2001年9月11日 東京将棋会館控室

将棋世界2002年11月号、佐藤康光棋聖・王将(当時)の自戦記「藤井システムと戦う」より。

 1年前の9月11日。私は連盟で当日戦われているC級1組の順位戦の検討をしていた。夜戦に入りいよいよこれからという時であった。記者の斎藤さんが検討室に入ってきて「すごいことになってるよ」と言う。何だろうと思い特別対局室の画面を切り替えるとそこには映画のシーンのような異様な光景があった。それからそれまで賑やかであった検討が突然静かになり、皆テレビに見入る。私も将棋を検討する気力を失い、早く将棋の終わった小倉六段と共に深夜まで自宅でテレビを見ながら話をしていた。

 ニューヨークのテロから早一年。先日特別番組の「カメラはビルの中にいた」を見たが、実際中にいた一人のカメラマンの映像が公開されたものだが、そのあまりの惨状、惨劇には呆然とするよりない。忘れかけていたものの思いを呼び起こし、より一層深く考えさせられることの多い貴重な番組であった。

 自分自身の無力さを痛感するがとにかく棋士としていい将棋を指せるよう精進するしか道がない。頑張りたい。

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佐藤康光二冠が見たテレビ番組「カメラはビルの中にいた」はYoutubeにアップされている。

911 Report 1of3 – At that time, the camera was in the WTC.

911 Report 2of3 – At that time, the camera was in the WTC.

911 Report 3of3 – At that time, the camera was in the WTC.

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Wikipediaによると、2001年9月11日の日本国内での報道の流れは次の通り。

21:46 

世界貿易センタービル・ツインタワー北棟が、アメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上

22:00

「NHKニュース10」の冒頭のヘッドラインは台風の話題だったが、カメラの前に登場したキャスターが発した最初のニュースはこのテロの第一報であり、間もなく画面に炎上する世界貿易センタービルの姿が映し出された。この時点ではまだ「事故」か「事件」かは明言されていない。

22:03 

南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上。

アメリカのテレビ局の映像を使っていた「NHKニュース10」では、この瞬間が生中継された。

22:20

NHKは「旅客機がビルに激突したとみられる」と伝えた。

22:30

フロリダ州の小学校を訪れていたブッシュ大統領が演説で「明らかなテロ」と発言。

22:38

アメリカ国防総省本庁舎がアメリカン航空77便の突入を受けて一部が爆発炎上。

22:45

「ペンタゴン(国防総省)が炎上」というニュースが伝えられ、一連の事件がハイジャックされた旅客機による「同時多発テロ」であるとの見方が固まった。

22:59 

南棟が崩壊。

NHKではワシントン支局と中継を結んでいる間に崩壊が起こり、途中で支局長の発言を遮るようにニューヨークに画面が切り替えられた。片方のビルが姿を消し、大量の煙に覆われたニューヨークと、路上から撮影した南棟崩壊時の映像が映し出された。

23:03

ペンシルベニア州シャンクスヴィルに、ハイジャックされたユナイテッド航空93便が墜落。

23:28

北棟が崩壊。

NHKがスタジオでの中継を行っている最中に北棟が崩壊。間もなく、巨大な超高層ビルが上部から完全に崩壊し、膨大な瓦礫と化してマンハッタン南部が煙で覆いつくされる衝撃的な映像が放送された。

23:40

4機目(ユナイテッド航空93便)がペンシルベニア州西部に墜落したというニュースが伝えられる。NHKのアナウンサーは次々と起こる惨劇を報道する中で「信じられないような映像をご覧いたただいていますけれど、これは現実の映像です」と発言した。

日本のほとんどのメディアは徹夜でニュースを伝え続け、民放テレビ局は深夜のCMが全面休止され終夜放送を行った。ラジオもAM放送はローカル局まで含めてほぼ全局が特番体制となった。

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将棋会館の控室のテレビがニュースに切り替えられたのは22:00以降ということになる。

この日の夜、私は六本木で飲んでいた。

家へ帰ろうとタクシーに乗ったら、運転手さんが、「ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだんですよ」と教えてくれた。

今から思えば、午前0時近くにタクシーに乗ったのだろう。

私は、日本で言うセスナのような小型プロペラ機が誤ってビルにぶつかったのだと思った。

「こんな大変なこと起きたなんて信じられないですよ。ビルが二つとも消えてしまったんですから・・・」

あまりの話の飛躍に、運転手さんが冗談を言っているのかオーバーに話をしているのか、どちらかだと思った。

話の意味が理解できなかったので、運転手さんにニューヨークで起きたことを聞き直した。

それは、一度聞いても信じられないようなショッキングな内容の話だった。

呆然とした私も運転手さんも、無口になって乗車中はずっとラジオを聞き続けていた。

1990年にニューヨークに出張した際に、ワールドトレードセンタービル北棟、南棟とも訪ねたことがある。

それから11年も経っていたので、当時の顧客はオフィスの引越しをしたり合併をしたりで、ワールドトレードセンタービルからは離れていたが、それにしても、ビルの内外で被害に遭った人達、旅客機の乗客、乗務員、消防隊員、警官など、何千人もの人のことを思うと、心が沈んだ。

いつもであればテロリストに対する怒りも同時にこみ上げてくるのだが、この時は、そのような怒りが起きる余裕もなく、悲しさと衝撃でいっぱいだった。

家に帰ってすぐにテレビを見る気にもなれず、途中の中野で下車して、ママが一人でやっている小さな酒場へ寄った。

午前1時近くだったので、他に客は誰もいなかった。

ママは当然のことながら、ニューヨークで起きたことは知らない。

有線放送をラジオのチャンネルに切り替えてもらい、午前3時頃まで酒を飲んでいた。

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中野の酒場のママは、2年前の9月に病気で若くして亡くなっている。→別れ

2001年9月11日から10年。

10年は短いようで長く、長いようで短い。