大内延介九段の「う~ん、聞きしに勝る大物だ。普通なら何はさておき財布でしょう。彼は将棋以外のことは無関心なんだ」

NHK将棋講座1996年9月号、大矢順正さんの「将棋マンスリー 今月の話題」より。

将棋世界1996年8月号より、撮影は中野英伴さん。

 前期に続き、羽生棋聖の挑戦者となった三浦弘行五段は第1局を勝利し、羽生棋聖の一日制タイトル戦20連勝にストップをかけたことで、にわかに盛り上がりを見せた。

 第2局は6月29日、東京港区の「ホテル高輪」で行われた。

 午後からは、都内でのタイトル戦では初の公開対局となった。

 入場料5,000円の対局場には、約250人のファンが押しかけ、あっという間に満員となり、急遽、立ち見席まで用意される盛況ぶり。

 前夜祭での三浦五段のあいさつと淡路島の第1局後のエピソードが紹介されると、爆笑の渦が巻き起こった。

 淡路島からの帰京の際、三浦五段が羽田空港からモノレールに乗り換えたときに、上着のポケットから取り出したのが宿泊したホテルのキー。

 このキーは自室の貴重品用の金庫のもの。中に数十万円を入れた財布を入れたまま忘れてきてしまったのだそうだ。

 会場でその話を聞いていた大内九段「う~ん、聞きしに勝る大物だ。普通なら何はさておき財布でしょう。彼は将棋以外のことは無関心なんだ」

 続いて、三浦五段本人からのあいさつ。

「きょうは群馬の実家から上野駅に着き、そこからタクシーに乗ったが大渋滞で、電車なら3分の隣の御徒町の駅近くまで30分近くかかっている。やばいと思ってそこからJRに乗り換えたんです。そして田町駅で下車してタクシーで『ホテル高輪まで』と言ったが、その運転手さんが『実はきょう初めてタクシーの運転したのでよくわからない』と言う。いやな予感がしたら、案の定、連れて行かれたところが『高輪プリンスホテル』でした。これで悪いつきを落としたので、明日は頑張ります」

 三浦五段は「本当は土地不案内の地方より、今回は東京だから、余計な神経を使わずに済む、その分、頑張っていい将棋を指せそう」とあいさつする予定だったのだそうだ。

 余計に神経を使ってしまったのか、三浦五段は大切な第2局を落として対戦成績をタイとした。

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「このキーは自室の貴重品用の金庫のもの。中に数十万円を入れた財布を入れたまま忘れてきてしまったのだそうだ」

この期の棋聖戦第1局は、「ホテルニューアワジ」で行われた初めてのタイトル戦だった。

ホテルニューアワジの部屋の貴重品用金庫に置き忘れられた財布。

大内延介九段の「う~ん、聞きしに勝る大物だ。普通なら何はさておき財布でしょう。彼は将棋以外のことは無関心なんだ」が、正しい分析だと思う。

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「きょうは群馬の実家から上野駅に着き、そこからタクシーに乗ったが大渋滞で、電車なら3分の隣の御徒町の駅近くまで30分近くかかっている」

上野から隣の御徒町までタクシーで30分というのは、宝くじで100万円以上当たる確率と同じくらい稀なのではないだろうか。

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ホテル高輪は、1996年11月末に営業を終了している。

現在であれば高輪ゲートウェイ駅から歩いて行ける距離なのだが、当時は田町駅と品川駅の間。

田町駅からタクシーが好手順ではあった。

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「これで悪いつきを落としたので、明日は頑張ります」

「余計に神経を使ってしまったのか、三浦五段は大切な第2局を落として対戦成績をタイとした」

この期の棋聖戦で三浦五段は棋聖位を獲得したのだから、やや長い目で見れば、三浦五段が言うとおり、悪いツキを落とせたのかもしれない。