中原誠名人の「羽生VS谷川を斬る」

羽生善治二冠にとっての初のタイトル獲得は、1990年の竜王戦での竜王位奪取。

その後1年間、羽生竜王がタイトル戦で挑戦することはなかった。

そして、初めてのタイトル失冠が1991年の竜王戦。(対谷川王位戦)

将棋マガジン1991年1月号、中原誠名人(当時)の、第3期竜王戦第1局・第2局・第3局「羽生VS谷川を斬る」より。

 今期竜王戦、三局終わった時点で谷川王位の三連勝と、意外な展開である。この結果はさておき、開幕前に思っていたことを少々述べたい。

 羽生竜王VS谷川王位、非常に新鮮でプロから見ても、期待の好取組。

 タイトル戦というのは、いつも前半が勝負である。どちらかが先にペースをつかむかが重要なポイントだが、二人ともしぶといので、接戦になると思っていた。どちらが勝つのか全く分からない、というのが本当のところだった。

 竜王戦に臨むまでの調子からいうと、谷川王位が昇り調子なのは間違いない。王位防衛、王座奪取、竜王挑戦決定、とタテ続け。素晴らしい勢いである。なかなか、全部うまくはいかないものであるが、これは人間業ではない!?

 しかも、超過密対局を乗り切ってのものだから、かなり自信を持ったのではないかと思う。

 将棋自体も、時々非常に渋い手出るのは驚かされる。春の名人戦時と比較しても、目立っている。

 もちろん、もっと昔、二十一歳で名人になった頃と比べれば、そういう傾向にあったのだが。

 相手としては、谷川王位は序中盤で激しく攻め込んで行くというイメージが強いので、渋い手を指されると、オヤッという気になる。

(中略)

 羽生竜王は、昨年あたりと比べると、絶好調とはいえないかも知れない。しかし、やはりタイトルにかける意気込みがあるから、いい勝負になると思っていた。

 羽生竜王とは対局が少なくて、棋譜を見るだけなので、あまりよく分からないというのが正直な話。

 ただ対局の時、隣で指しているのを見たりすると、最近は結構、勝つのに苦労しているなという感じを受ける。

 まだ若いし、竜王ということで、精神的負担があるのではないかと思う。本人はどう思っているか知らないが、竜王らしい将棋を指そう、とか考えたりすると、なかなか大変なのである。

 自分の経験でいうと、二十歳で棋聖を取った後二ヵ月位、調子がおかしかった。

 最初は誰でもそうだと思うが、タイトルの名に恥じない将棋を指そうという気分になる。それが負担になるわけだ。

 棋聖らしい将棋、名人らしい将棋とかはないのである。結局、自分の将棋を指さなければいけない、と二ヵ月位経ったら思うようになった。

 それまで、将棋が何かチグハグな感じだった。将棋の内容や、気分的にも受け身になる。精神的に受け身になると、勢いがなくなっていけない。特に若い時は勢いが大事だから、まずいのである。

 また、これは常に思うのだが、タイトル戦は挑戦する方が気楽なのである。挑戦する方が気分的にのっているし、挑戦者になったという好調さを持続していけばいい。

 逆にタイトル保持者は、タイトル戦に向けて調整していかなければいけない点、なかなか難しい。

 気持ちの問題では、防衛する側の方が心理的負担は大きい。挑戦して取りに行くのは、負けて元々というわけではないが、気分的に楽なものなのである。

 羽生竜王の場合、まだ二度目のタイトル戦という経験の少なさがある。それがどう出るのか、開幕前に興味があった。

(以下略)

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名人は名人を知る。

大山康晴十五世名人は、「トップになるだけではダメ。トップをどれだけ長く保ち得るか」を勝負哲学としていた。続けるということに価値ありということだ。

中原誠十六世名人の文章も、タイトルを保持し続けることの難しさを表わしている。

何度も何度もタイトル戦を経験した棋士でなければ書けないことだ。

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「タイトル」を「恋人」に置き換えてみれば、タイトルを防衛する側の心理的負担が大きいことが、よく実感できる。

一年に一度、決まった月に、蜜月の関係にある恋人を奪いに来る男が現れ続けたら、本当にイヤだと思う。