広島の親分(2章-5)

広島行き

1998年9月13日(日)、湯川さんと私は新幹線で広島へと向かった。

湯川さんの近代将棋連載「アマ強豪伝」で高木さんを書くことになり、その取材の手伝いということで私も同行させてもらうことになった。 

高木さんに取材のアポをとるとき、湯川さんが「カメラマンの助手を一人連れて行く」と言ってくれている。 

12時頃、広島に到着する。

駅の構内のうどん屋で昼食をとった。

うどんのつゆは薄く澄んでいるが、関東風のつゆよりも塩味が濃く感じられた。

「高木さんの家は、ここから歩いて5分。3階建てで1階が喫茶店、高木さんは屋上に小屋を建てて、そこを自分の部屋にしていてさ。そろそろ行ってみようか」湯川さんが席を立った。 

駅を右側に出ると繁華街、高木さんの家もそちら側にある。

ところが湯川さんは突然逆の左側へ向かった。

「ちょっと遠回りして行こう。彼らはよく見張りをつけていたりするんだよな」 

仮に見張られていたとしても、これからそこへ行くのだから何の問題もないと思うのだが、湯川さんは目立たない路地を選んで歩いている。湯川さんも結構こういう状況を楽しんでいるのかもしれない。 

少しして、高木さんの住まいに到着した。入り口は喫茶店のドア。

「麻雀・喫茶よしみ」とある。

「暴力団排除の店」というステッカーも貼ってある。 

湯川さんはドアを開け中へ入っていく。私も後ろからついていく。

「やあ、高木さん、お久し振りです」

「おう、待っとったよ」

高木達夫さんだ。