中原誠永世十段「易々と挑戦させちゃいけないですね、ね、森内君」

将棋世界1996年2月号、沼春雄五段(当時)の第45期王将リーグ最終日 羽生、王将戦挑戦者に!!「七冠への道」より。

 棋士は重大な勝負に敗れた後はなかなか立ち直れないといわれている。

 特にその一局にかけるものが大きいほど敗戦のショックも大きいのは当然といえるだろう。

 過去タイトルに挑戦してあと一歩まで追い詰めた者、防衛目前まで行った者が思わぬ敗退後、それまでの好成績がウソのように普通の棋士になり下がる例のいかに多かったことだろうか。

 米長九段が念願の名人位を奪取した時の感想で「私が自慢できることは負けても負けても立ち直ったことです」と述べたのが知られるが、これはその不屈の精神力が評価されるとともに、それがいかに至難の技であるかを併せて幾多の実例で示されている。

 ここで羽生六冠王の場合を見てみよう。

 1975年3月23、24日王将戦第7局。

 この一局は千日手を交えての激闘で、今なお記憶に新しいところである。

 そしてこの時は将棋界初の七冠王が達成されるかが注目されて、集まったマスコミが50社というフィーバーの中での敗戦だったのだから、他のどの一局よりもその比重は大きかったはずである。

 過去の例から判断すれば、この後スランプに陥っても何ら不思議ではない。

 しかし羽生は全く違っていた。

 直後の名人戦では第1局こそ挑戦者の森下八段の大ポカに助けられたとはいえ結果は4勝1敗で防衛。

 以後も棋聖戦、王位戦、王座戦、竜王戦と5回のタイトル戦をすべて防衛。

 個々の対局には苦戦があったかもしれないが、5回のタイトル戦での敗戦はわずか5局。しかもカド番に追い詰められた事はなし、とあればすべてが余裕を持っての勝利といっても過言ではないだろう。

 しかも六冠王として対局以外にも将棋まつりや各種催しなど多くの雑用をこなさなければならない多忙さの中での結果を考えればその大変さが分かろう。

 棋力の充実に加えてこの精神力のタフさはいかに表現したらよいだろうか。

 その羽生が再び七冠への夢を実現するため王将リーグを戦っていた。

 このリーグ戦では第2戦の森内八段戦に大苦戦をし、第5局の中原永世十段戦に敗れ、と今ひとつの内容だったが、ここまで4勝1敗と、トップタイの成績で最終戦を迎えていた。

 12月18日、王将リーグの最終日。

 この日は特別対局室に羽生-有吉戦、高雄に中原-森内戦、雲鶴に丸山-郷田戦と一部屋一局ずつの配置で行われた。

将棋世界同じ号より。

将棋世界同じ号より。

 対局前特別室にはTBSテレビのカメラも入るなど取材陣が多く、早くも前回のような七冠王フィーバーの再現が予感された。

 戦型は有吉-羽生戦が矢倉、中原-森内戦が四間飛車、郷田-丸山戦が矢倉。

(中略)

 郷田-丸山戦は3図から▲5五銀右(108分)△4三銀(60分)▲4六角(8分)△2二玉(36分)▲5四歩(48分)という超遅い進行とあってか、控え室に集合した棋士達の研究の対象外?に追いやられてしまっていた。

 本局は結果的に残留にすら関係ない一局となったがこの日の最後まで戦われた努力はきっと花開くに違いないと思った。

(中略)

 この後は▲2八歩に△2五銀▲同銀△4七銀▲3七飛△5八銀成と進み、18時5分、118手で羽生が勝利を飾った。

 中原-森内戦は10図に。

 ここで森内は△7四歩と打った。

 「桂を跳ねようとしているところに打ったのだから不思議な手だった」(中原)という手だが、これが好手だったようで、以下▲同桂△8三金▲6四歩△7四金▲同飛△8三銀打▲7六飛△7五歩▲6六飛△7六桂と進んで、森内がリーグ残留を決める勝ち星を得た。

 終局は19時31分。

 この瞬間羽生の連続挑戦が決まった。

 まさに羽生のために作ったようなプレーオフなしの挑戦権決定。

 何か羽生の勝負強さを感じずにいられない決着であった。

 局後羽生挑戦の感想を聞かれた中原は流石に苦笑しながら「易々と挑戦させちゃいけないですね、ね、森内君」といった後に「でもいい将棋が見られるでしょう」と締めくくった。

 いかに強敵を迎えるとはいえ、谷川王将も満を持しての防衛戦である。

 そう、きっと前回にも増して面白いシリーズが展開されることだろう。

 そして本当に七冠制覇がなるかどうか、ファンの方々にも増して興味津々である。

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この期の王将リーグ、最終戦を前にして、(タイトル・段位は当時)

1位 羽生善治六冠 4勝1敗
2位 郷田真隆六段 1勝4敗
3位 中原誠永世十段 4勝1敗
4位 村山聖八段 4勝2敗
5位 有吉道夫九段 2勝3敗
5位 森内俊之八段 2勝3敗
5位 丸山忠久六段 1勝4敗

羽生六冠が敗れて中原永世十段が勝てば中原永世十段が挑戦、

羽生六冠と中原永世十段が共に勝つか負けるかならプレーオフ、

という状況だった。

結果としては、羽生六冠が勝ち中原永世十段が敗れたので、羽生六冠の挑戦が決まった。

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「棋士は重大な勝負に敗れた後はなかなか立ち直れないといわれている。特にその一局にかけるものが大きいほど敗戦のショックも大きいのは当然といえるだろう」

「しかし羽生は全く違っていた」

羽生六冠はこの時の王将戦第7局での敗退後、「自分では気にしてないつもりでもやはりどこかで七冠を意識してのだと思う」と語っている。

これは現在でも言えることだが、羽生九段の非常に強い精神力と、タイトルや記録を意識するよりも目の前の一局一局を大事にするのが羽生九段の昔からの姿勢ということもあって、周りから見て重大な勝負に負けたとしても、ショックやダメージが少ないのだと思う。

七冠達成に優るとも劣らないくらい、六冠を1年以上保持していたことは偉大だと思う。

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「易々と挑戦させちゃいけないですね、ね、森内君」

中原誠十四世名人らしいユーモアあふれる言葉。

王将リーグで、

  • 対羽生戦で必勝だったにもかかわらず敗れてしまった森内八段への叱咤激励
  • 自分は唯一羽生六冠に勝っているのに、森内八段が自分を負かして、結果的に羽生六冠挑戦のアシストのような形になったこと

の、二つの意味を持っている。

なかなか深い。