羽生善治六冠(当時)が佐藤康光前竜王(当時)に贈った花

将棋マガジン1996年3月号、米長邦雄九段の「さわやか流・米長邦雄のタイトル戦教室 王将戦は四人の総力戦だ」より。

将棋マガジン同じ号より、撮影は中野英伴さん。

 いよいよ年が改まって、昨年の再現と相成った。羽生善治の七冠王が誕生するのか、それとも谷川浩司が王将の一冠を死守するのか。昨年同様の大フィーバーが今から予想されて、アマ・プロは言うに及ばず、将棋を知らない人々までをも興味津々と言うよりは、興奮のルツボに陥れてしまった感がある。

 今月号は竜王戦の総括と、谷川将棋について書いて欲しいというのが、萩山編集長の指示である。

 竜王戦は4-2で羽生竜王が防衛を果たした。挑戦者の佐藤康光新八段は、内容的には押していたようだが結果を出せなかった。

 将棋を語る時、それが対局であれ、研究であれ、忘れてならないのは”時”ではあるまいか。

 大昔に弥勒菩薩も、維摩詰からお説教を食ったが、これも”時”についてであった。

 タイトル戦が終わってしまっているのに、あれこれ言っても仕方がない。あそこでああやれば良かった、この手が悪い等々は意味がないというよりは、滑稽である。

 早い話が、例えば野球ではホームランは常に華であって、打者を誉めるべきであろう。ホームランを打たれる”時”が投手の側に予見できているのならば、打たれた一投は失投である。「あそこはストレートではなくシュートを投げるべきである」「あそこは一球外角へクサイ球を放っておくべきだ」

 悪手の指摘はいくらでもする事は出来よう。だが、それは結果を知ってからのアラ捜しに過ぎぬではないか。指摘は、球を投げる前、一手指す前にしなければ意味がない。でなければ、明日の糧になるものでなくてはならぬ。

 竜王戦の全6局を見る限り、挑戦者が羽生竜王に見劣りする将棋とは思われない。

 序盤の研究の深さ、間口の広さ、研究時間の質と量。中盤戦の読みの深さ、集中力、どの分野においても全てに佐藤康光は五分以上には渡り合っている筈である。

 タイトル戦が終わってからしばらくして佐藤八段に会った。

「羽生ってのは強いね。だけど一人で6つも7つも取るとは思えないんだ。君ならいくらでも取り返せるんじゃないか」

 この言葉は、なぐさめでもなく、励ましでもなく、私自身の本音を言ったつもりであった。

「いや、僕は弱いっす」

「そんな事はないだろう」と言った後、向こうには実力以上の強運と勝ち運があり、やがてそれがはがれた時には風向きも変わるだろうといった意味の事をしゃべった。聞いた側は「今は手がつけられない状態だが、それはそんなに永い期間のものではなく、スランプもあれば弱くなる時もくる。そこがチャンスだ」と受け取ったのかもしれない。

 ”俺は、ベストの状態の羽生を乗り越える将棋を目指すのだ”

 もごもごと言葉少なに語る新八段の、表には出さぬ心根は良く分かった。中年男の私が、この若い純な男に余計な事を言うべきではない。近い将来には、佐藤時代が到来してもおかしくはないが、間近には未だ無理だろう。何故なら竜王戦の本当の敗因は本人に分かっていないのだから。

 ただ佐藤康光様にあらせられては、後述する中年男の見解などには惑わされず、ただひたすらに将棋に打ち込んでいただきたい。それが許される若い””得”だからである。

華がある

 1図は今年度の名人戦の第1局の終盤戦。羽生名人が▲7七玉と上がった局面である。挑戦者の森下卓八段はどう指したか?

 あまりにも話題になった局面なのでご存じの方も多い筈だ。誰だってここは平凡に金を取る一手である。即ち△6七飛成▲8六玉△8三桂の進行である。恐らくは、そこで羽生名人は投了したのではあるまいか。ところが、森下八段は、この平凡で当然の一着を指さずに大逆転負けを食ってしまった。信じられぬ。

 これが出だしの第1局だから、後の展開に影響したのは計り知れないものがあろう。

 2図は王座戦の第2局。挑戦者の森雞二九段の絶妙の指し廻しに、さしもの羽生王座も形づくりの一手を指して首を差し出したところだ。

 ここで後手は残り時間も10分以上ある。立会人の内藤國雄先生は「1秒あれば詰むと分かる局面である」と断言。次の一手は当然△6九銀と打つものと思っていると、アーラ不思議、森九段は受けに廻った。これまた信じられぬ。

