故・村山聖九段が語る羽生善治名人と森内俊之九段

将棋マガジン1996年6月号、名人戦七番勝負開幕「両雄を森下、村山が語る」より。

両雄は、羽生善治名人と森内俊之八段(当時)。

まずは、村山聖八段(当時)による羽生名人と森内八段。

表現が秀逸で、故・村山聖九段の早逝があらためて惜しまれる。

羽生さんの昨今を見ていて、将棋のことだけで言えば、常に新しい敵を求めているように見えます。

勝敗を争う、その緊張感を追い求めている感じもします。

新手と当たれば当たるほど、自分の技を磨き上げていく。今現在の羽生さんの成績をみれば、あながちうがった見方とはいえないでしょう。

人間的には、うーん、あまりしゃべったことがないのでよく分かりませんが、数年前と比べても変わってないんじゃないですか。

ただ第一人者としての風格というんですか、そんなものを感じます。自信に満ちあふれている、堂々としている姿が、自然に無理なくできる。

きっと、これまでにこなしてきた大舞台から、自然に備わったのかもしれません。

森内さんは棋風も日常の感じもほとんど変わらない。まあ、棋風というのあ人生観みたいなものですから、そんなに変われるものではありませんけど。たまにですが、マージャンを打ちます。相当に負けず嫌いなのは打っていてわかります。

棋風は正統派に近い将棋。近い、というのが森内流で、正統派にありがちなひ弱さがないのです。

一方で正統であり、もう一方では言葉は悪いのですが、博打打ち的で一種野性的な面も持っていると思うのです。時々、えっと思わせる力強い勝負手を放ってくることもしばしば。森内流には油断は禁物です。

(中略)

私は関西方面に住んでいたので、二人の小さい時のことはまったく分かりませんが、棋譜を並べてみた感じでは、両者は共にお互いを知りつくしているように思えるのです。

それとライバル意識の強さ。特に森内さんの方により強く感じます。

それを感じたのが、昭和63年1月14日に行われた天王戦での一局。

(中略)

ここはすでに羽生さんの必勝形。図で、森内さんは投了か、と思いましたが、

(中略)

指し手を見て、ただ粘っただけとは思えないのです。森内さんも相手が羽生さんでなかったなら、最終手まで行くことなく投了していたと思うのです。羽生さんだからこそ、ここまで指したのではないでしょうか。

(中略)

二人の負けん気が、窺い知れました。

こんな話も耳にしました。まだ小さい頃、両者が対戦する機会があって、その時に森内さんが初手▲5八飛としたら、羽生さんも△5二飛とすぐ指したという逸話があるくらいですから。

(以下略)

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両雄とも、今も変わっていないと思う。

故・村山聖九段による口述だが、非常に鋭い。

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そして今日はA級順位戦、渡辺明竜王-森内俊之九段戦。

渡辺明竜王と森内俊之九段には、将棋ペンクラブ大賞贈呈式に共に出席いただいた。

贈呈式の思い出を彩る湯川恵子さんの文章が面白い→将棋ペンクラブ公式ブログ「音楽の捧げもの」