近代将棋1996年5月号、大矢順正さんの「棋界こぼれ話」より。
3月7日の午後、伊藤果七段の自宅に「サクラ咲く」の知らせが届いた。(最近はほとんど無くなったが、以前は合格通知は「サクラ咲く」だった)
伊藤門下の一番弟子の堀口一史座くんが、三段リーグを見事卒業して晴れの新四段になったのである。
その第一報を知らせてくれたのは、名人挑戦者になった森内俊之八段。
伊藤家は、昨年の暮れに世田谷から目黒区に引っ越した。
森内八段のマンションと佐藤康光八段のマンションから自転車で数分のところで、それぞれの家は二等辺三角形の頂点の位置にある。
そんな関係もあって森内、佐藤は伊藤家を訪問することが多いとのことだ。
森内八段は、三段リーグの最終日に連盟に連絡をとっており、堀口三段が1局目の勝利で昇段を決めたことを知った。
早速、伊藤家に連絡をいれた次第。
新四段になった堀口の名前は一史座でカズシザと読む。なんでも「シーザー」から取ったものだそうだ。
名前も変わっているが人間も一風変わった根性の持ち主。
三段時代は、羽生七冠王の専用記録係で、まるで恋人のように羽生七冠王の対局には必ずといっていいほど記録係を務めていた。もちろん自ら志願してのものである。
堀口は前期の三段リーグでは順位の差で涙を飲んだ。普通なら緊張の糸が切れて落ち込んでしまうケースが多いが、連速好成績を挙げての昇段は立派。羽生七冠王効果が実ったのだろう。
堀口は昇段決定した日の恒例の祝勝会を「負けて退会していく人もいるのに、自分だけが喜んではいられない」と辞退して、さっさと帰宅してしまった。
ともに苦労してきた同僚のことを思えば素直に喜べない、という気持ちは分からないではない。殊勝なことである。
が、それだけでは済まなかった。
それから2、3日後、森内八段、佐藤八段、そして伊藤七段の兄弟弟子である島八段が、堀口四段の昇段祝いのために伊藤家に集合した。しかし、肝心の堀口四段が現れない。結局、主のいないお祝いの会が深夜まで続いたそうだ。
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将棋世界1996年5月号、堀口一史座四段(当時)の四段昇級の記「春に思う」より。
三段リーグは厳しい。前期第17回三段リーグでは僕は昇段の一番を負けた。その時勝負の表と裏、屈辱を味わされた。しかし僕は負けなかった。きっとこの思いを巌窟王のような精神力ではね返してみせるぞ、と敗れた次の日から僕は自分の信じる努力の道を進んだ。僕の将棋に対するプライドが僕を立ち上がらせ、僕の甘かった精神力が岩のように強くなって行くのを感じた。そのためには技術も精神力も同じように強くないと、なかなか上がれないのだ。だから三段リーグでは悪くても1勝1敗にしないといけない。
ここで一つ僕の隠れた自慢をさせてください。僕は1年間、36局三段リーグを戦って、前期と今期合わせて2連敗を一回もしなかった事です。これは皆さんは、なんだそんな事かと思われるでしょうが、簡単に出来る事ではないと自分では思っている事です。
僕が四段に昇段出来た事はこれまでの努力の結果なのですが、その陰に隠れている努力は人一倍やったと自負しています。僕は努力する事が普通に楽しく出来るタイプなんです。よくマスコミが、努力したからこんな事を達成したとかいう話を美化して書いた記事を読むと、僕はムカツク。努力して簡単に強くなったり勝てたりすれば、苦労はだれもしません。ある程度努力してくると、努力したから勝てるとか、強いとかは作り話だというのがわかってくる。しかしそれがわかったからと言って努力しないのは最低で、努力しなければ話は始まりません。
最後に僕の師匠、伊藤果先生、御徒町将棋センター、調布将棋センターの方々、その他、まだ書き切れませんが僕を育ててくださった方々に四段になれましたという御報告を致します。有難うございました。
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「負けて退会していく人もいるのに、自分だけが喜んではいられない」
堀口一史座四段(当時)の奨励会の仲間を思いやる気持ち、そしてストイックさ。
師匠の伊藤果七段(当時)宅での昇段祝いに来なかったのも、この思いを全うさせたかったのだろう。
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堀口一史座四段は、将棋マガジン1996年5月号で、今後の抱負を「後輩に、将棋の考え方を教えたい。最善手等、局面の捉え方というのを伝えて『さすが』と思わせるようになりたいです」と語っている。
山本博志四段は、Twitterで堀口一史座七段との思い出について書いている。
堀口一史座先生の詰みには心打たれます。
一度だけ、記録を取らせて頂いた事がありました。丁度級でくすぶっていた頃、先生はギリギリ体調を崩される前でした。感想戦で「君はどう思う?」と聞いて下さり、1時間弱どっぷり感想戦に混ぜて頂きました。級の頃、そんな先生は他に居ませんでした。(続く)— 山本 博志 (@yamahiro3ken) August 6, 2020
それ以来お話する事もなく、1局きりのご縁でしたが、B級バリバリの先生から爽やかに励まして頂いた事は未だに覚えていて、自分にとっては大切な思い出になっています。
こういう事は一進一退ですから、まだ大変なのではとお察ししますが、思い出だけ書かせて頂きました。— 山本 博志 (@yamahiro3ken) August 6, 2020
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「ある程度努力してくると、努力したから勝てるとか、強いとかは作り話だというのがわかってくる。しかしそれがわかったからと言って努力しないのは最低で、努力しなければ話は始まりません」
努力は空気と同じようなものなのかもしれない。
空気を吸ってもスーパーマンにはなれないけれども、空気を吸わないと大変なことになってしまう。
→木村一基五段(当時)「”努力しても伸びるとは限らない。しかし伸びている人はみな、その人なりに努力している”と或る人が言った」