11月の記事「奨励会の四の字固め」に登場した田畑良太指導棋士五段の結婚時の話題。
近代将棋2003年12月号、スカ太郎さんの「関東オモシロ日記」より。
スカ太郎さんの文章が絶妙に面白い。
2ヵ月近い缶詰生活で、外出する機会が激減していたオイラだが、「田畑良太さん・尹春江さんの門出を祝う会」には出席させていただいたのである。
そうなのだ。田畑良太さんがめでたく結婚したのである。一部の棋界関係者の間では、今年一番のビックニュースといっても過言ではないほどの衝撃的な出来事であった。
田畑良太さんは昭和38年生まれ。大友昇九段門下で元奨励会三段。森けい二九段の弟弟子、郷田真隆九段の兄弟子である。
田畑さんがどういう人かを説明するのはちょっと難しい。なぜならば、田畑さんはあまりに個性的すぎて、例える対象となる人物がどうにもこうにも見当たらないからなのだ。
春江さんと交際を始める前までの田畑さんはメチャクチャすごい人だった。どうすごい人だったかというと、田畑さんはナポレオンよりも眠らない遊び人だったのである。囲碁サロンでの仕事を終えると田畑さんは新宿3丁目にやってくる。そのまま「鮨一」のカウンターで軽くビールを飲みながら蜘蛛のように獲物が網に掛かるのを待つ。
田村康介五段が電話で呼び出すこともあったが、呼び出さなくても田畑さんは95%くらいの確率で「鮨一」に来る人なのである。田畑・田村コンビは2人で獲物を物色し、深夜2時過ぎに「鮨一」から隣の「ゼエロン」へと場所を移動する。この際、「鮨一」で獲物が捕まらなくとも、彼らは「ゼエロン」に獲物が来るであろうことをちゃんと知っているのである。
「ゼエロン」ではコーヒー焼酎というスペシャルドリンクが各選手に配られ、チンチロリンやポーカーといった競技が行われることが多かった。明け方からは場所を移動して麻雀を始めることもあった。でもって田畑さんはというと、時には半分眠りながらではあったが、これらの競技すべてを受けて立つのである。
ギャンブル中の田畑さんは、実はそれほど目立つ存在ではない。が、競輪であれば確実に3着以内に入るような渋い走りが持ち味で、終わってみればだいたい「ちょい浮き」から「そこそこの浮き」というような状態になっているのである。
そうやってほとんど毎晩を徹夜で過ごし、朝、7時か8時ごろ解散になると、田畑さんは漫画喫茶でインターネット将棋などを指して時間を調整し、午前11時くらいから勤め先の囲碁サロンへ出勤。碁石を磨きながら立ったまま眠る「田畑スペシャル」の必殺技を繰り出して勤めを終えると、再び新宿3丁目の「鮨一」に鮭のように必ず戻ってくるのであった。
(中略)
とまあ、こんな感じで眠るひまもなく忙しく遊ぶ田畑さんであったから、競輪新聞を読みながら駅のホームから転落してケガをしてしまうという事件が起きても「ああ、田畑さんはらありうる」とだれもが納得できてしまうほどに、田畑さんは毎日毎日を素敵に遊んでいたのであった。
こんな遊び人の田畑さんが「結婚する」というのだから、僕らの驚きというか衝撃のすごさが少しはわかってもらえるのではないか、と思うのである。
(中略)
「遊ぶことが人生」とでも言わんばかりに田畑さんは毎日毎日、変わらないペースでもって淡々と遊びの周回を重ねていたのである。なんとなくフワフワとしていながら「南西の風、風力1」みたいな温かさをもった田畑さんの生き方を、オイラはうらやましくも思っていたものである。ただそんな田畑さんの良さは「男にしかわかんね!だろーなぁ」という部類に入るものであって、田畑さんが結婚するという噂を聞き、どうやらそれが本当であるらしいという情報を得たときには。びっくりするやらうれしーやらという気持ちになったのである。
2人は新宿2丁目「あり」のママさんの紹介で知り合った。春江さんは韓国映画に日本語訳をつける仕事をされている才女であり、雰囲気が石野真子さんに似ている可愛らしい方である。
そして田畑さんの良さが分かる素晴らしい特殊能力を持った女性である。付き合い始めてからは「うどん事件」やら「麻雀事件」という謎の揉め事があり、婚約解消の危機も何度かあったそうだが、それらを乗り越えて2人はめでたく結婚した。
結婚の条件には「ばくちの項」もあり、にゃんと、昼夜を問わずばくちにいそしんできた必殺遊び人の田畑さんが、「博打は月に2日まで」と春江さんに制限されたという。また婚約解消の危機になった「麻雀事件」以来、「麻雀は絶対禁止」になっているそうだ。
以来、結婚した田畑さんはかたくなにその約束を守っている。一度、午後9時ごろに「ギャンブルでも始めよーか」という雰囲気になったときには、「今から始めると日付が変わってしまって1回で2日を使ってしまうのでもったいない。午前0時を回ってからにしてほしい」と言ったそうである。
以来、田畑さんをギャンブルに誘うときには午前0時過ぎに始め、昼間は競輪や競馬や競艇、日付が変わるギリギリまで食事時間も惜しんでギャンブルにいそしみ、大切な1日を有効に使わなければいけない規制になった。
(以下略)
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「鮨一」は、棋士や将棋界関係者のたまり場となっていた店で、「ゼエロン」は名物ママがやっていた酒場。
この二つの店とも、現在はなくなっている。
このお二人は、新宿2丁目の酒場「あり」の初代ママの紹介で結ばれた。
二人とも「あり」に別々に飲みに来ていたのを、ママが引き合わせたのだろう。
私は、この話が載った近代将棋2003年12月号を、「あり」のママにプレゼントした記憶がある。
奥様となった尹春江さんは、韓流の翻訳、通訳を通して、韓流ファンの間では有名な方だ。→新聞記事
尹春江さんは、故・パク・ヨンハ、リュ・シウォンをはじめとする韓流スターの通訳としても活躍、その的確でありながら人間味溢れる通訳ぶりは、テレビやイベントでも知られているという。
田畑良太指導棋士五段は現在、将棋連盟火曜教室、江古田将棋教室、新城子供将棋教室、JR東日本大人の休日倶楽部「楽しい将棋講座」などで活躍をしている。