羽生善治七冠誕生で生まれた千駄ヶ谷の空気の変化

将棋世界1996年4月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

2月13日 昇級者は未だ決まらず

 一方、この日は王将戦第4局の1日目で、テレビ中継があった。勝負が決まるわけでもない第1日目からとは……。羽生効果は恐ろしい。

 ただ、将棋会館内は、どんな戦型になった?という程度の関心しかなく、羽生六冠王が38度の熱を出した、と聞いても、不運に同情するとか、辛いだろうに、と言う人はいなかった。頭が痛かろうが、腹が痛かろうか、集中力が失われようが、いずれ六冠王が勝つだろうし、もし第4局で負けても、七冠王誕生が遅れるだけ、楽しみが先に延びてかえっておもしろい。そんな雰囲気だった。

 そもそも順位戦を戦っている当人達はそれどころではない、ということもある。

(中略)

2月16日 千駄ヶ谷、七冠狂騒曲

 騒ぎになるとは思っていたが、これほどとは思わなかった。七冠王誕生の夜のテレビ、翌朝の新聞のあつかいを見て、読売新聞の社説の口調を借りて言えば、たまげた。

 たとえば、テレビキャスターの、七冠王に対するインタビューのときの口調がいつもと違っていた。なんていうか、妙に丁寧である。将棋棋士について、世間がどういうイメージを持っているのか、あらためて考えさせられた。きっと棋士という人種は、訳が判らないんでしょうね。

 それと、各界知名人の各人各様の見方も参考になった。一億総評論家といわれる時代に、将棋がいっときであれ、茶の間の話題になるのが、私の夢だった。それが実現したのである。タクシーの運転手氏に羽生七冠王の噂話をしたら、国民栄誉賞の是非について、とうとうと弁じてくれた。羽生効果はいろいろあろうが、私には、これほど世間の関心を呼んだのが一番の効果に思える。

 私事になるが、取材の電話も何本かあった。質問はみな同じだから、答えも同じにならざるを得ない。なんとかの一つ憶えみたいに同じ話をするのも、なかなか辛いものである。こう見えても小生は少しばかりのサービス精神があるから、各取材者に、すこしずつ違った話を加えた。それも数が多いと尽き、ついに、「数年後には、谷川七冠王の時代が来るかもしれません」と言ったら、とたんにガチャンと電話を切られた。

 と、こんな風に将棋界の内側の話をぶちまける(といっても大したことはないが)ことにしよう。なにしろ羽生七冠王誕生という超特別な日なのだ。口うるさい千駄ヶ谷の住人も許してくれるだろう。

 七冠王誕生の翌々日である。B級1組と2組の順位戦が行われている。

 私は午後、将棋会館に着き、さっそく大広間を覗いた。内藤九段、森(雞)九段、石田九段などの顔が見える。昇級と降級がからむ対戦が多く、重苦しい雰囲気と思いきやそうでもない。石田九段が「いよっ」と声をかけた。「なにかいいことがありそうだね」。「そんなのありませんよ」笑いながらボヤいている。そこで羽生騒ぎの話をし、長居は無用と部屋から出た。石田九段の相手は井上六段で、昇段昇級の一局なのである。

将棋世界同じ号より。

 廊下で前田七段とバッタリ。相変わらずの巨体である。エレベータの前の椅子に座って、うだうだと話していると、内藤九段が対局室から出て来た。

「カワさんところも取材がたいへんでしたか」

「ええ。まあ。内藤さんも凄かったでしょう」

「そやけど、まあ、なんてあんなに勝つんやろな」内藤さんも椅子に座った。

「将棋は多少力が違っても、たまには弱いもんが勝つ。それが将棋というもんやろ。倍層、三倍層いうて、大駒違うもんが平手で指しても、三番に一番、四番に一番は入るもんや。それがあの勝ちっぷりは信じられんわ」。そういえば、米長九段も、羽生は大駒一枚強いと書いていた。

 結局、内藤さんの「勢いやろな」でいちおう話が終わった。

 対局中は謹厳そのものの内藤さんが、午後の勝負時に雑談するなんて、めったにない。どうやらみんな明るい気持ちになったらしい。

 羽生七冠王誕生が近づいても、将棋界内部は妙に無関心をよそおっていた。そんな空気は、これまでにお伝えしてきた。ところが、七冠王誕生の反響の大きさに棋士達も驚いたらしい。これはどんな意味を持っているかに気がついたのだ。私には、そこの気分をうまくいい表せないが、エコー効果とでもいうのだろうか、世間の反響が千駄ヶ谷村にハネっかえって来て、こちらも浮かれだしたようなのである。

