将棋マガジン1994年5月号、河口俊彦七段の「将棋連盟の一番長い日」より。
これがいちばん早く終わる、なんて関係者と話していると、廊下で加藤の大きな声がした。なにか記録係に頼んでいる。やがて、東君(和男七段)が戻って来て「アンパン三つとジュースを注文してましたよ」と苦笑した。
私はふと憶い出した。ずいぶん昔のことだ。なにかの雑談の折、同じ東君がこんな話をしてくれた。
「奨励会員のころですが、加藤さんの記録をとった。夜になって八時ごろですが、バナナを五本買ってきてくれ、と頼まれたんです。夕食をしっかり食べた直後でしょ。変だと思ったが、とにかく買って来た。そしたらバナナ一房をそのままほどかずに皮をむき、両手で房の根元を持ってかぶりついた。グローブみたいなのをかじっているのを見て、これは加藤さんが勝つ、と思いましたよ。凄かったな」
ついでに私の憶い出も記しておこう。これはさらに昔、四十年も前の話である。
加藤は四段になったころ、すでに天才少年の名が高かった。たまたま当時東中野にあった将棋会館に京都から遊びに来ていた。というより、ごく短い間だが放浪時代があったのだ。それで、昼間から将棋会館でぶらぶらしている。私はどんな天才か見に行った。碁を打って遊んでいると、袋から夏みかんを四つ五つ取り出し、固くて酸っぱそうなやつをぺろり平らげてしまった。子供心にあきれ返ったのを憶えている。
天才特有の幼児性、それは今も変わらないのだ。食べ物にかぎらず、これに類する話は、数かぎりなく見たり聞いたりしている。だから、プロ棋士は、加藤を真の天才と認めているのである。
今、私の知りたいのは、加藤の日常生活。家にいても三食同じ物を食べているのだろうか。そんなことはあるまいが、加藤という人は、絶対に私生活を語らない。
余談が長くなってしまった。
パンをむしゃむしゃやっているその前で、局面は動きはじめていた。
(以下略)
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加藤一二三九段が、アンパン三つとジュースを頼んだのは午後2時過ぎのこと。
コロッケパンや焼そばパンではないので、考えようによってはデザートということになるのだろう。
アンパンは”つぶ餡”と”こし餡”の二派に分かれる。
”こし餡”のアンパン三つ、などのような指定があったのかどうか、気になるところだ。
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この時は、対局終了時(午前1時)にアンパンが1個残っていたということなので、時間当たりにすれば驚くほどのアンパンの量ではない。
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東和男七段が奨励会入りしたのは1971年で四段になったのは1976年なので、加藤一二三九段がバナナを房ごと食べたのは、この間の時期ということになる。
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昔の夏みかんは驚くほど酸っぱかった。
半切りにして砂糖をかけて食べても酸っぱかった。
グレープフルーツが出現した時は、子供心にホッとしたものだ。
夏みかんは皮を剥くのも大変だし、その後食べるのも手間がかかる。
バナナの話よりも、夏みかんの話のほうが凄いと個人的に思う。