優しい升田幸三九段(当時)

将棋世界2003年8月号、泉正樹七段の「一触即発 升田式石田流」より。

 少々話が横道に逸れますが、体を壊してからの升田先生は対局での昼食、夕食を注文することは私の知る限りでは皆無で、午後3時に出るおやつ(20年前ぐらいに廃止)のみかんをくちゃくちゃ音をさせながら(歯も悪いため)食べていました。

 ちなみに記録係がおせんべいやビスケットを眺めモゾモゾしていると、「出されたものを遠慮する必要はない」と言ってわざわざお菓子をとってくれるのです。

 とてもその風貌からは想像しづらいやさしい一面も持ち合わせていて、たえず人に対しての気くばり(この場合は記録係の少年)も配慮していました。

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泉正樹七段の奨励会入りが1973年、升田幸三九段(当時)の引退が1979年。

升田幸三九段の晩年は休場が続いたので、お菓子のやりとりがあったのは、1974年度か1975年度ということになる。

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そういえば、ビスケットを大人になってから食べた記憶があまりない。

ビスケットは小麦を主原料とした焼菓子で、欧州圏では「ビスケット」、北米では「クッキー」と呼ばれている。

日本においては、全国ビスケット協会が1971年に規定を設けて、クッキーを「手作り風の外観を有し、糖分、脂肪分の合計が重量百分比で40%以上のもので、嗜好に応じ、卵、乳製品、ナッツ、乾果、蜂蜜などにより製品の特徴づけをおこなって風味よく焼き上げたもの」としている。

これは、当時、ビスケットよりも高級と考えられていた「クッキー」の名称で安価なビスケットを販売するのは消費者に誤解を与える恐れがあるとして、業界が自主的に基準を定めたもの。

日本でのみ、ビスケットとクッキーが別のものとして運用されている。

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それにしても、クッキーというと思い出すのが故・夏目雅子さん。

1977年、カネボウ化粧品の夏のキャンペーン「クッキーフェイス」で鮮烈なCMデビューを果たした。

このときのCMディレクターが後の直木賞作家で夫となる伊集院静さん。

伊集院静さんは、現在は篠ひろ子さんと結婚して、仙台に在住している。


YouTube: 1977 カネボウ サンケーキ