森内俊之八段(当時)「伊藤先生、まだ詰将棋、お持ちなんでしょう。これから場所を変えて佐藤君と2次会をやりましょう」

将棋マガジン1996年5月号、青島たつひこさんの「佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック」より。

将棋マガジン同じ号より。

 今回の「なんでもアタック」は、将棋ファンの頂点に立つプロ棋士と(それも佐藤康光新八段と森内俊之八段というとびっきりのプロ)、詰将棋の世界ではトップクラスといわれるお二人のアマ選手にご登場いただき、詰将棋の早解きに挑戦してもらうことになった。

 なんでもアタックは文字どおり、佐藤・森内両プロによる体当たりの挑戦企画である。今回のアマプロ両トップ選手による詰将棋の早解き競争というのも、過去に例のない企画のはずである。実をいうと、第1回目の打ち合わせのとき、両プロがそろって強い興味を示したのがこの企画だった。

「詰将棋作家って、どのくらい早く解くんだろう」

「もしかしたら、ケタ違いかも」

「でも、こっちもプロ。逃げる手はないでしょう」

 いつもながら両プロの意欲的な姿勢には感心させられる。意識の最初になるのはプロのメンツなどではなく、どんな角度からでも将棋を解明してやろうという探究心なのだ。企画を立てるほうもやりがいがある。

 山田康平氏。菊田裕司氏。

 今回ご登場いただいた詰将棋作家はこのお二人である。

 山田康平さん。京都府出身の24歳。小学校5年生の時に若島正氏に才能を見出され、以後驚異的なペースで創作を続ける。20歳の時に詰将棋パラダイスの最年少同人作家(入選100回以上)となる。看寿賞受賞作家。量、質ともに若手作家の中では断トツの存在。京都大学将棋部では菊田氏の1年後輩。指し将棋も強く、平成元年高校選手権優勝。アマ名人戦京都代表などの実績を持つ。

 菊田裕司さん。北海道出身の25歳。小学校時代に実戦の大会出場と詰将棋創作を並行して始める。アマ強豪としての実績は超一流で、アマ竜王、アマ名人、アマ王将の三冠王。アマプロ戦でプロを破った実績も多数ある。詰将棋の創作数はそれほど多くないが、質の高い作品を残している。京都大学将棋部では山田氏の詰将棋の検討をよくし、解図の早さには定評がある。

 両氏を推薦してくれたのは、将棋連盟職員で詰将棋作家としても知られる角建逸さん。そのプロフィールを見れば、推薦理由も納得である。

(中略)

 今回の企画にあたり伊藤果七段の全面協力を仰ぐことにした。伊藤七段は詰将棋作家として有名なばかりでなく、アマチュアの詰将棋作家とも広く付き合いがあり、プロアマ両方の世界を均等に見渡すことのできる人だからだ。伊藤七段には、事前にいろんな話をうかがった。

 伊藤「アマチュア作家が集まって早解きの競争をしたことはありますが、プロの参加は初めてでしょう。一般的にはプロ棋士より詰将棋作家のほうが解図は早いと思います。また作家の中でも、創作派と解答派に分かれます。プロに関していえば、詰将棋はトレーニングの一環ですから関わり方が違います。プロは将棋の力で解くけど、詰将棋作家は図形感覚で解く。作家の中で解図ナンバーワンは文句なしに若島正さん(現京都大学助教授。天才的な詰将棋作家として知られる)でしょう。彼は昔からの友人ですが、僕が作った30手台の詰将棋を電話で伝えると、話しながら30秒くらいで解いてくる。野球のピッチャーでいうなら、僕も若い頃は、150キロの球を投げていたんだけど、若島さんは200キロ以上出していた。とにかくケタ違い。あれはもう伝説の世界です。僕が感心したのは内藤九段。もう20年以上前の話ですが、ある詰将棋を前に、プロ棋士10人が1時間くらいうなっているところに内藤先生が入ってきて、30秒くらいで解いたのを見たことがある。若手プロでは森内俊之、先崎学、行方尚史といったところが早い。羽生先生も早いと思うが、実際に見たことはありません」

(中略)

 大会のルールは以下の通り。

  1. 問題は伊藤七段の作品を10問。構成は未発表の中編作中心。
  2. 1問ずつ大盤と図面で出題。
  3. 各自ストップウォッチ開始時に押す。解けたら最終手と総手数を記入し、それからストップウォッチを止める。
  4. 早く解けた順に、10点、7点、5点、3点を獲得。不正解およびタイムオーバー(第9問までは10分。第10問だけ15分)は0点。
  5. 以上を10回繰り返し、1位から4位までの順位を決定する。

 大会は1月28日、将棋会館の特別対局室で行われた。写真でご覧のように、対局室には15人ほどの女性ファンも見学に駆けつけた。

(中略)

 第9問が終わったところで、得点は「山田=72点。佐藤=53点。菊田=51点。森内=35点」という状況である。前半の貯金がものをいい、この時点で山田さんの優勝が決定している。最後に山田さんが0点を取り、2位の佐藤プロが10点を取っても逆転しないからだ。

(中略)

 そしていよいよ運命の第10問。

 1位=佐藤(14分40秒34)
 失格=山田(不正解)
 失格=菊田(時間切れ)
 失格=森内(時間切れ)

