった異常さが感じとれる。公文式に通う息子はクラスの仲間に羽生六冠王と親しく語った事があるといって、その証拠を見せろと脅されていたらしい。羽生さんと並んで撮った写真を鞄に入れて我が愚息は得意げに公文式へ出かけて行ったようだ。


団 あの谷川対羽生の王将戦、7局目の時でしたけどね、夜、飲みに行く予定でいたら朝日新聞の君島さんから家に電話が入って、今夜はどこにも行かず家で待機していてくれというのです。何でや、と聞くと、今夜、羽生の七冠王達成が完成しそうだから明日の朝刊に間に合わすための原稿を直ぐに書いてほしいというのですわ。産経の松垣記者からも同じような事いってきましてね。それで、どこにも出かけんと家で待機していたら夜中に、羽生、七冠達成ならずの電話が入って来たんです。そんなら谷川、王将位を死守するの原稿に切り替えるのかと思ったら、いや、それは結構です、やて。どうも引き止めまして申し訳ないと詫びるだけなんです(笑)。

羽生 それは大変、足止めまで喰わして申し訳ありませんでした(笑)。あの時は新聞関係でもそれを期待してというか、前原稿を作っている所もあったそうです。僕も随分とタイトル戦を争いましたが、あのタイトル戦は一寸異常でしたね。ああいうのは現地につめている記者が書けばいいのに団先生にまで足止め喰わせるというのも異常ですよ。

団 まあ僕はオーバーな書き方をするようですから、棋界にハルマゲドンが到来したというか、まあ、ハルマゲドン来るといったようなもので、最終戦争羽生が制したという事でお祭り原稿を書かせたかったようですね。

羽生 対局場の大盤解説に集まって下さった人々も異様に熱気づいていたようですね。

団 若い女の子のファンが増えたというのも特徴になってきたようですね。

羽生 はあ、それはいいと思うんですけど集まって来る若い女の子というのはほとんど将棋がわかっちゃいないんです。千日手といったって勿論、わからない。それで新聞社の人々が説明していたようですが、将棋がわからないのに大盤解説を聞きに来る若い女の子が増えて来たのが特徴ですね。

団 結局、七冠王、残念ながら達成に至らずで終わったわけですが、がっくりしましたか?

羽生 ええ、まあ―でもようやく終わったといった感じでほっとしましたね。これで緊張感から解放されたと思うと口惜しいのですが、やっと終わってくれて助かったといった感じです。ああいう異様な雰囲気で戦ったのは初めての経験でしたからいい勉強になったと思います。ただ僕は昇級、昇段の一番という事になると今まで負けた事がないので、あれ自分では勝つと思っていたのですが(笑)。しかし、大事の一番に勝つというツキも重なってくると、ここらあたりでツキから見放されるんじゃないかという不安もありました。

団 谷川さんのタイトルを次々に剥がしていったのですから谷川さんはむしろ戦いやすい相手のように思えたのですが。

羽生 ええ、まあ―でも今回のタイトル戦では谷川さんのペースであったような気がします。内容的には押され気味でしたね。ところが幸運にフルセットに持ち込めて―。

団 そうなるとここ一番に強い羽生の勝ちだと誰しも思うでしょうね。週刊将棋で読んだと思うのですが、谷川さん、王将位防衛した夜は勝ってもなかなか寝られなかったと書いていたようですが。

羽生 そうでしょうね。あれだけ自分が押し気味に進めていた将棋なんですから最終戦に負けちゃ眼も当てられない。興奮して寝られないといった気持は良くわかりますよ。

団 この間、毎日コミュニケーションズの浅川さんから羽生、柳瀬の対談集を送って来まして、昨日読んだのですけど、将棋もああいう眼で見る時代になったのかと考えさせられましたね。柳瀬先生は著名な翻訳家である事は知ってましたが、文学、数学、哲学に精通して相当な知識人ですね。ただ僕には非常に難解に思われました。

羽生 ええ、柳瀬先生の話はむつかしいです。でも、まあ面白いところもあるし、いい勉強させてもらった気がするんですが。

団 一寸、おすしをマヨネーズつけて食べているみたいな感は受けましたが、翻訳と将棋の当代随一の組み合わせの妙が生きているんですね。アインシュタインとか、エッシャにルイス・キャロルみたいな学者が出てくるでしょう。アインシュタイン以外、僕は全然、聞いた事もない学者の名が随分と出てくるんです。何も将棋にそんなむつかしい学者が続々出て来なくてもいいと思うんですが(笑)。

羽生 それが柳瀬流というものでしょう。柳瀬先生は言葉のプロフェッショナルで対談した僕の言葉も柳瀬先生の知能によって翻訳されているんです。だから日本人的に見た場合、団先生みたいに刺身をマヨネーズつけて食べるという感想になるかもしれませんね(笑)。

団 竜王戦の第1局を見て柳瀬先生はバッハの曲を聞いた心地がしたといわれていますがそういう感想なんか恰好いいですね。僕は今度の名人戦第1局を盤に並べて鑑賞したんですけど、僕あれ、チャンチキおけさを感じちゃったのですけど。

羽生 あれ、チャンチキおけさの方が当たっているかもしれませんよ(笑)。人それぞれの見方があって、柳瀬先生みたいにバッハやベートーベンを感じたり、団先生みたいにチャンチキおけさを感じたり、それは一向にかまわないのじゃないですか。

