将棋世界1990年3月号、「棋士交遊アルバム 谷川浩司名人VS.谷山浩子さん」より。
谷山浩子。シンガーソングライターであるが、その肩書きでは足りないほどのマルチ才女である。ラジオ番組のDJ、童話集の出版やエッセイの執筆、斉藤由貴や後藤久美子への作品提供。そして自分自身も13年前に「河のほとりに」でデビューして以来、シングル30数曲、アルバム15集を出した。このほか全国各地へコンサートツアーでまわっている。その彼女がなぜ将棋に興味を持ったか。
谷山 2年前の6月にテレビの衛星放送で名人戦を見たんです。
谷川 私と中原先生が戦った時ですね。
谷山 それですっかり将棋に興味をもち、谷川さんのファンにもなりました。
谷川 将棋はどうやっておぼえました。
谷山 子供向けの入門書を読みました。そしてエッセイかなんかで将棋をおぼえたのって書いたら、まわりの知りあいの人が教えてくれたんです。
谷川 私と初めて会ったのは、去年の2月に全日本プロトーナメントで森内君と決勝を争った時ですね。
谷山 あの時は東公平さんに案内されて、対局場の羽沢ガーデンにおそるおそるいったんです。そして控え室のふすまをあけたら、谷川さんが着物姿で立っているんだもん。びっくりして思わずしめちゃったわ。
谷川 ちょうど昼休みだったんです。
谷山 いけないところへとびこんだような気がしました。でも終局後の感想戦まで見学したし・・・。
谷川 そう。そのあとみんなと一緒に飲みにいってカラオケまで唄いましたね。
谷山 雅夢の「愛はかげろう」とアリスの「チャンピオン」を唄ったでしょ。
谷川 さすがプロ。おぼえているんですね。
谷山 今、パソコン通信で将棋のリーグ戦やっています。A級とB級があって私は奨励会。本物の名人戦はテレビで応援します。
谷川 ありがとうございます。
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谷川浩司名人(当時)と谷山浩子さんが飲んだのは、1989年の全日本プロトーナメント第1局で谷川名人が森内俊之四段(当時)に敗れた日。
谷川名人は将棋マガジン1990年5月号で次のように書いている。
一年前の事は、今でもはっきりと覚えている。 慌てて家を出たのでコートを忘れ空港で買った事、対局室の暖房が利き過ぎて、少々イライラした事。負かされた後、谷山浩子さんらと飲みに行って、「チャンピオン」というあまりにピッタリの曲を歌った事。飲み過ぎて、翌日朝の航空券をキャンセルした事。
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雅夢の「愛はかげろう」は1980年にリリースされたヒット曲。
「チャンピオン」は1978年発売の、アリスにとって最大のヒットとなった作品。
谷村新司さんが作詞・作曲。
谷川、谷山、谷村と、すごい。
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「チャンピオン」の1番から2番の歌詞は、当時の谷川浩司(ディフェンダー)VS羽生世代(挑戦者)という図式で考えると、谷川名人が書いている通り、あまりにピッタリな内容だ。
当時の谷川浩司名人が飲み過ぎてしまったのも、とても気持ちがよくわかる。
あらためて「チャンピオン」を聴いて、そう強く感じた。
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アリス「チャンピオン」のモデルとなっているは、プロボクサーで元・東洋ミドル級チャンピオンだったカシアス内藤。
カシアス内藤については、沢木耕太郎『一瞬の夏』(第一回新田次郎文学賞受賞)に描かれている。
一瞬の夏 (上) (新潮文庫) 価格:¥ 662(税込) 発売日:1984-05 |
〔amazonの内容紹介より〕
強打をうたわれた元東洋ミドル級王者カシアス内藤。当時駆けだしのルポライターだった“私”は、彼の選手生命の無残な終りを見た。その彼が、四年ぶりに再起する。再び栄光を夢みる元チャンピオン、手を貸す老トレーナー、見守る若きカメラマン、そしてプロモーターとして関わる“私”。一度は挫折した悲運のボクサーのカムバックに、男たちは夢を託し、人生を賭けた。
”私”は沢木耕太郎さんのこと。
”老トレーナー”は、故・エディ・タウンゼント。
エディ・タウンゼントは、藤猛、海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹の世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー。
私も『一瞬の夏』は読んだ。
ボクシングに興味はないのに、なぜかこの本を読んだ。
まさしく、悲運のボクサーのカムバックに夢を託した男たちの物語。
映画「ロッキー」のようなエンディングにはならない。
やるせない雰囲気の結末と、最後に残った小さな幸せ。
エディ・タウンゼントの「彼は優しい子よ、だから対戦相手にとどめをさせないの」という言葉が象徴的だ。
心に残る一冊。
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カシアス内藤さんは2004年に咽頭がんと診断を受け、「放っておけば余命3ヵ月。手術をすれば延命できる」と告知を受けた。
ボクシングを教えるためにも、声が出なくなる可能性のある手術はしないと決断し、カシアス内藤さんは放射線照射治療を選択する。
25回に及ぶ放射線照射に耐え、がんは4分の1以下に縮小された。
そして、師匠の故・エディ・タウンゼントとの「自分のジムを作って後進を育成する」という約束を果たすために、2005年に「E&Jカシアス・ボクシングジム」を開いた。
ジム設立には、沢木耕太郎さんなどが大勢の人にカンパを募るなどの支援もあった。
2011年には、長男の内藤律樹さんがプロデビューを果たしている。
→がんとの戦いを劣勢から「ドロー」に持ちこみ大願を成就した元王者「一瞬の夏」の元プロボクサー・カシアス内藤
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”見守る若きカメラマン”であった内藤利朗さんによる写真集も出版されている。
カシアス (Switch library) 価格:¥ 2,625(税込) 発売日:2005-01 |