 五番勝負は七番勝負より更に短期決戦である。◯となるべきが●になるのでは2局分違ってしまう。あえなく3連敗で試合終了となった。

 3図は今期の王将リーグでの森内俊之八段対羽生名人の一戦から。

 94手目、羽生名人が△4三金と引いた局面である。

 目下の形勢は森内大優勢。むしろ勝勢と言うべきであって、気の早い人ならそろそろ投了の心構えをしておこうか、と覚悟してもおかしくない場面である。

 次には当然▲5八香と馬を取る一手である。△同歩成と取り返すよりないが、あとはどうやっても負けようがない。一手パスしても良い。

 ところが、事もあろうに森内八段は▲9二竜と突っ込んだのである。これが間違いの元。すかさず△4七馬と引かれて、▲5三香成には△9二竜の竜の素抜きを見せた一着で、もつれる原因となった。後で考えてみれば▲5八香は誰でも指す手であって、その後は智恵も何もいらない将棋である。しかも指しているのが森内なのだから勝利は間違いない。これも信じられぬ逆転だ。

 まだまた他にもある。

「相手が強いから間違えるのです。本当の強さは、実際に将棋盤に座って対局しなければ分からないものなのです」

 これはタイトル戦を争った人間がよく口にする言葉ではあるが、対局の”時”に実力以上の勝運に恵まれる事が急所であろう。

 ”オーラ”については私は多くは知らないが、相手のそれを減ずる者と、自らのそれを更に上昇させるのと二通りあるのではないか。勿論、後者の方が望まれるべきである。これを華という。私が羽生善治は木村義雄の再来である、と申し上げているのは華があるからだ。華のある人間が登場すればどうなるか。ブームが起こり、人々はその魅力に酔いしれる。将棋界にとっては良い事づくめである。1995年はそういう年であった。華にない者が天下を取れば棋界は沈滞するが、近頃の若者、若い先生方は皆華を持っている。世の中は暗いニュースが多いが棋界は万々歳である。その中でも羽生名人の華は大輪であり、結婚を機に一回りも二回りも大きくなったようである。とてつもなく素晴らしい嫁さんに恵まれた。実は、この一事が竜王戦他のタイトル戦の勝因である!

 まだ婚約中ではあるが、この美人は亭主の足を引っ張ることもなく、随所で細かい所まで気を配っているのが読み取れる。結婚の案内状は、いかにも女性の手づくりの文面であって、出欠の返事の宛先は奥様の方になっている。羽生名人からの正月に届いた賀状は英語であったが明らかに昨年までのものとは雰囲気が違っている。極めつけは佐藤前竜王の誕生日、10月1日にお祝いの花を贈った事だろう。何かのお礼の一環という事らしかったが、将棋指しの考えつく筈はないプレゼントである。これから羽生六冠王に勝つのには、二人がかりでなければ駄目なのではないか?

 女房でも良し、恋人でも良し、遊び友達でも良し、勝負師にプラスになる女性が側にいなければ、羽生夫妻には勝てそうにない。正直言うと、女房と仲良くしてさえすれば、将棋は少々弱くともそのうち良い事があるのではないか、と信じているからこそ私は現役を続けているのです。

(中略)

全く分からない

 将棋が強くて奥さんが良い。この二つを備えている棋士は、私の知る限りでは二人しかいない。

 一人は谷川浩司である。もう一人は言わないでおこう。私じゃありませんよ。

 思い返せばちょうど1年前の1月17日。あの阪神大震災は神戸在住の谷川王将にとっては生涯で一番ビックリした出来事だったろうと思う。私の乏しい語彙では表現しきれない。

 その3日後に、米長-谷川の順位戦が大阪であった。東京から大阪へ行くのは大した難事ではなかったが、神戸から大阪へ行くのはドえらい苦労があったらしい。1月19日、谷川王将は美人の奥様の運転で神戸を脱出。大阪までは距離はいくらでもないが、13時間程要したという話だった。この数日間の過ごし方が将棋にプラスにならぬ筈はない。どの対局で得た教訓よりも、いかなる研究による成果よりも得難い財産を与えられたのではないか。

