羽生善治五段(当時)の自戦記

近代将棋1989年6月号、羽生善治五段(当時)の自戦記(C級1組順位戦 対所司和晴五段戦)「一縷の望みに賭けて」より。

 6月から10ヵ月かけて戦って来た順位戦もいよいよ最終日。

 この日で昇級、降級、全てが決定します。

 状況説明をすると、昇級枠2名の内、1名は室岡-西川戦の勝者。

 もう1名は、浦野さんが自力で、キャンセル待ちの順位は、羽生、泉、神谷という順。

 さあ、今日はどんなドラマがあるのかな。

前日その1

 この対局の前日、連盟で囲碁会があったので、連盟へ行くと、玄関で宮田六段とバッタリ。

 明日、大阪で宮田-浦野戦があるのです。

 もし、宮田六段が勝つと、自力になるのが僕。

 そんなわけで、「明日は夜中まで頑張って来るからな」

 と宮田六段は言い、立ち去られました。

 そして、それから約30分後。

 何人かで喫茶店へ行くと、また宮田六段とバッタリ。

 一体、なんなんでしょうか。

前日その2

「宮田先生、頑張って下さい」

 口にこそ出さないが、心のなかで思った。

 そんなわけで、宮田先生は僕の期待を一身に背負って??? 大阪に向かわれました。

 その後、囲碁会に参加。

 先生に教えてもらいましたが、大石を殺されボロボロに。

 こんなひどい目にあったら、明日はきっと良い事があるだろうと思い、帰途に着きました。

 その後は特になく、12時頃に就寝。

当日その1

予想した通り、眠りは浅かった。

 いつもの様に、7時20分頃に目が覚め、8時少し前に出発。

 いつもなら、半分眠った様な状態でバスに乗るのですが、今日は何故かもう目がパッチリ。

 どうも、昨日から緊張の糸が張りつめているようです。

「キャンセル待ちがビビッていてどうするんだ」

 と自分自身に言い聞かせました。

 そんなことを何となく考えている内に連盟に到着。

 とにかく、自分が勝って、話はそれから、と思い、対局が開始されました。

当日その2

 急戦調の”空中戦法”で始まった本局もどういう訳か持久戦調に。

 第4図を見て頂ければ解かる様に先手はとうとう穴熊にして来ました。

 このあたり、どこから手を作ったらいいのか悩みました。

 少し模様がいいと思っているだけに、千日手にはしたくないし・・・。

 だけど、下手に動くと玉の薄さが響きそうだし・・・というジレンマに陥ってしまいました。

当日その3

 そんな馬鹿な!

 第4図と第5図を見比べて下さい。

 先手は▲9九玉の一手を指しただけ。

 後手は五手も指しています。

 四手得すれば普通、かなり有利なはずです。ところが、この局面はいくら考えても解らないのです。

 その内に焦りを感じずにはいられませんでした。

 もっとも、所司五段の方は”千日手も辞さず”だったらしいのですが・・・。

(中略)

 本譜は味良く角が取れて勝勢となりました。そして、このころから余計なことを気にしだしたのです。

 大阪は今、一体どうなっているんだろうか???

次点

 △8七金と重たく打つ手が好手で、何とか寄せ切ることができました。

 対局が終わると感想戦が始まる。

 しばらく色々と検討していると、桐谷五段が対局室に入って来て、「大阪はまだやっているみたいですよ」

 と教えてくれた。

 僕は少しだけホッとした。

 そして、再び検討が始まる。

 しかし、僕の心の中には色々な想いがかけめぐる。

 ”あの後、誰も何も言いに来ないからまだやっているのかな、それとも・・・。”

 感想戦は結構やったのですが、僕はうわの空だった。

 そんな僕の気持ちを察してか、感想戦が終わった時に所司さんが週刊将棋の小川さんに聞いてくれた。

「大阪はどうなったのですか?」

 しかし、小川さんは何も答えない。

 この時、僕は全てを悟ったのだった。

 そして、思った。”僕の順位戦は終わった。”

 結果は残念だったけれど、貴重な経験だったと思う。

 そして、この一日は一年で何度とない、とても充実していた一日だった。

 また気分を一新して来年も頑張って行きたいと思う。

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落語用語に「ふら」という言葉がある。

”理屈では説明できない天性の不思議なおかしさ”、という意味だが、この、羽生善治五段(当時)の文章には、まさしく「ふら」があると思う。

そして、羽生二冠も、他の棋士と同じように、順位戦最終局の勝ち負けをこのように気にしていたのだと思うと、微笑ましくなる。

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この期の順位戦C級1組で、浦野真彦五段(当時)は、村山聖五段と羽生善治五段に敗れたものの、残りの対局を全勝し、見事に昇級。

浦野五段が順位戦で羽生五段に敗れた日、ひとつのドラマがあった。

暗闇に消えた羽生善治五段

羽生五段は二敗で頭ハネとなってしまったが、そのうちの一敗は剱持松二七段(当時)に敗れたもの。

剱持松二七段にも順位戦の対羽生戦でのドラマがあった。

剱持が勝つと言えば絶対勝つ。(2)

三者三様の人間模様。

将棋は面白い。