1998年8月11日の羽生善治名人

村山聖八段が亡くなったのが1998年8月8日。

そして、故人の遺思により親族で密葬。

日本将棋連盟には8月10日に訃報が伝えられた。

(8月9日付で九段を追贈)

8月10日、竜王戦の対局だった羽生善治四冠(当時)は昼休みにこの報せを聞いた。

近代将棋1998年11月号、故・池崎和記さんの「普段着の棋士たち 関西編」より。

8月11日

広島の村山九段宅へ。急逝が伝えられた翌日である。

広島駅を出たところで偶然、山崎四段と出会った。聞くと、彼もこれから弔問にいくところだというので一緒にバスでいくことにした。

私も山崎さんも村山さんの家がどこにあるのか知らない。住所を頼りに停留所の見当をつけたが、そこから先がわからない。バスを降りてから地元の人に聞くと、まだかなり先だという。住宅地のせいかタクシーが一台も通らないので公衆電話で呼び出した。こんなことがあって到着するまでずいぶん時間がかかった。

「昼間、羽生さんが来られました」とお父さん。「一人ですか」「ええ、一人です」。

羽生さんは前日、東京で竜王戦(対郷田戦)があったはず。えらい人だな、と思った。

村山さんの部屋を見せてもらった。本とCDとビデオテープでぎっしり埋まった部屋。段ボール箱が積み上げられているのは、大阪のアパートから運び出したものだろう。

(中略)

ご両親から広島での入院中の様子をお聞きし、私は大阪時代の話をした。「聖は昔からおかしなことを言ったりしたりすることがよくありました。そのときは私たちにも意味がわからなかったんですが、あとになってみると、ああ、あれはこういうことだったのか、とわかるんですね」とお父さん。これは私にもよくわかる。同じことを大阪でも何度も経験しているからだ。

約一時間おじゃまして玄関を出ると、お母さんが山崎さんに「聖のぶんも頑張ってね」と言った。

帰りはお父さんが車で大通りまで送って下さった。村山さんは地元名物のシュークリームが大好物だったという。そのシュークリームを買って帰ろうと思い、広島駅で売っている店を探し回ったが、残念なことに見つからなかった。

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8月10日の対局が終わり、当日の午前0時過ぎに帰宅した羽生善治四冠は、朝一番の飛行機で広島へ向ったという。

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話は変わるが、今日は竜王戦決勝トーナメント、羽生善治名人-阿久津主税七段戦が行われる。→中継

この一戦の勝者が、久保利明二冠と挑戦者決定三番勝負を争う。