 4図は、地震直後に大阪で行われた谷川-米長戦の中盤である。先手の私が腰掛銀に誘導し、後手の谷川王将が棒銀で応じた将棋である。

 今▲5六桂と飛車の頭にいた桂を跳ねた局面である。これは次に▲4四桂と金を取る手と、▲6七飛と角を取る手の二つを見せて、正直言うと”うまくいきすぎた局面”であった。こうなれば私の勝勢であるから、こうはならぬものと、この局面はそんなに読んではいなかった。私には4図では△5八金くらいしか浮かばない。それには手順に▲3八玉と逃げてしまえば、△6九金▲4四桂の進行で楽勝である。

 ところがだ。谷川王将は4図で黙ってじっと△7八角成と来たもんだ。しばらく局面を見ていた私は、それが自分の見落としであって、しかも即敗勢であるのを悟った。▲4四桂と金を取れば△6九馬である。これが次の△8八飛成を見せた詰めろであり、ほぼ必至である。手順に盤上の7八歩が消えているのが、8六にいる飛車に活を与えて大きいのである。なんたる事か。

 負けたのは私が弱いからであるが、勝ちをもぎ取ったのは奥さんとの二人力であろう。

 その後の王将戦全7局。最終局の周辺については、今更私が申し上げるまでもない。

 谷川王将に、この誌上を借りてお願いしたい儀がござる。

 1月17日の地震から、3月末に挑戦者羽生善治六冠王を退けて王将位の一冠を死守するまでの2ヵ月半の全てを、私が生きていく間に普く教えていただきたい。

 対羽生戦が、それまでとは大きく異なっている筈である。だからこそ防衛に成功したと私は踏んでいる。

 谷川王将の近況はどうであろうか。昨12月19日。今期のA級リーグ谷川-米長戦があった。この将棋も私の注文で、横歩取りになった。

 画期的な新手(?)で私がリードし、終盤は勝てそうであった。にもかかわらず、私は魅入られたように負け筋を選んでしまう。5図がその決定的一瞬。油断していたという訳ではないがタカをくくっておりました。詰む訳がないではないか。

 ▲5四銀!

 そんな馬鹿な。アッと驚く天来の妙手。△同玉は▲4三竜まで。△同金は▲4三竜から▲6三竜でアウトになる。△6二玉と逃げても▲6三銀成△同金▲6一竜以下グルグル廻しで詰む。

 チェッ。又あの奥さんにしてやられた。

 これから始まる王将戦は、二人ではなく四人の全面戦争である。総力戦である。どちらが勝つのか全く分からない。

 勝敗は将棋盤のみで決まるものではなく、人生の幸福は勝敗のみで計れるものではない ―さわやか語録より―

将棋マガジン同じ号より、撮影は中野英伴さん。

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「将棋を語る時、それが対局であれ、研究であれ、忘れてならないのは”時”ではあるまいか」

米長邦雄九段が述べている”時”とは多少雰囲気は異なるが、今まで生きてきて、人との出会いや仕事の成否は、タイミングが非常に大きく影響するものだと感じてきた。

タイミングはミクロ的なものだが、米長九段の”時”はもっとマクロなもの。

説得力のある話が展開される。

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「タイトル戦が終わってしまっているのに、あれこれ言っても仕方がない。あそこでああやれば良かった、この手が悪い等々は意味がないというよりは、滑稽である」

奥が深い。

野球の例え話がわかりやすい。

たしかに、女性に一目惚れ→仲良くなる→付き合う→更に仲良くなる→しかし、いろいろあって別れる、というようなことがあったとして、後からあれこれ言っても仕方がない。その時その時に、そうしたいと思ってやったことの積み重ねなので。

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「まだ婚約中ではあるが、この美人は亭主の足を引っ張ることもなく、随所で細かい所まで気を配っているのが読み取れる。(中略)これから羽生六冠王に勝つのには、二人がかりでなければ駄目なのではないか?」

羽生善治九段が六冠を1年以上に渡って維持したのも、七冠になったのも、そして永世七冠にまでなったのも、奥様やご家族を含めた総合力なのだと思う。

米長九段が本当にいいことを言っている。

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「極めつけは佐藤前竜王の誕生日、10月1日にお祝いの花を贈った事だろう。何かのお礼の一環という事らしかったが、将棋指しの考えつく筈はないプレゼントである」

まさしく、棋士が絶対に考えつかないプレゼント。

バトルロイヤル風間さんの漫画のような話になるが、羽生六冠が、この年の1月に日光から東京まで佐藤康光前竜王の車に乗せてもらったことに対するお礼の一環だったとしたら、ものすごく可笑しいだろうなと妄想した。

佐藤康光前竜王の車に羽生善治六冠と森内俊之七段が同乗した日