 伊藤七段の自信作というだけのことはある。本作は47手詰。解答手順に3回の合駒が出てくるという、超難解作である。

(中略)

 疲れきった4人を前に、伊藤七段が講評をまとめて、大会は終わった。

 伊藤「順位はともかく、みんな素晴らしい頭脳です。僕の詰将棋は筋がないので、両プロは苦労したかもしれない。プロは読みから。作家は筋から。それがよく分かった。この条件で僕が回答に回ったら、1問か2問しか解けなかったと思う。久しぶりに感動しました」

 後日談その1。「山田さんはすごい」「勝てません」と声をそろえた両プロは伊藤七段と食事に出かけ、伊藤七段の出題で、さらに10作以上の詰将棋を解き合った。「名人戦の挑戦者になれたのは、この時の苦労のお陰です」と森内八段。

 後日談その2。山田、菊田両氏がある酒席で例の若島氏にあの47手詰を見せたところ、少考した若島氏は5分ほどで正解を示したという。世の中には恐ろしい人がいるものだ。

(以下略)

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NHK将棋講座1996年5月号、鈴木宏彦さんの「将棋マンスリー 東京」より。

 競争終了後、みんな「疲れました」を連発する中で、1人だけ違った反応を見せたのが森内プロだった。出題者の伊藤七段をつかまえ、「伊藤先生、まだ詰将棋、お持ちなんでしょう。これから場所を変えて佐藤君と2次会をやりましょう」ときた。そして、実際にその2次会をやったのだ。

 この負けず嫌い、この根性。これが森内の持ち味である。森内の名人挑戦を聞いた羽生は「小学生時代からずっと指してきた相手。その相手と名人戦を戦えるのは、さすがに感慨深いものがあります」と言ったそうだ。羽生も相手の根性を知っている。七番勝負は面白い戦いになると思う。

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青島たつひこさん(鈴木宏彦さんのペンネーム)の「佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック」。

この企画は「プロ棋士の能力を探ること。今までに誰もやらなかった『壁』に挑戦してもらいたい。プロの能力を探ることによって、将棋の楽しさを再発掘するのが本当の狙いです」ということだった。

その中では、目かくし多面指しという恐ろしい企画があり、佐藤康光七段(当時)が目かくし五面指しを成し遂げている。

佐藤康光九段の目かくし五面指し(日本記録)

また、この時には、森内俊之八段(当時)と伊奈めぐみさんの対局も行われていた。

森内俊之八段-伊奈めぐみさん戦

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詰将棋の早解き挑戦。詰将棋解答選手権が行われるのは2004年からなので、この8年後のこと。

第1問から第10問までの詰手数が、21、27、21、17、27、17、15、23、21、47という、制限時間から考えれば恐ろしい内容だ。

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「両氏を推薦してくれたのは、将棋連盟職員で詰将棋作家としても知られる角建逸さん。そのプロフィールを見れば、推薦理由も納得である」

角さんは、この頃は手合課長。後に将棋世界編集長を務める。現在は、詰将棋作家であり詰将棋書籍の編集発行者。夕刊フジの詰将棋を担当し、Twitterアカウントも持たれている。

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「伊藤先生、まだ詰将棋、お持ちなんでしょう。これから場所を変えて佐藤君と2次会をやりましょう」

不本意だった成績の森内八段。

勝負師としての矜持と根性が本当に感動的だ。

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伊藤果七段(当時)が、2次会の後のことも含め、この時のことを書いている。

将棋世界1996年5月号、伊藤果七段の「詰将棋サロン解説」より。

 前号でお知らせした将棋マガジン<佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック>企画の中の、詰将棋早解き選手権の模様が5月号に掲載されています。結果をご覧になられた方々の印象は如何だったでしょうか。当日の夕刻、戦い終えた二人の感想はこうでした。

 佐藤「いやー、思っていたより感覚が前より鈍っていましたね。これは改めて詰将棋を解く勉強をしなくてはいけないですね」

 森内「全然、ダメでした。情けないです。しっかり勉強し直します」

 帰りは、ぼくを含めて方向が同じなのでタクシーに乗り込んだのですが、その車中までも二人は悔しさが醒めやらず、このあと事態は思わぬ展開へと…。

 後部座席にいた二人は何やら相談がまとまったらしく、助手席のぼくに向かって”どうでしょうか”、月1回ペースで詰将棋早解き勉強会を、伊藤宅で開いて戴ければ嬉しいのですが…”という、提案が出されたのです。将棋の研究会はあっても、プロ棋士の詰将棋だけを解く研究会なんて、聞いたことがありません。

 ぼくは目が点になりながらも、このひと達はどうしてこんなにも素直で真っ直ぐな向上心が咄嗟に生まれるのか。一人は元竜王で新A級、一人は今期の名人挑戦者である彼らであって、このひたむきな心はいったいなんなのか。

 ぼくは驚きと共に、なんだかとっても嬉しくて、すっかり二人に惚れてしまいました。

<後日報告>詰将棋勉強会は2月、3月とすでに2回行われています。

(以下略)

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森内俊之九段も佐藤康光九段も、強くあり続ける源泉は、このようなところにもあるのだと思う。