将棋世界1996年4月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
2月20日
朝、対局室のエレベータを出て、またもやたまげた。あの狭いところにテレビ関係者がびっしり詰めている。ワイドショーの人達と、さすがに私もすぐ判った。
先崎君が感にたえたように言った。
「天才の持ち時間は違うんだな。羽生さんは一日でボクの何十倍ものことをやる」
さすがに10時の開始時刻になると、いっせいに引き上げ、いつもの閑散とした風景になった。
私なんかは、まるで野次馬気分でかえって淋しくなった。
棋士の勝ち負けだけでなく、ゴシップなどが茶の間の話題になるのは嬉しい、と前に書いた。
婚約以前の羽生七冠王は若い女性に追っかけ回されたが、今は、佐藤康光君が大人気と聞いた。ご本人にそれをたしかめたら「いやたいしたことはありません。ボクより行方君が上ですよ」と笑っていた。
話がそれたが、世間一般の話題になれば、ときには、心ない言葉も聞くようになる。棋士は、そういう心の準備をしておかなくてはなるまい。いままでのように、ハレ物にさわるような感じ、で取り扱ってはくれないのだ。
昼休みになった。
七冠王は、テーブルのすみで、出前の弁当を食べている。ポットからみそ汁を自分で注いだりして、一般の棋士とまったく変わらない。ここに七冠王のもう一つの顔がある。
そこへ、先崎六段と対局中の高橋九段が入って来た。羽生七冠王に気がついて丁寧に手をついて挨拶した。
私はそれを見て、内心うなり感心した。もちろん二人に対してである。
高橋九段が谷川九段と並んで、上位者のなかでは一、二を争う好人物であるのは知られている。私もそう思う。その高橋九段も、いったん将棋会館に入ると、人が変わったように無愛想になる。控え室で継ぎ盤を見ているときも、人と目が合えばちょっと会釈するだけ。世間話など無駄口はいっさいきかない。研究手順に口をはさむことすら稀である。それが奨励会時代から変わらないのだ。あまりの徹底ぶりに今でも感心している。
その高橋が敬意を表したのである。心の奥底から、羽生という人間を認めたのだろう。
また、それを率直にあらわすところが高橋の人柄である。
また、丁寧に挨拶を返す羽生七冠王にも貫禄というものがあった。
このようにして、羽生七冠王がいくらでも勝つ理由が少しずつ見えてくる。
(以下略)
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「そこへ、先崎六段と対局中の高橋九段が入って来た。羽生七冠王に気がついて丁寧に手をついて挨拶した」
高橋道雄九段は、棋王戦五番勝負で羽生善治七冠(当時)に挑戦している最中。2月10日の第1局に敗れ、3日後の2月23日に棋王戦第2局を控えてのタイミングでのことだった。
なかなかできることではない。本当に立派なことだと思う。
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「いやたいしたことはありません。ボクより行方君が上ですよ」
佐藤康光七段(当時)が、「モテ光」と呼ばれるようになるのは、この翌年のあたりから。
先崎学六段(当時)と次のようなことがあった。
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1997年の年末の頃には、佐藤康光八段(当時)が「とてもモテているといううわさがありますが」という週刊将棋からの質問に、「いや、そんなことないですよ。全然そんな、とんでもない。よく誤解されるんですけれど。まあ、先崎よりは、という程度で、郷田さんとか森内さんにはとても及ばないです」と回答している。
行方尚史五段(当時)の名前が外れてしまっている。
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1998年、行方五段は、佐藤紳哉四段(当時)と山崎隆之四段(当時)をジャニーズ系と評している。
一方、将棋世界誌は、山崎四段を「愛らしいルックスから行方二世の声もある」と書いている。
そのことについて行方五段は、「山崎君は僕に例えられてはメチャクチャ嫌だろうと思います。(中略)間違いなく僕よりはモテモテになってしまうであろう山崎君」と述べている。
「自分よりも◯◯さんのほうがモテる」というのは、棋士にとっての基本手筋になっているのかもしれない。