(中略)

 対局室へ入ると「イヤになったよ河口さん」、感想戦をやっていた石田九段が呼んでいる。そちらへ行こうとすると「ああイヤになった」。内藤九段が声を合わせ、投げた。「逆のラインをうっかりしとった。えらい錯覚や」内藤さんは頭へ手をやった。

 中村八段は「ええ」という風にうなずいている。

(中略)

 感想戦を見ていると、石田君が「お先に」と声をかけ、井上君と連れ立って出ていった。ボヤキの本家に代わって内藤さんがボヤく。私も調子に乗り、うっかり「内藤将棋は勝つときも華麗だが、負けるときも華麗ですね」と言ってしまった。こういう一言で損をする。

 そうこうしているうちに、となりの、森(雞)対佐藤(康)戦が終わった。佐藤勝ちである。感想戦はこちらにうつったが、どうも迫力が出ない。負けたとはいえ、昇級が決定していては頬も緩む。

「負けちゃったけど、今日はおごるよ。近くで一杯やろう」。森が言い、感想戦はすぐお開きとなった。

 近くの香港飲茶の店へ行く。石田君と井上君がいた。また、オッ!という感じで合流し、とりあえず井上、森両君の昇級を祝って杯を上げる。集った面々は石田九段、井上六段に、森九段、中村八段、佐藤(康)七段など。勝った人達が多いから、こういう席は気を遣わないですむ。

「森君よ、来期だけはとにかく粘らなきゃ……」なんて言うと「もちろん。5勝を目標に頑張る」。中村君が合いの手を入れた。

「私は5勝7敗で落ちるんですけど」

 今日勝って4勝したが、大阪で、南九段が富岡七段を破っており、同星の4勝である。最終戦で中村八段が勝っても、南九段も勝てば頭ハネをくらう。みんなそのあたりのアヤは知っており、一瞬シンとなった。

「いや、5勝は助かる。ボクが保証するよ。5勝7敗で落ちてはひどすぎる」

 景気よく森君が断じた。

 それからは、お定まりの羽生論である。

 あれこれ感心したあと、森九段がヤケクソみたいに叫んだ。

「こうなったら十冠全部勝ったらいいんだ」

「でも、島さんは、絶対勝つ、と宣言してましたよ」、佐藤君が教えてくれた。

 七冠王の日程はきびしく、明日土曜日は島八段と全日プロ、月曜はNHK杯戦で深浦五段、火曜日はゲンダイ勝ち抜き戦で井上六段とつづく。

 私達の目からすれば、明日からの対局は、大目標達成後のウイニングランみたいなものだから、多少力が抜けるだろう、と思っていたのだが、天才の体力、精神力はまるっきり違っていたのは、結果を見れば明らかである。

 他に話題になったのは、3月1日のA級順位戦。挑戦者は森内八段、という説が多かった。意外だったのは、加藤さんは落ちない、という人が多かったこと。「一度でも名人になった人は、どこか勝負強い」が論拠であった。もっとも、こういう席では、おもしろがらせる話になりがちだから、本音かどうかはどうかは判らず、単なる予想にすぎない。

 どうした訳か、石田九段の泣きが聞かれなかったが、それも七冠王誕生を祝う気分があったからだろう。

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六冠と七冠の違い、というより(全冠マイナス一冠)と(全冠制覇)の違いと言うべきなのだろう。

昇級祝いということはあったとしても、対局終了後、対局相手と飲みに行くというのは、どちらかといえば珍しいこと。

それが、石田和雄九段-井上慶太六段戦の二人、森雞二九段-佐藤康光七段戦の二人、そして中村修八段などが一緒になった飲み会。

1日前とは打って変わって、全体がほのぼのとした雰囲気になっている。

羽生善治七冠フィーバーが落ち着いてからは元に戻ったのだろうが、静かなお祭りのようで、読んでいてこちらまで嬉しくなってくる。

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「こうなったら十冠全部勝ったらいいんだ」

羽生七冠は、この後、早指し戦とNHK杯戦で優勝をするので、タイトル戦以外も含めれば九冠を達成したことになる。