加藤一二三九段のあんみつ

将棋世界1996年3月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。

 三階に降りて編集部で雑談していると、機嫌よく加藤一二三さんがあらわれた。

 そういえば昨日、ある人が加藤さんを見かけたと電話をかけてきた。若い婦人といっしょで、とても仲睦まじく見えたと羨ましそうに言っていた。

 で、加藤さんにそれを言うと、「エッなんのことですか? アッ昨日の事ね。さすがに耳が早いですね。あれは娘といっしょにあんみつを食べていたんですよ。アッハッハ」

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現在の形態の「みつ豆」を最初に考案したのは、浅草の和菓子店「舟和」で1903年のことだった。

モダンな洋銀の器を使用して、角寒天、甘煮杏、ぎゅうひ、赤えんどう豆を盛り、特製の白蜜、黒蜜のどちらでもかけることができた。

それ以前のみつ豆は、赤えんどう豆に糖みつをかけただけのものだった。

あんみつを初めて発表したのは、銀座の甘味処「若松」で、1930年。

近世のみつ豆が誕生してから27年後のことになる。

たしかに、みつ豆に餡子を入れるという発想はかなり大胆なことなので、あんみつの誕生まで年月がかかったのだと思う。

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私が大学2年の時のこと。

当時憧れていた女子大の子と会うことになって、銀座で待ち合わせた。

夏休みの宿題(試験代わりのレポート)を頼みたいということだった。

美学「能について」と心理学「動機付けについて」。

なぜ理科系の私が文科系の宿題をやらなければならないのか、というかすかな疑問はあったが、喜んで引き受けた。

7月の土曜日の昼間。

行った店は資生堂パーラー。

私はメロンジュース、彼女は紅茶を頼んだ。

メロンジュースはメロン果汁100%の、絶妙なジュース。

私は緊張して会話はぎこちない。

もう一軒行こうということになり、今度は彼女の薦めで「銀座鹿の子」へ。

私はクリームみつ豆、彼女はあんみつ。

この時、初めて、黒蜜と白蜜2種類あることを知り、かなりなショックを受けた。

私は白蜜、彼女は黒蜜。

緊張は継続しており、会話はぎこちない・・・

私は、あんみつというと、7月の鹿の子のあんみつをいつも思い出してしまう。

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後年になって、「女性は、本命の男性には宿題やレポートは頼まない」、という普遍的真実を知ることになる。