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先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」

将棋世界1998年10月号、先崎学六段(当時)の村山聖九段追悼文より。  今、僕は東北の温泉に居る。静養のためである。行く前に、三つ、誓を立てた。一、酒を飲まない。二、嫌なことを思い出さない。三、嫌なことに触れない。  そこへ、村山聖が死ん...
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森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」

将棋世界1998年10月号、森信雄六段(当時)の村山聖九段追悼文「村山君よ、安らかに」より。  昭和57年9月、お母さんに連れられて、関西将棋会館の道場で会ったのが、村山君との初めての出会いだった。  ワイシャツの袖をまくり上げ、足元を見る...
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郷田真隆棋聖(当時)「それよりも何よりも一人の人間として、私はムラヤマヒジリが好きでした」

将棋世界1998年10月号、郷田真隆棋聖(当時)の村山聖九段追悼文「村山君との思い出」より。  八月十日、将棋連盟で滝先生より村山君の訃報を知らされて、あまりに突然のことに言葉を失くしました。一年、或いはもう一年、体調を戻して元気に復帰して...
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”行方二世”と呼ばれた山崎隆之四段(当時)

将棋世界1998年5月号、「棋士達の背景 四段 山﨑隆之」より。  第22回奨励会三段リーグが3月5日に全19回戦を終了した。  晴れて四段昇段を決めたのは、中原誠永世十段門下で25歳、NHK杯の記録係としても顔が知られている高野秀行。次点...
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「降り止まぬ雨はない」は微妙な言葉

将棋世界1998年2月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。  降り止まぬ雨はない、は芹沢八段の上九段の下の口グセだった。今日12月9日は芹沢の命日。死んでから10年になる。51歳の生涯は早死であるが、私はかならずしもそう思ってい...