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稀代のプレイボーイ棋士

近代将棋1989年12月号、原田泰夫九段の名棋士の思い出「清野静男八段のこと」より。 漫遊天才奇人  大正11年8月14日、新潟県新発田市の生まれ。昭和11年、故木村義雄十四世名人門。24年三段で順位戦に初参加。49年八段。詰将棋の名手。5...
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谷川浩司名人(当時)が羽生善治五段(当時)を分析する

近代将棋1989年12月号、谷川浩司名人(当時)の連載エッセイ「対局のはざまで」より。  羽生善治五段が竜王戦の挑戦権を獲得した。  十代のタイトル挑戦はこれが初めて。だが、彼の実力や成績を考えれば、当然、というよりも遅すぎたくらいかもしれ...
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花村元司九段でさえ手こずったこと

将棋世界1991年7月号、池田修一六段(当時)の「師匠と弟子の物語 花村と私(上)」より。  私は休場明けをして出て行くやすぐ四段となり、昭和44年から順位戦に参加していた。が、病気を機に思うところがあり、郷里に在し、対局のおりだけ上京。と...
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中原人情流

将棋世界1991年7月号、池田修一六段(当時)の「師匠と弟子の物語 花村と私(上)」より。  だいたい花村は弟子をとって、弟子に期待すると云った風がまるでなかったみたいだし、すでに48、9を迎えていたが、自分は稀代の”勝負師”だとする自負、...
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升田幸三九段の叱り方

将棋世界1991年7月号、池田修一六段(当時)の「師匠と弟子の物語 花村と私(上)」より。  ところが「正直」、「親切」。その言葉が心のかたすみに在りながらも、私は奔放に暮らし、青春?を肩で生きるような観で過ごしていた。悪ガキの先導に、喧嘩...