近代将棋1995年2月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
阿部六段と一緒に富山県砺波市へ竜王戦第五局(二日目)を見にいく。乗り換えを含め片道四時間の旅。
対局場の「ニチマ倶楽部」は満室だったので、駅前のビジネスに宿を取った。これも阿部さんと一緒。男同士で同じ部屋に泊まるのはゾッとしないが、別々にシングルを取るよりは安いので、まあ仕方がない。
将棋は佐藤さんの快勝だった。感想戦を最後まで見てから、阿部さん、週刊将棋の古作さん、加藤さん(スカ太郎)らと居酒屋へ。ニチマ倶楽部に戻って控え室をのぞいたら、羽生さんは碁、佐藤さんはカードゲームをやっていた。
佐藤さんが僕を見て「カスパロフがパソコンとチェスをやってるビデオを見ましたよ。室岡さんから借りました」。例のパソコンとの対局を撮影したもので、棋譜も収録されているらしい。
(中略)
私は阿部さんと将棋(飛車落ち)。阿部さんは昔から下手をコテンパンに負かして悦に入るという悪癖があるので、私は本当は指したくないのだが、プロからの誘い(無料指導)を断るというのも失礼な話なので、最後はしぶしぶ「では、お願いします」ということになる。
碁を終えた羽生さんが横で観戦しているので、いいところを見せようと思って頑張ったけれど、結果は完敗。案の定、阿部さんにギャハハハハと高笑いされてしまった。毎度のことだ。一方、羽生さんは「こうやれば池崎さんが良かったのですよ」と親切なアドバイス。この優しさを、阿部さんは見習ってほしい。
深夜の二時ごろまで控え室で遊んでビジネスホテルに戻る。このあと阿部さんと朝の六時半まで雑談。オレも若いな。
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羽生善治五冠(当時)の見ている前で、阿部隆六段(当時)との対局。
ある女性ミュージシャンのいる前で、彼女の持ち歌を酔っ払いながらカラオケで歌ってしまったという暗い過去を持つ私だが、そのような私でさえ、このような状況で将棋を指すとなれば、初手から手が震えるほど緊張してしまうだろう。
あまりにも恐ろしく、そして夢のような舞台設定だ。
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カードゲームをやっていた佐藤康光竜王(当時)。
第五局のこの時は何事もなかったのかもしれないが、第六局が終わった後の打ち上げでは、カードゲームで大きな試練を迎えることになる。