石田和雄九段とぼやき

石田和雄九段といえば、筋の良い将棋と名解説、ぼやきと頭叩き。

「名棋士81傑ちょっといい話」石田和雄九段の項より抜粋。

対局中、ぼやくことで有名。けっこう本音もあるが、癖でもある。「まいった、まいった」としきりに言っているので苦戦なのかと思ったら快勝。「あれはむこうが参っていたんです」などと、とぼけたところもあるが、悪意はないので仲間うちからも好かれている。得な性分だ。扇子で自分の頭を叩き、自ら闘志をかき立たせることも有名。一局で扇子一本がぼろぼろになることもあった。

対談でもぼやきが出る。

将棋世界1997年1月号、鈴木輝彦七段「棋士それぞれの地平」より。

鈴木 石田さんの奨励会時代は数々の神話があったと伺っていますが。

石田 2年で初段、そこから20勝1敗で三段。四段からも10勝で昇級を決めて、C1も連続昇級。向うところ敵なし、アッハハ。

鈴木 先生、それではあっというまに終わってしまいますから、もう少しゆっくり教えて下さい。

石田 いや、それくらい強かったといいたくてね(笑)。

鈴木 それはよく分かりました(笑)。奨励会の入会はいくつで。

石田 中学を卒業と同時の15歳でしたね。

鈴木 アマ時代は強かったんですか。

石田 四段で岡崎には敵がいなかった。

鈴木 それでは好成績で入会を。

石田 それが1勝4敗で5級の試験を落ちたんだ。で、まぁ、6級ということで。

鈴木 本当に強かったんですか(笑)。 

石田 どうも僕は勝負弱い。本で覚えた将棋だから筋はいいんだけど、非力なんだな。

鈴木 得意のボヤキはいいんですけど(笑)、板谷門下にしてはめずらしく東京でしたね。

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このように愛すべき石田和雄九段だが、今日の本題はここから。

1996年にTBS系で「輝く日本の星・羽生善治」という番組が放送された。小学生を対象にしたオーディションバラエティ番組で、200人の子供達の中から羽生七冠(当時)のような天才少年を見つけようという内容。

審査員は棋士たち。

将棋マガジン1996年8月号、「神吉宏充の禁断の戦法」より、ボヤキとも一味違う石田和雄九段の面白い会話。。

(太字が神吉六段の文章)

一回目登場の棋士は、石田九段、私と先崎六段、中山四段、山田久美女流二段の五人。中でも一番目立っていたのが石田九段。番組中はもちろんのこと、控え室でもそのユニークな言動は他の出演者を楽しませる。

「いやあ、この番組は楽しいねえ。あのイシダチさんなんて実際会ってみると礼儀正しくって好感持てていいですねぇ」

「イ・イシダチさん…ですか?」

「そう、あのイシダチさんだよ」

間髪入れず、スタッフがそっと私の耳元に「あのう、石田先生がおっしゃってるのは、司会の古舘伊知郎さんの事ですよ。先生、番組中もずっと古舘さんのことをイシダチさんと言っておられましたから」

「先生、それってひょっとして古舘伊知郎さんの事ですか?」と尋ねると「そうそう、そのフル…タチ?それだよ。イシダチさんはいいねえ」

わかってないようだった。

石田先生の名前間違い覚えは、不思議にユニークで笑ってしまうものが数多くある。たとえばタモリさんがCMをしているユンケルという栄養ドリンクがある。これが先生の手にかかると

「神吉君、エンゲルってのはいいねえ…そう、800円のだ。あれは効くよ。でもネ、3000円のはイカン!イカンよキミ、効きすぎだ。眠れなくなる」

しかし、本来スタミナドリンクってのは眠気を吹き飛ばし、元気にさせるものだと思うのだが? だんだんわからんようになってきた。

石田和雄九段と弟子の勝又清和六段のとても微笑ましい師弟関係が、将棋世界2009年11月号、野月浩貴七段の「熱局探訪」で書かれている。

(太字が野月七段の文章)

石田九段は、勝っても負けても、弟子の勝又清和六段と2人で飲みに行く。

勝又六段が師匠の対局のときには、お供するために待ち構えているといった方が正しいだろうか。