NHK将棋講座1996年2月号、鈴木宏彦さんの「将棋マンスリー 東京」より。
「羽生六冠王と畠田理恵さん、挙式の日取り決定」
中川六段の婚約発表から数日後、今度はこの見出しが12月13日付のスポーツ紙に踊った。日取りは今年の3月28日。師匠の二上達也九段夫妻が媒酌人を務め、式は将棋連盟に隣接する鳩森神社で行われるとある。
ふむふむ、なるほどと新聞を読んでいたら、その日のうちに披露宴の案内状が届いた。日取りの発表と同時に、案内状も発送したらしい。さすが、六冠王の行動は素早い。
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将棋マガジン1996年3月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。
☆12月29日阪急将棋フェスティバル
神吉五段「タマちゃん、ワシ、今日テレビの仕事入ってん、3時頃には戻ってくるから、後、まかしたで」
タマ「そんな無茶な。神吉さん司会じゃないですか」
神吉「大丈夫、大丈夫。ほな、ちょっと行ってくるわ」
タマ「ガーン」
― そして ―
森六段「次の、聞き手の神吉君おらんけど、どうしようかな。鹿野さんお願いできませんかね」
タマ「あのねェ、森先生。私、その席上対局の対局者なんですけど」
森「ん?そうか」
桂九雀さん「私が、対局しながら、聞き手やりましょうか?」
タマ「そんな無茶な」
森「いや、それおもしろいねぇ」
谷川王将(その時の解説者)「私は別にいいですよ」
タマ「じゃあ、私の前に座って駒を動かしてくれる人は、私が客席からスカウトして来ますよ」
(すごい関西流の荒技でしょ)
― 仕事の後 ―
九雀「これからどうしますのん?」
タマ「別に考えてないですけど」
桂小米朝さん「私は谷川王将と食事でもと思って来たんです」
九雀「私は、本間(五段)さんとちょっと一杯やろうか、言う話ができてるんですわ」
森「じゃあ、皆一緒に食事にでも行きましょう」
― 居酒屋にて ―
谷川「実は羽生さんから(結婚)招待状が来てるんですけど」
一同「出席するんですか」
谷川「いや、出席しようとは思っているんですけど、いつその返事を出そうかと思って……」
タマ「いつ締め切りです?」
谷川「1月15日なんですよ」
タマ「うわっ、王将戦1局目の数日後ですね。どうせ会うんやから、手渡ししたらどうです?」
九雀「いやいや、封じ手の中に入れといたらいいじゃないですか」
谷川「ウーン」
九雀「翌朝、開けたら、皆、ビックリしまっせ」(一同大爆笑)
さて谷川先生はどうするんでしょうね。
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この、居酒屋での会話は1995年12月29日。
そして、
1996年1月11,12日 王将戦七番勝負第1局
1996年1月15日 結婚招待状返事締切り
という流れ。
招待状の返事がお正月中(年賀状と同じタイミング)というのも何か味が悪い。
王将戦第1局の前に送るというのも、勝負の気合いとして適切ではないような感じがする。
王将戦第1局後に送るというのも、勝ったとしても負けたとしても、やはり味が悪い。
そのように考えると、王将戦第1局を戦っている最中に返事が届くのが、最も無難な流れのようにも思える。
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とは言いながら、いろいろと調べてみると、この出欠の返事の宛先は、奥様となる畠田理恵さん宛だったようなので、12月29日時点では、谷川浩司王将(当時)は返信はがきの宛先をまだ確認していなかったのかもしれない。
畠田理恵さん宛であれば、返信のタイミングに悩む必要はなくなる。
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「今度はこの見出しが12月13日付のスポーツ紙に踊った」
マスコミへの発表は前日の12月12日(火)だったと考えられる。
この日は大安。
羽生善治六冠(当時)と畠田理恵さんの実質的な結納の日である1995年7月27日が大安、結婚式の1996年3月28日も大安。
羽生善治六冠と畠田理恵さんは、すべて大安で固めていたことがわかる。