(つづく)

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団鬼六さんによる羽生善治六冠(当時)ロングインタビュー。

対談部分も団鬼六さん自身が記しているので、全編、団鬼六流の雰囲気に溢れていて嬉しい。

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「羽生六冠王を筆頭として最近、台頭してきた若手天才棋士という者は私のようなおじん族から見れば常に先行世代にとっての異邦人、つまりエイリアンのように思えて苦手であった」

羽生善治九段や羽生世代の棋士をずっと見ていて慣れていたからか、あるいは世代的には一人だけだったからか、藤井聡太二冠については異邦人、エイリアンのような別世界という印象は個人的には希薄に感じた。

団鬼六さんから見れば、大山康晴十五世名人・升田幸三実力制第四代名人の超個性的な時代を長く見てきたので、若手天才棋士台頭がより一層異星人・エイリアン的に感じられたのかもしれない。

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「主役なく、配役の組み合わせの妙によって軽いノリだけで演じるのがトレンディドラマであり、そうなると七冠とまではいかなかったが、羽生六冠王の出現は安手なトレンディドラマを阻止しただけに大いに意義があった。何時の世にあっても英雄と英雄主義というものは年齢などは問題なしで歓迎されるものである」

織田信長登場よりも前の戦国時代が、団鬼六さんが言うトレンディドラマということになるのだろう。

大山十五世名人も1986年に「今、七つのタイトルを六人で分け合っていますよね。これは、おもしろいかもしれんけれど、あまり好ましい傾向ではないと思いますよ。群雄割拠と言えば聞こえはいいけれど、私に言わせれば、皆、どんぐりの背比べ、ですよ(笑)」と語っている。

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「24歳にして竜王、名人を含めての六冠王といえばその年齢にして功なり、名を遂げてしまった感じで、これはそんな若い青春にあって一種の辛い人生ではないかと思う事がある」

羽生九段にとって七冠の後は、永世名人、永世七冠を達成し、そして現在はタイトル100期を目前としている。

先なる目標は、次々と生まれてくるので、「功なり名を遂げてしまった」という感じにならないところが羽生九段の躍進の素晴らしさだと思う。

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「恐れ入ったのはこの対談の終了時間を見計らって家内は息子と一緒に将棋連盟にまで駈けつけて来て羽生六冠王にサインを求め、六冠王を中にしてニコニコとして写真を撮っているのである」

とても微笑ましいとともに、この頃の羽生六冠の人気の凄さを表している。

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「千日手といったって勿論、わからない。それで新聞社の人々が説明していたようですが、将棋がわからないのに大盤解説を聞きに来る若い女の子が増えて来たのが特徴ですね」

現在と当時の大きな違いは、現在の大盤解説会に来場する女性ファンのほとんどは千日手などの用語や駒の動かし方や戦法名を知っているということ。

やはり、現在と当時のネット環境の違いが大きい。

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「でもようやく終わったといった感じでほっとしましたね。これで緊張感から解放されたと思うと口惜しいのですが、やっと終わってくれて助かったといった感じです。ああいう異様な雰囲気で戦ったのは初めての経験でしたからいい勉強になったと思います」

これは、六冠王にならなければ経験できないこと。七冠王になってもこのような経験はできない。

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「おすしをマヨネーズつけて食べているみたいな感は受けましたが」

団鬼六さんは、例えば大江健三郎さんの小説のような難しい表現が大嫌い。将棋関連では、金子金五郎九段の観戦記が苦手だった。

団鬼六さんの好きな観戦記、嫌いな観戦記(中編)

本音では「お寿司に甘い生クリームをつけて食べているみたいな」ほどに思っていたかもしれない。

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現在ではカリフォルニア巻やサーモンの上にマヨネーズとオニオンスライスが乗った寿司や、コーンマヨネーズで和えられた軍艦巻きなどがあって、寿司にマヨネーズはそれほど珍しくはなくなってきているが、1995年のこの当時は、カリフォルニア巻以外はマヨネーズを使った寿司はなかったと思う。

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とはいえ、現代においても、例えば鮪、ヒラメ、コハダなど典型的なにぎり寿司を醤油ではなくマヨネーズにつけて食べるなど考えられないことだし、ちらし寿司にマヨネーズが入っていたら、かなり衝撃的だ。

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厳格な家に育ち、名門私立女子中・高校から名門国立大学へと進んだ女性が職場にいた。

その女性は、ご飯にママレードとマヨネーズをかけてぐちゃぐちゃに混ぜて食べるのが大好きだと言っていた。

やはり同じ名門私立女子中・高校出身のお祖母さんに教えられたという。

初めて聞いた時、冗談かと思って何回か聞き直したが、どうやら本当らしかった。

そのような食べ物、1万円をもらっても食べたくないな、と思った。

私は、話す人話す人に賛同を全く得られていなかったが、彼女だったら試してくれるかもしれないと思い、「ご飯にプロセスチーズが絶妙に合う」という持論を彼女に話した。

すると彼女は、

「うぇー、信じられない。気持ち悪そう~」と言う。

漫画なら「お前に言われたくない」という台詞がここで出るんだろうなと思いつつ、人間の多様性というのは、このようなことなんだろうなとも思った。