深浦康市四段(当時)「当たらない……。50題近くの設問のうち数題しか当たらなかった」

将棋世界1996年2月号、深浦康市五段(当時)の「兵法に学ぶ勝つためのヒント」より。

将棋世界1996年1月号より。

 古今東西、受けの達人と言えば、一人しか思い当たらない。大山康晴十五世名人である。

 自分との直接の対局がなく、その技を間近で体感できなかったのは残念な限りではあるが、3年前に近代将棋の別冊付録で大山十五世名人の次の一手が集めてあった。

 当たらない……。50題近くの設問のうち数題しか当たらなかった。当時四段になりたての私が、直ちに大山康晴全集を買って並べたのは言うまでもない。

 8図、9図、10図はすべて3手1組の手順で考えてもらいたいのだが、読者の皆さんに分かるだろうか?(8、10図は便宜上先後逆)

 大山十五世名人の次の一手を解いていると、”受け”と言うよりも”凌ぎ”の方が適切な言葉のような気がする。受けというと専守防衛のニュアンスも含まれるが、凌ぎだと攻撃に移るための防御という意味合いが強い。

 兵法では、防御の側の精神的な不利を二つ挙げている。

  1. 精神的に萎縮し、消極策に陥って自滅する。
  2. 遊兵を生じやすく、決勝点に戦力を集中する事ができない。

 まさに将棋と酷似していて、受けに回った時に潰されるパターンに似ている。

 攻め過ぎず、受け過ぎず。達人の芸である。

 8図。

 ▲2四歩△同歩▲7八金寄△。3手目▲2四同飛は△1三角があるため▲7八金寄。後手は我が師匠の故・花村元司九段。第15期名人戦。

 9図。

 ▲6八銀△7五銀▲7七金引。柳に風の名人芸。第17期名人戦、後手は升田幸三名人。

 10図。

 ▲9八角△4九角成▲7七玉。次に▲5四銀を狙っている。第3期王位戦、後手は花村九段。

 師匠が出てきたところで、兄弟子森下八段にもご登場願おう。昨年9月に行われたA級順位戦、島八段戦より。(便宜上先後逆)

(中略)

12図以下の指し手
▲7六銀(13図)

 これは兵法にはまずない戦略である。△7三歩と打たせたからには▲3六歩~▲3七桂が自然であるし、▲5五歩~▲5四歩として5三に打ちたい銀である。それをあえて7六に打ったのは、森下八段の強さであろう。

 この後、14図となり森下八段の圧勝となった。

 ▲7六銀は厚みを築いた一着である。いったい、戦争に勝つ必要な条件の何番目に、この”厚み”というものが加わるのだろうか。

 戦争から将棋が生まれ、そこからまた、文化として進化していく。時の流れにいる事を感じた私は、いつしか▲7六銀を繰り返し将棋盤に打ちつけていた。

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「当たらない……。50題近くの設問のうち数題しか当たらなかった。当時四段になりたての私が、直ちに大山康晴全集を買って並べたのは言うまでもない」

鍛えに鍛え抜かれた深浦康市四段(当時)が、50題中数題しか当たらなかったというのだから驚く。

それほど、大山康晴十五世名人の受けは、プロ棋士さえも思いつかないようなものであったことが分かる。

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8図、9図、10図からの大山十五世名人の指し手。

私だったら何回生まれ変わっても当てることができないような順。

特に、9図からの凌ぎ方が大山十五世名人らしさが溢れ出ている。

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森下卓八段(当時)の▲7六銀(13図)も驚く。

受けでも攻めでもなく、厚みを築く一手。

この手も、何回生まれ変わっても指せそうにない。

深浦五段の「時の流れにいる事を感じた私は、いつしか▲7六銀を繰り返し将棋盤に打ちつけていた」がとても印象的だ。