藤井猛九段の研修会時代

将棋世界2002年7月号、藤井猛九段の「四段昇段の一局 システムの原点」より。

 決心をしたからと言ってその通りになるわけではないが、決心をしなければ何も始まらない・・・。

〔阪神優勝の陰で〕

 昭和60年11月2日。明日は奨励会試験。

 中学校生活最後の文化祭を翌日に控え、クラス皆が準備に追われている中、そっと学校を後にした。

 家に帰りテレビをつける。9回裏。マウンドにゲイルが見える。間もなく吉田監督が宙に舞った。阪神が日本一を決めた瞬間だった。

 11月3日。15歳での奨励会受験。年齢的に考えて最初で最後のつもりで臨んだが、1勝2敗。もう後がない。明日3連勝するしか道はない。落胆著しい。

 11月4日。開き直って2連勝。最終局に望みを託す。さっきまで抜けていた肩の力が入ってしまった。逆転負け。自分の人生はこれで終わった。死にたい気分だった。

 思えばこの一年、力はあるはずなのに、大事な対局は負けてばかりだった。

 次の奨励会試験は一年後。16歳だと5級からの受験でさらに厳しくなる。研修会から編入という手もあるが、1月にC2で入会して現時点でやっとC1。Aまで上がり、15歳以下なら奨励会入会資格が与えられるのだが、このペースで行くと気の遠くなる話。

 高校受験もある。前途多難。しかし、研修会には残ることにした。

〔大山-米長戦の陰で〕

 朝4時起床。父の運転するワゴン車に布団を持ち込み、研修会に向かう。

 月2回の研修会には、群馬県沼田市の自宅から、父の車で送ってもらっていた。

 7時。父が後部座席で眠っている私を起こす。母の手作りの弁当で朝食。

 7時40分。鈴木大介君が会館に入って行くのが見える。彼はいつもこの時間に決まって一番乗りだった。9時に始まる研修会まで何をしているんだろうと思っていた。

 その後の研修会では、溜まっていたマグマが一気に噴火。B2に上がると、8連勝でB1へ。そのまま7連勝して合計15連勝。あんなに遠く思えたAクラスに、あっという間に3ヵ月で王手をかけた。

 ところがまた、ここぞという時に逆転負け。

 それでも勢いは止まらず、すぐに次のチャンスが訪れた。

 昭和61年3月23日、もう春だというのに、その日は朝から大雪だった。

 特別対局室では、伝説の大山-米長のA級プレーオフがあり、熱気に包まれていた。

 同じ日、壁一つ隔てた大広間で、研修会がひっそりと行われ、私は静かに奨励会入りを決めた。

 数日前には高校にも合格し、春だった。

 奨励会試験に一度は失敗したが、その後数ヵ月の研修会での好成績は、私の将棋人生に大きな自信をもたらしている。

 帰途、私は奨励会での目標を心に誓った。年齢制限の25歳まであと10年あるが、半分の5年、20歳でプロになること。そして、ここ一番には必ず勝つ、そう決心した。

(つづく)

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鈴木大介少年が、そのような朝早くから何をやっていたのか、とても気になるところだ。

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藤井猛少年が、中学校生活最後の文化祭を翌日に控え、クラス皆が準備に追われている中、そっと学校を後にした1985年11月2日(土)。

昨年の記事でも書いたことだが、この日、私は六本木の飲茶料理の店で、3人で飲んでいた。

この店は大手食品メーカーが後援している人気のある店だったが、閉店に近い時刻になると客席は私たちと別の席の二組だけになった。

品の良いロマンスグレーの店長がニコニコした笑顔で奥から出てきて、私たちに話しかけてくる。

「今日、タイガースが優勝いたしまして。よろしければ一緒に”六甲おろし”を歌っていただけませんか」

阪神が優勝したことをこの時はじめて知った。元・巨人ファンとしては”六甲おろし”を歌うのはかなり不本意だが、郷に入れば郷に従え。

「はい、いいですよ」

別の席のお客さんが私たちの席へ集まってくる。

よく見ると黄色と黒のタイガース応援グッズを持っている人たちだ。店長の友人グループなのだろう。

”六甲おろし”の歌詞は知らないが曲は聞いたことがある。合わせて歌っていればどうにかなる。

「六甲おろしに颯爽と  蒼天翔かける 日輪の・・・」

3番までのフルコーラス。

少しだけ阪神ファンの気持ちが理解できたような感じがした。

歌が終わったあと、店長は、

「お邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」

と言って、その後、

「これは、歌っていただいたお礼です」

と、桃饅頭を出してくれた。

藤井猛少年が翌日の奨励会試験を前に気合いを込めながら布団に入っていた頃、私は酔っ払いながら桃饅頭を食べていたということになる。

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