成銀打ち反則負け

有名な「成銀打ち反則負け」を島朗九段自身が語る。

将棋世界1998年9月号、島朗八段(当時)の「反則」より。

〔銀河戦 島朗八段-丸山忠久八段戦〕

 丸山八段はリードを広げるべく考慮時間を使って、△6七成銀と金を取った。▲同玉。その成銀を私は表に戻さないまま駒台に乗せた。これを見て解説の富岡七段は(妙だな)と感じたそうだ。確かにプロアマ問わずほとんどの人は取った駒を表に戻して台に置くはずだから。もちろん私も普通はそうする。が、この時の自分は金を取ったと思いこんでいたのだ。また、これは言い訳とかではなく一応の客観的条件として解釈頂けると大変ありがたいのだが、通常の対局と違ってテレビ関係の対局では視聴者にわかりやすく一文字駒を使用する。つまり金将・銀将などは全て金・銀と表記しているという伏線もあった。

 局面はそれから五手くらい進んで、私はその駒を4一に打とうか4二に打とうか少し迷った。持駒は銀に歩が数枚。駒台には裏返った銀に歩が数枚。もちろん私の頭の中には金と歩が数枚だ。決断して、駒台の成銀を4二に駒音高く打ち込んだ。するとふだん動揺を見せない丸山氏が「うっ」と低くうめいたような声を出したように感じた。

 そうか、そんなにこの手はいい手だったのか。しかし声を出すほどの一手でもないような気がするけど……。

 そうなのである。普通は「反則に好手あり(いま作った格言)」で、二歩などはだいたい好手であることが多い(相手もまず読んでいない)のだが、この場合の▲4二成銀打ちは後手の矢倉の金がまだ3二、4三と残っているところに打っていく筋なので、今の格言があてはまらない俗手であった。

 何か空気が変だ。記録の大庭美樹さんも秒を読むのをやめて呆然と盤上を見つめている。時間にしてどれくらいたったのだろう。丸山八段が小さく「銀……」とつぶやく。後から聞くと、彼も大庭さんも盤上の金の枚数を数えていたそうだ。

 私は依然のん気なもので、金が二枚も隣接しているのに、まだ全くその事実に気づいていない。これまで自分は悲観的な人間かも知れないと考えたりしたこともあったが、この件でどうもそれがかなり怪しいと思わざるを得ないのもわかった。丸山さんに指摘されてさらに数秒はたってからようやく(へ?)と徐々に事の重大さに思い至ったのである。

(中略)

 投了後カメラが止まってから、私は思わず成銀の裏を見た。プロになってこんな状況を体験するとは我ながら信じられない思いであったが、野球選手がエラーをした時にグラブを見るように、それはきっと深層で自己弁護をしている行動なのかもしれないと感じつつ、銀の文字をしっかりと確認した。

(以下略)

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この後、島八段はプールに行っている。

その夜、私は人影の少ないプールで泳ぎながら考えていた。毎日、いろいろなことが起こる。でもこれは自分にとってきっといい兆候であるはずだと今はすんなりと思えた。肩を落としていた少年の時とは何もかもが違っていた。

島九段は、12歳だった奨励会5級時代に二手指しの反則で負けており、その時には、とぼとぼと帰路についたという。

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島九段は、一時期、対局後のプールが定跡だったようだ。

ところで、私は泳げない。

これには理由がある。

私の出身地である昔の仙台では、中学生が地域の七夕飾りを作るという風習があった(のだと思う)。

私が小学生の低学年時代、6歳上の姉の友人の女子生徒が家に集まって、ワイワイやりながら七夕飾りを作っていた。

私は、ボケっとその様子を見ていた。

すると、その中の一人の女子生徒が、怖い話を聞かせてくれた。

「戦争の時、日本軍の兵隊さんが、仲の悪い同僚を殺して井戸の中に沈めた。それはそれでバレずに済んだのだけれども、ある時、その兵隊さんが喉が渇いてその井戸の水を飲んでしまったの。でも、それからすぐ、その兵隊さんは物が食べられなくなって狂い死にしてしまった」

このような粗筋だった。

私はその話を聞いて、怖くて泣いてしまった。

私は思った。

「海では人が何人も亡くなっている。話で聞いた井戸の水も海の水も雰囲気的に変わらないのではないか」

同じ頃だと思うが、少年マンガ誌の夏の怪奇特集で、海水浴をしていたら、水中の防空頭巾をかぶった人達(幽霊)が、泳いでいる子供たちの足を引っ張って、多くの子供たちが溺れてしまった、という記事も読んだ。

これでは、私が海を好きになるはずがない。

当然、泳ぐということにもネガティブになる。

このようなトラウマがあったので、小学4年までの授業でプールに入るような時は苦痛だった。水に入っているだけ。

小学5年で転校したが、幸いなことにそこは新設校だったのでプールがなかった。

中学は、隣が火葬場だったためかプールがなかった。

高校は、新しい場所に移転したばかりだったのでプールがなかった。

大学には当然プールがない。

泳がないことにかけてはこのような僥倖に恵まれてきた。

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そんな私だが、二回だけ海に入ったことがある。

大学4年の時の、研究室夏合宿。

男性が9名、女性が4名、先生が1人の14名での旅行だった。

5泊6日だったと思う。伊豆の妻良の民宿。

午前中だけ勉強をして、午後は遊びで夜は宴会。

このうち、二日間だけが海だった。

一日目は白浜。白い砂が綺麗だった。

海には入っただけ。

化学溶液の中に浸されたような気分。

二日目は別の海岸。

4人の同級生の女性の水着姿が全く気にならないほど、海に緊張していた。

その後、日焼けして体中が真っ赤になり、数日後、皮が剥けだして真っ白になった。

あれ以来、海の水を触ったことはない。