「この課題の結果が、羽生、森内の二人は群を抜いて悪かったのだ。これにはちゃんとした理由がある。そして、その理由に思い当たったとき、私はあらためて、この二人はすごい!と思ったものだ」

NHK将棋講座1996年7月号、いとせなつみさんの「羽生と森内には不思議な縁があった」より。

 名人戦のカードが決まって、思い出したことがある。

 私は大学で将棋部にいた。4年生になって、卒業論文のテーマを決めなくてはならなくなったとき、ちっぽけでもいいから、私にしかできない研究がしたい、と考えて、将棋をテーマに選んだ。

 論文の題は「棋力と知的活動との関連について」。将棋をやってるというと、よく「じゃあ、数学できるんでしょう」って聞かれるんだけど、私自身は大の苦手で、でも、他の人はどうなんだろう?ということから、棋力の異なるグループにいくつか課題を与えて、そのあたりを考察してみよううと考えたんである。

 比較したのは、一般大学生、大学将棋部員、そしてプロ棋士の3群。一般的な知能検査の中から、数学に関係がありそうな課題をいくつか選び、結果を比べてみた。

 今思うと、ほんとにこわいもの知らずだったと思うが、大胆なことに、10人を超えるプロ棋士の先生方を、たかが大学生の卒論につきあわせちゃったんである。比較しやすくするために、お願いしたのは当時、大学生と同世代だった人たち。その中に、今をときめく羽生、森内のご両人もいたのだ。

 ご協力いただいた人の中で「卒論のためだけに結果を使うなら、いいですよ」という人がいたので、詳しい結果を公表することはできない。けれど、今回の名人戦を戦った二人に関して、とても印象的なことがあった。それを思い出したのだ。

 数学の中でも、図形の分野は将棋と関係が深いんじゃないか、とよく聞くので、選んだ課題があった。立方体をいくつか組み合わせて、与えられた図版を再現する、というもの。例えば、図のような図版を、赤、白、赤/白にペイントされた積み木を9つ使ってもらうのである。

 この課題の結果が、羽生、森内の二人は、群を抜いて悪かった、のだ。結果だけ聞くと、とてもショッキングだけれど、これにはちゃんとした理由がある。そして、その理由に思い当たったとき、私はあらためて「この二人はすごい!」と思ったものだ。

 普通、こういう課題は頭で考えるよりも、目で見て、手を動かして、部分部分を作っていけば早くできるものだ。ところが、この二人は、図版を提示すると、まず、じっと図版を見つめて動かないのだ。頭の中で、9つの積み木をどう配置すればよいか、を読み切ろう、とするんである。そして、読み切ってはじめて、手を動かして、そこからはすらすらと絵柄を完成させるのだ。

 目の前でストップウォッチで時間をはかっていた私は、最初、とても驚いた。時間をはかられていたら、普通はもっと急ごうとするもんだと思うんだけど……(検査は1人ずつ別々に行った)。けれど、そのうちに、あることに気がついた。

 これはきっと、詰将棋を解くときや、将棋を指すときの習慣がしみついているのだ、ということに。将棋を指すときは、待ったはできない。そして、プロ棋士は、詰将棋を解くときは、頭の中で駒を動かして考えるという。そんな習慣が、全く別のことに取り組むときにも、当たり前のように表れただけなんだ……。

 この二人は、根っからの将棋指しなんだな、ということが、将棋は弱い私にも、はっきりと感じられた。

(以下略)

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「数学の中でも、図形の分野は将棋と関係が深いんじゃないか、とよく聞くので、選んだ課題があった」

将棋の読みは、因数分解を解く時と同じような脳の使い方をしている、と考えたこともあったが、これは左脳の世界。

プロ棋士は右脳を使う世界と言われるので、図形の世界が近いのだろう。

ある棋士に、電話番号を覚えるとき、数字として覚えるのではなく画像として覚える、と聞いたことがある。

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棋士流の問題の解き方。

「詰将棋を解くときや、将棋を指すときの習慣がしみついている」は説得力が非常にあるし、「いったん手を動かしたら、待ったはしない」というのも鋭い視点。

卒業論文だけにしておくのは惜しいような内容だ。