トラキチな棋士の話。
近代将棋2003年9月号、池崎和記さんの「関西つれづれ日記」より。
甲子園球場で阪神-横浜戦を観戦。谷川王位、井上八段、本間五段夫妻と一緒で、僕以外はみんなトラキチ、つまり熱烈なタイガースファンである。
いや、僕も一応、阪神を応援しているのだが、野球の知識はほとんどないし、また選手の名前もろくに知らないから、こんなの、ファンとは言わないだろう。それでも昔、阪神の応援に行ったことがある。掛布や真弓がいたころだから相当に古いけど、優勝した年ではなかったような気がする。
関西の阪神ファンは基本的にやかましい。もとい、元気がありすぎる。それは例えば井上八段や本間五段のように、ふだんおとなしい人でも、ヒットが出たり相手選手がエラーしたりすると、すぐ立ち上がって「よっしゃ!」だの、「やったあ!」だの、「あほんだら!」だのと、別人のごとくわめき散らすのを見てもわかる。
ところで谷川さんは例外で、前記のような場面でもほとんど動作に変化がない。立ち上がることはないし、絶叫することもない。静かに戦況を見守るという態度で、早い話が将棋の対局中のようにレーセイなのだ。
今年の阪神は鬼神のようで、この日も2-3で迎えた9回裏、無死満塁でサヨナラ三塁打が出て、劇的な逆転勝ちを収めた。このときだけは谷川さんも立ち上がって隣にいた全然知らない人と握手したりしていたが、それでも奇声を発することはなかった。
野球観戦のあとは球場近くの居酒屋で祝勝会。最初から最後まで阪神-横浜戦の感想戦で、みんなよくしゃべること。将棋界でも例えばタイトル戦の終局直後などは、これくらいにぎやかにやってもいいのにな、と思った。
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この記事の年、阪神タイガースはセリーグ優勝を果たす。
阪神タイガースの選手やスタッフがよく将棋を指すという情報を得た関西将棋会館ホームページスタッフは、選手会への将棋盤・駒の寄贈を企画し、翌年の5月、谷川浩司王位・棋王と井上慶太八段が日本将棋連盟を代表してタイガース選手会へ将棋盤・駒を寄贈した。
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私が生まれ育った仙台は、少なくとも私の高校生時代までは、巨人ファンであることが至極当然な土地柄でだった。
巨人が嫌いだという人がいれば、かなりな変人か危険思想を持つ人なのではないかと思われてしまうほど。
当然、私も大の巨人ファンとして育った。
阪神は当時、巨人の宿命的ライバルと言われていた。「巨人の星」でも、星飛雄馬が巨人で、花形満が阪神だった。
当時の阪神で思い出す選手は、村山、バッキー、小山、辻、元屋敷など。
(後年聞いた話では、北海道と東北は1970年代までは巨人ファン率90%を超していたという説があるという。現在では札幌に日本ハム、仙台に楽天があるので、巨人は大きな票田を奪われたことになるのかもしれない)
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長島、王が選手を引退した頃から私は野球には興味が無くなっていくが、他の球団を応援する理由もないので、相対的には巨人ファンという時期が続いていた。
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1985年11月2日(土)、長年低迷を続けていた阪神タイガースが日本シリーズを制し、日本一となった。
この日、私は六本木の飲茶料理の店で、友人たちと3人で飲んでいた。
初めて行く店だった。
この飲茶料理店は大手食品メーカーが後援している人気のある店だったが、閉店に近い時刻になると客席は私たちと別の席の二組だけになった。
品の良いロマンスグレーの店長がニコニコした笑顔で奥から出てきて、私たちに話しかけてくる。
「今日、タイガースが優勝いたしまして。よろしければ一緒に”六甲おろし”を歌っていただけませんか」
阪神が優勝したことをこの時はじめて知った。元・熱烈巨人ファンとしては”六甲おろし”を歌いのはかなり不本意だが、郷に入れば郷に従え。
「は、はい、、、ぜ、、ぜひとも」
別の席のお客さんが私たちの席へ集まってくる。
よく見ると黄色と黒のタイガース応援グッズを持っている紳士たちだ。店長の友人グループなのだろう。
”六甲おろし”の歌詞は知らないが曲は聞いたことがある。合わせて歌っていればどうにかなる。
「六甲おろしに颯爽と 蒼天翔かける 日輪の・・・」
3番までのフルコーラス。
少しだけ阪神ファンの気持ちが理解できたような感じがした。
歌が終わったあと、店長は、
「お邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」
と言って、その後、
「これは、歌っていただいたお礼です」
と、桃饅頭を出してくれた。
女性もいたのでスイーツ系の桃饅頭だったのだろう。
かえってこちらが恐縮したものの、タイガースファンの底力を見せつけられた日だった。
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歓喜したタイガースファンによって道頓堀川にケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像が投げ入れられたのは、この日ではなく、リーグ優勝を果たした1985年10月16日のことだった。