羽生善治六冠(当時)「三浦君とは初対局になりますが、行方君のような特殊な雰囲気はない正統派だと思いますね」

将棋世界1995年8月号、「羽生善治にロングインタビュー『六冠王とは一種のつらい人生』より。記は団鬼六さん。

将棋マガジン1995年9月号より、撮影は中野英伴さん。

団 今の若い棋士について、若い六冠王にこんな事を聞くのは変やけど、何か最近特徴みたいなものを感じませんか。たとえばあの竜王戦の挑戦者決定戦で羽生さんに挑んだ行方なんてどうです。あの時が行方との初対局だったんですか。

羽生 いえ、奨励会時代の行方君とは一局指した事がありました。彼は身体が少し悪いようですが。

団 将棋はどうなんです。あいつ大成しそうですか。

羽生 健康に気をつければ大成する棋士ですね。将棋はしっかりしています。行方君とあの時、戦って感じたんですが、若い僕がこういういい方をしてはおかしいけど、ああ、これが若さなんだな、と感じました。僕、18歳位の時にNHKなんかでどんどん勝ち進んで行った時、先輩棋士なんかにこれが若さといわれたってピンと来なかったものです。でも、あの時、行方君は先輩棋士をなぎ倒して決勝までドンドン駆け上がって来て対戦となったわけですが、あの勢いがはっきり将棋に現れているんです。一寸、手がつけられないというか。行方君は奇行が多い棋士だそうですが、そういうのがなくなれば本調子になるでしょうね。

団 はあ、あれは柳瀬先生風にいうならハムレットとドンキホーテがミックスされているような所があって、未熟なる恋愛に煩悶するという所もあるんです。

羽生 僕にはそれがなかったから羨ましいですね。でも、将棋は本人の心掛け次第だと思います。

団 奨励会時代のように宴会に連れて行ったらズボンを脱いでカラオケやるという奇行はなくなったようですが、あの頃は今夜、宴会をやるといったらパンツの着替えを持って横浜にやって来てたんです(笑)。

羽生 そういう変わった若手棋士がいた方が楽しいのですけどね(笑)。今はそういう変わり種の若手棋士は段々といなくなって来ています。奇行といえば団先生がお書きになったアマ強豪の小池重明ですが、僕はあの小池さんの記録係をやった事があるんですよ。

団 へえ、羽生さんが小池の記録をとったなんて初めて聞く話ですが。

羽生 もう、10年以上も前ですか、小池さんがアマ名人になった時なんです。都下予選が八王子で開かれていてその時、小池さんの記録係をやりました。まだ、小学校の時ですが、随分と変わった将棋を指す人だなと覚えています。後になってあれがあの時の小池さんだったのかと懐かしく思い出しました。

団 へえ、そういうシーンはもし小池を映画化する時なんかにチラと出すと効果的ですね。羽生六冠王と小池との間でそういう出会いがあったという事は知らなかったな。

羽生 僕がプロになってからも一度、小池さんと出会っているんです。茨城の将棋大会に行った時ですがその時、小池さんの将棋を見て実力的には相当なものを持っている事を感じましたね。ただ将棋の作り方というのがプロの眼から見てどう評価していいのかわからないんです。不可思議な魅力を感じましたね。あの頃、一局、戦っておきたかったと思いますよ。茨城で小池さんを見たのが最後でしたね。

団 そういう六冠王の言葉を聞けば小池も冥土で悦んでいると思いますよ。ところで、次は棋聖戦ですね。相手は三浦五段ですか。

羽生 ええ、三浦君とは初対局になりますが、行方君のような特殊な雰囲気はない正統派だと思いますね。

団 三浦君のように初対局となると指し馴れているベテランより指しにくいという事がありませんか。

羽生 ええ、大体、棋士というのは相撲と同じで一度位は戦って長所や短所は知っているつもりで作戦も立てられるんですが、三浦君のように初対局になるとわかりませんね。やりにくいといえばやりにくい相手ですが興味もあります。よくアマチュアの大会などでアマは初めての人ばかりを相手にする事だってあるでしょう。あれ、プロから見ると凄いなと感心する事がありますね。

団 それにしても羽生六冠王、その若さで功成り名を遂げてしまうとは昔、羽生少年を将棋道場にまで送って行ったりしていたご両親も半ば面喰らってしまったのじゃないですか。まさか、ここまでくるとは思わなかったでしょう。何やら息子が他の惑星圏内へ突入してしまった感じで、息子をエイリアンでも見るような眼でこわごわ障子越しから見つめるとか(笑)。

羽生 いや、両親はそうでもないんですが、周囲の人々の眼は変わって来ましたね。団先生が何かに書かれたように単に将棋だけが強いだけじゃないかという眼では見ずに何か人生的にも向上した人間と見る傾向になってきているんです。女の子一人、満足に口説けない人間をですよ(笑)。これから将棋以外の事も色々勉強して知識をもっと豊富にしたいとは思っているんですが。

