将棋マガジン1988年2月号、中原誠名人の「私のベスト十二局」より。
一時的にタイトルを続けて失いますとリーグ戦やトーナメント戦の対局がドドッと押し寄せてきます。
それに加えて、割に各棋戦とも好調だったもので、(1982年)10月から翌年の1月にかけて私自身今までで最高の40局も指しました。
10月・・・9局(7勝2敗)
11月・・・9局(6勝3敗)
12月・・・12局(7勝5敗)
1月・・・・10局(9勝1敗)
この対局数は普通の人の、一年分に相当するんじゃないでしょうか。
とにかく疲れました。なんとか無事に全対局は務めたのですが、正直いうと、途中でこのまま倒れてしまうんじゃないかと思ったこともあります。極めつけは、12月27日に東京で王将リーグの対局、翌日は関西へ移動、29日30日と連続して大阪で王将リーグの対局、東京戻りが大晦日、と凄まじい日程もあったぐらいです。
ただまあこの強行日程は押しつけられたものではなく、自分で納得して選んだものなので、肉体的にきつくとも精神的には平気でした。
押しつけじゃイヤだけど自分でなら少々のことは苦にしない、なんて感覚は、私の血液型が”B型”であることも関連してるようです。
(以下略)
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以前にも書いたことだが、中原誠十六世名人は、自身の血液型がB型であることに、こだわりと誇りを持っている。
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大山康晴十五世名人のタイトル戦での盤外戦術は有名だが、中原十六世名人にだけは効果がなかったと言われる。
大山十五世名人もB型。
同じB型の中原十六世名人からすると、全く気にならなかったのかもしれない。
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私が、自分の血液型をAB型と初めて知ったのが小学2年か3年の時。
一番人数の少ない血液型だと聞いて、内心嬉しかった記憶がある。
こんな感じ方をするから、『AB型』と言われてしまうのだろう。