将棋マガジン1988年6月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
タイトル戦では、夕食休みにまつわるエピソードが数多くある。二日間の対局だと、二日目の午後6時頃が、山場となる時間帯で、夕食休みの時間をめぐってかけ引きが盛んになる。
昔、大山~山田戦で、時間のない山田が、夕食休みになっても盤からはなれず考えていた。それを見た大山は、記録係に、「盤に新聞紙をかぶせろ」と命じたそうである。本当かどうかは知らぬが、ありそうな話ではある。
それはともかく、その種の盤外のかけ引きは大山が抜群にうまかった。
一手指せば終わり、というところでも、大山は指さずに、夕食休みにする。不利な側は、ホッと一息入れたときに、あきらめるのである。大山という人は、勝負の怖さを知りぬいている人で、そこまで念を入れて勝つのである。
甘い人は、夕食前に終わらせれば、うまい酒が飲める、などと急いで指す。そうして逆転してしまう。そんな例もすくなくない。また、お人好しも、設営する人のために、早く終わらせようと考えたりする。
さっきの例でいえば、一手指せば終わりなら、控え室は指してもらいたいのは当然である。夕食休み前に終われば、ゆっくりとくつろげるし、食事の用意も一度ですむ。それが、夕食休みになれば、そこで食事をとりさらに終わってから、打ち上げの用意をしなければならない。
そういう事情が判っていれば、優勢な側が、指さずにいるのは、根性が必要となる。みんなに恨まれるような気がするから。大山は、そういった点も、意に介さないのだった。
この他、相手の心理や残り時間の具合によって、休み時間中の手を渡したり、渡さなかったりの、盤外戦を用いた。大山将棋の魅力は、そういったところにもあった。それを書いた人がいないから、知られていないだけである。
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場の空気を読めない人がやるのではなく、場の空気を一番敏感に感じ取ることのできる大山康晴十五世名人がやるからこそ、凄みが出てくる。
この正反対のタイプが加藤一二三九段で、たしか十段戦(竜王戦の前身)だったと思うが、一日目の封じ手で大長考。
夕食休憩を過ぎても延々と考えている。酒を軽く飲みたい人もたくさんいたが封じ手が終わるまでは飲めない。結局、封じ手が行われたのは深夜。
そのことがきっかけで、十段戦の封じ手に関わる規定が変更されたという。
加藤一二三九段も、そのような意味で凄い。