団 いや、そういう言葉が出るという事だけでも羽生さんは名人的風格が備わっていた証拠なんですね。今日こうして対談出来て羽生さんのさわやかな含蓄というものを感じましたし、追いかけギャルが騒ぎ出す理由がやっとわかりました。どうも、有難うございました。

〔注〕

 羽生さんと気楽な放談をして感じた事はこの若い六冠王の印象は山の上の湖水のようなものだった。絶えず冷静であって、絶えず、おっとりした感じなのである。この静かな湖がしかし一度、戦いによって切って落とされると雷鳴を呼んで奔流と化すような、何か激しい力を底に蓄えているような、だから一層冴え切った美しい山の湖に見えたのだろう。

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「将棋はどうなんです。あいつ大成しそうですか」と羽生善治六冠(当時)に聞く団鬼六さん。

まさに、息子のことを案ずる父親のような言葉だ。

目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた行方尚史四段(当時)への、本当に深い愛情が感じられる。

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羽生六冠の、「行方君は奇行が多い棋士だそうですが、そういうのがなくなれば本調子になるでしょうね」が、何かとても可笑しい。

「三浦君とは初対局になりますが、行方君のような特殊な雰囲気はない正統派だと思いますね」も、今から考えると、様々な意味で微笑ましく感じられる。

三浦弘行九段と行方尚史九段は中学生の頃からの付き合い。

1999年に刊行された別冊宝島「将棋これも一局読本」に収録されている野田香里さん執筆の記事の中で、行方四段は1994年の取材で、三浦四段(当時)について「僕よりもぶっとんでるヤツがいるんです」と語っている。

「僕と同い年なんですが、僕なんかよりずっとすごくて、深いヤツなんです。そいつ群馬にいて、俗世間とは連絡を絶っているんで、取材は難しいと思いますけど」

羽生六冠は「行方君のような特殊な雰囲気はない正統派だと思いますね」と三浦五段の印象を話しているが、行方四段とベクトルは異なるものの、三浦五段も充分な個性派だったのだ。

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2009年1月、団鬼六さんと木村晋介将棋ペンクラブ会長の対談(将棋ペンクラブ会報2009年春号に掲載)が行われた時のこと。

場所は、団鬼六さんの自宅そばの、団さんが行きつけの浜田山の寿司店。

団鬼六さん、木村晋介会長、将棋ペンクラブ幹事からは湯川博士さん、湯川恵子さん、中野隆義さん、対談書き起こし担当の私が参加。

18時に開始して、はじめの1時間位は酒無しの対談の予定だったが、15分経った頃に人数分の生ビールが出てきて、飲みながらの対談となった。

しばらくすると、少し離れた席に家族連れで来ていた男性が、一人でこちらにやってくる。

「あっ、突然失礼致します。団鬼六先生でいらっしゃいますか? いやー、わたくし、先生の大ファンでして、お目にかかれて感激しております」

「そうですか。ありがとうございます」と団さんも嬉しそう。

「あっ、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。いやー、嬉しいなあ。どうも失礼致します」

その男性もとても嬉しそうに席に戻っていった。

団さんのSM系の著作も沢山読まれているのだろうが、小さなお子さんは別としても、奥様にはどのように説明するのだろう。

そして、またしばらくすると、さっきの男性よりも年配の男性が、

「団鬼六さんですか? いやー、私、先生の本の愛読者なんですよ。ああー、本物の団鬼六さんだ。握手していただけますか?」

「いやー、どうもどうも」と団さんは握手する。

たしかに団さんは和服を着ているので目立つだろうが、それにしても、すごい人気だと思った。

二軒目は浜田山のカラオケスナックへ。

日曜日だったので団さんがよく行く店は休みで、たまに顔を出す店だったようだ。

マスターが一人でやっている店で、カウンターには常連らしい女性客が一人。

早速、我々はボックス席に陣取り、カラオケで歌い始めることとなった。

30分位経った頃、湯川博士さんがカウンター席の女性に「こっちの席で一緒に飲もう」と声をかけて、その女性もこちらの席へ。

よくよく見てみると、すごく綺麗な方だった。

偶然ではあるが、彼女も団鬼六ファンで、団さんの『花と蛇』をはじめ団さんの作品名が次々と彼女の口から語られた。

団さんは大喜び。

それにしても、団鬼六さんの顔と名前が一致している人のなんと多いことか。

今回の記事のインタビューの中で、団鬼六さんは羽生六冠に、「顔がいろいろと知られてしまうと、外では、やりたいことがあってもできなくなってしまうでしょう」のような話をしているが、それは団鬼六さん自身も以前から抱えている悩みだったのかもしれないなと思う。

 

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