「降り止まぬ雨はない」は微妙な言葉

将棋世界1998年2月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 降り止まぬ雨はない、は芹沢八段の上九段の下の口グセだった。今日12月9日は芹沢の命日。死んでから10年になる。51歳の生涯は早死であるが、私はかならずしもそう思っていない。彼は人の70歳分くらいは生きたのだ。人の生涯は、単なる数字であらわせるものではない。私なんかは馬齢を重ねているにすぎず、75か80くらいまで生きて、ちょうど芹沢と同じくらい生きたことになるのだろう。

 ところで、降り止まぬ雨はない、とは負けつづけているときなどに言った。永久に負けつづけるはずがない、と言うわけだ。だから、順位戦で連敗中の棋士と当たるのを嫌がる。相手は不調だ、などと喜ばぬのである。全棋士がそうだとはいわぬが、芹沢と同じタイプの棋士が多い。

 順位戦を全敗で終わる棋士は一人か二人くらいのものだろう。とすれば、5連敗とか6連敗している棋士は、そろそろ勝つころなのだ。

 言わんとしているのは高橋九段の星で5戦して白星なしとは、今期順位戦中での異変である。そもそも高橋九段は「地道高道」と言われるくらいで、人柄・棋風・成績はすこぶる安定していた。順位戦で負け越したなど、A級から落ちたときくらいのものだろう。今期A級に復帰したが、もともとA級上位の常連だから、位負けするはずがなく、どう考えても、5連敗はおかしい。

 その高橋九段と対戦する米長九段はどう思っていただろう。あまりいい気持ちではなかったと想像する。

(以下略)

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「降り止まぬ雨はない」は、自分に辛い状況が続いている時に自らを励ますような言葉だと思っていたが、棋士の場合、「順位戦で連敗中の棋士と当たるのを嫌がる」というように対局相手に対して適用することが多いと書かれている。

よくよく考えてみれば、「降り止まぬ雨はない」はたしかに真実だが、雨が上がった翌日からまた梅雨のごとく雨が降り続くかもしれないわけで、はなはだ心許ない。同じような雰囲気の言葉なら、「明けない夜はない」の方がずっと希望に満ちている。

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「降り止まぬ雨はない」の言葉通り、このA級順位戦・米長-高橋戦は高橋道雄九段が勝った。

しかし、高橋九段は順位戦でその後3連敗し、1勝8敗で降級。(高橋九段は2004年度と2009年度にA級へ復帰)

米長邦雄九段も4勝5敗の頭ハネで降級、米長九段はフリークラス宣言をする。

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「降り止まぬ雨はない」は微妙な言葉だ。

ルーレットのようなゲームで、「偶数」に毎回100円賭けて、10回連続して奇数だった場合、「降り止まぬ雨はない」と頑張って11回目に当ててもマイナス900円。

当たりが2分の1の確率の場合、一度負けたら前回の倍の賭け金を張ればいつかは絶対に損を取り戻せるという法則があるが、このような場合にのみ「降り止まぬ雨はない」という言葉が有り難みを帯びてくる。

しかし、10回負け続けて11回目に勝ったとして、

-100円-200円-400円-800円-1600円-3200円-6400円-12800円-25600円-51200円+102400円=プラス100円

かつ手元に204,700円の資金がなければ張ることができないわけで、なかなか辛い。

やはり、自分自身に何かが起き続けるようなことがあったら、嘘でもいいから「明けない夜はない」と思いたい。